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糸割符制度のメリット
日本史の疑問についてお聞きします。 徳川家康は貿易利益獲得と商人支配を目的として1604年に糸割符制度を導入したとされています。ポルトガルなど欧州商人による中国との仲介貿易の際の、一種の貿易制限・制度と理解しています。百科事典によれば「糸割符制創設のいきさつ、目的、取引実態については、なお不明な点が多い。(C)小学館」らしいのですが、直接中国と取引せずに、仲介商人を設けることに、意味を見出せません。鎖国性の強い時代であれば、価格の競争原理は働かず、小売業者、消費者ともに高値を不満に思う(あるいは自覚する)ことはなかったと思うので、経済的な面は無視できるとしても、その他(例えば政治的)な意味もあるようには思えないのですが、どのような目的があったのでしょうか。本来の中国との二国間貿易の利益の一部を、欧州の第三者国に分散することで、西洋の文化や技術を安全に摂取しておこうというような目的でしょうか。 (そもそも辞典等で不明点が多いとされているので、それ以上は不毛な議論かもしれませんが、何か別の視点などあればお願いします。)
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- tanuki4u
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回答No.1
日明間は外交関係が成立してない。 ※ 秀吉の朝鮮征伐の後始末が終わってないわけです。 なので、日本の公式の貿易船が中国に行けない。 明は、基本的に海禁策であり、貿易船は出せない。 ならば、第三国がやるしかない。 なお、糸割符制は、欧州の価格決定権に対して、価格指定をすることにより、価格を下げる意図がありました。 なお、清の貿易船は、基本的に民間船であり公式な貿易でありませんでした。
お礼
さすがでございますね。大変参考になりました。なるほど、1592文禄の役、1597慶長の役からわずか十年足らずでしたか。「欧州の価格決定権」ということですが、欧州は明に対して価格決定ができる立場にあったということでしょうか。そうであれば、中国は清代のアヘン戦争以前から対等とは言いがたい関係を強いられていたということでしょうか。お時間ありましたら教えて下さい。いずれにせよ、有益なご助言ありがとうございました。