- ベストアンサー
シラノの鼻の意味とは?
<人知れず シラノの鼻を 思う春> 何年も、この俳句をいただいてから、その意味を考えてきました。 時には、離れ、また、思い出し。 シラノドベルジュラグ その内容は知っていますが シラノの鼻 とはなにを意味するものと 皆様は思われますか?いろんな方のご意見を伺いたいと 思います。どうぞ、ご教授くださいませ。
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
2です。 シラノは、知性のある人物ですが、シラノの想い人にアプローチするもうひとりの男性は、容姿は、整っているものの知性がありません。 シラノは、知性あふれるプロポーズをします。 彼女は、姿なきプロポーズの主の内面を好きになりながらも、もうひとりの男性の言葉と勘違いします。 シラノは、2人の幸せのために、その人物になりきって、プロポーズを続けます。 「アプローチは、したんだよ。とんだ道化だったけど。その想いは、誰かに伝えることなく、胸の中にしまった。封印したはずの想いも春になると思い出されてしまう」 新解釈です。
その他の回答 (4)
- tabataba3
- ベストアンサー率47% (211/443)
背景のご説明から、「とても知性が鋭く、才能があったが、コンプレックスが邪魔をして素直になれなかったあなたを、卒業シーズンがめぐるごとに思い出しています」、とも読み取れます。 それでもあなたはとても理知的な人でしたよ、ということを言いたいのだと思います。
お礼
長々と書いてしまった、背景を読んで下さり有難うございます! 御解釈に近い言葉を、先生から聞いた事がよくありました。 長い事、一人で、意味を考える中で、私も同じような解釈(幾つかの中のひとつとして)が浮かんだ事がありました。幾通りにもとれますね。 <先生は何を思い、この句を?>と、かんがえはじめたのですが どの御解釈も頷けて、参考になるものばかりでした。 もう一度、<シラノドベルジュラグ>を読んでみようと思っています。 有難うございました。
どなたがお詠みになったものか存じませんが、人の心をずばりと読み切ったなかなかシャレた句ですね。シラノの鼻・・・とはまさにシラノ・ドゥ・ベルジュラックのあの大きすぎた鼻、つまりコンプレックスのことでしょう。 自分だけが心中いつも気に掛け思い悩んできたコンプレックス、それゆえに、なにごとにも一歩勇気を持って踏み出してこれなかったこの自分、その不甲斐なさにこれまで幾年も悩み続け、また何度目かの春の日がめぐってきた・・・・。 分りますねえ、この気持ち、誰にでも覚えがあるような・・・。
お礼
お礼が遅くなりました、有難うございます。 この句は恩師によるものです。背景等、↓に書きました。 本当ですね、私にも覚えがあります。私の今の<シラノの鼻>とは? 等と考えました。<...思う春>という所が、嘆きの深さと それでも季節は巡り時は過ぎていく、広がりを感じられて好きです。
容姿とは、限らないが、その人には、大きなコンプレックスがあり、好きな人がいても、見守るだけになってしまう。 春になにか、印象に残る、二人の出来事があり、春が巡ってくるたびに思い出される。 そう受け取りました。
お礼
ご意見を有難うございます。実は拝見し、鳥肌がたちました。余りに鋭くて、、当時が思い出されました。この句の背景等を書いてみます。 字数に限りがあるようなので簡略に。ご興味おありでしたら。。 高校時代の恩師へ毎年送っていたお年賀状、30にして初めての子供出産の知らせへの先生からのご返信のお年賀状に<元気でね>の言葉とともにあったのがこの句でした。最後のお便りとなりました。 読書好きで、やや親の愛に不安感を抱く真中っ子症候群であった私は攻撃的、当時でいうつっぱりのいでたちで納得行かぬ事は教師であっても向かって行くエキセントリックな高校生でした。(補足部に続きを)
補足
(下 お礼部分から続く)その私を何故か、かってくれたのがこの先生、公立高ですが入れ替わりの無い教師、熱意の無い澱んだ雰囲気の中、熱血ではけして無いのですが<変わっている>といわれる先生でした。仙人のような。それは仏文学や歴史、底知れない知性に裏打ちされた本質を見抜く目。<K(生徒の名)を助けるのを手伝ってくれませんか>などと原稿用紙に緻密な達筆の、万年筆のお便りを戴く様になり。<無力感に拗ねている>様な生徒を助けるというよりは、話し合い分かち合いたい、そんな思いでいらした先生でした。 やがて<進級会議>(春です)にかけられることになった私は<取引>を拒否。留年に甘んじる事となります。10数人の教師対私、その席にも先生はいらして、微笑んで座ってらした。<17歳にして<私性>を超えた決断><闘いの相手は学校でなく、時代なのです>等の言葉をくれ、その後の学校生活を支えてくださいました。文学や、戦後日本精神史、歴史、荒廃とは。一部の教師にはただの不良生徒である私に、対等の様に 語りかけて下さった。<大学へ行きなさい>とも。荒れている時は自宅へも出向いてくださった。<仲間が居なくなるのは淋しい>と。 高校生活をまっとうする事が叶わなくなった、その春、3月、いまごろですね。先生の研究室へ行き、 <この学校で私は卒業証書より大きなものを手にしました。後悔はありません、有難うございました>と伝えその学校を後に。 その後郵送で、私の宝となるお便りと卒業記念の、分厚い<広辞苑> を送ってくださいました。(上の補足部へ続く)
自分は才能はあるが外見がいまいちなので異性にもてない。
お礼
ああ、そうですね。抜きん出た知性をも人の目から遠ざけてしまう 外見、大きな鼻。分かりやすい表現で教えてくださって 有難うございます!
お礼
新しい解釈を、また書いてくださり有難うございます。 これも、私にとり、感じ入るものがあります。 俳句や歌は、最小限の言葉で深い意味を表し、これがその意味、という 正解は幾通りもあるものなのではと、感じています。 句を読んだそのすぐ後に、Odochanさんの解釈を頭に浮かべると 当時の背景等と共に、それもあったかもしれないとも思うのです。 この句を思い出し、そして皆様のアドバイスによって、20有余年前の春が鮮やかに甦ったこの、2007年の春でした。大切なものを下さった 先生との出会いの意味を改めて胸に刻み、これからの日々を歩いていこうなどと思いを新たにしています。有難うございました。
補足
(下の補足部からの続きです) そのお便りで先生が最後に仰った様、<闘いはこれから、社会に出てからは比べ物にならぬ厳しい、けれど栄光に満ちた未来が待っている> 波乱一杯のその後の日々をおくりながらも、夏と冬、ご挨拶を欠かしませんでした。私にとり、肉親も見過ごした(と、当時の私は思っていた)<自分の深い部分を認めて下さり称えても下さった>事<真実を見据えるその姿勢>と共に 大きな自信とその後の信条(今に至る迄)にもなる、何かを残してくださった先生との出会いでした。 12年後のお葉書での句ですが。あらためて考えるに、先生は底知れぬ知性と共に独自の<辛辣さ>も持ち合わせていらっしゃったので 卒業という形を私に与えられなかった教師の成果を<道化>と感じ シラノの鼻として表したのだろうか。。などとも考えています。 先生が私に特別な思い、というのは考えにくいのです。何人も 先生曰く、<面白い生徒>が、私を気にかけてくださった様な生徒さんは居たので。 今でも<芯>となって、一連の出来事が私を支えてくださっている事は 先生にも伝わっていたと、自分は信じてやみません。