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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:証拠がみつかっていない歴史)

証拠がみつかっていない歴史

このQ&Aのポイント
  • 歴史的な事実が検証される際の証拠の量や質について気になります。過去にさかのぼるほど証拠は減少する傾向にありますが、証拠のない事実が認定されている場合や逆に証拠があるのに認められていない場合があるのか知りたいです。
  • 日本人の北朝鮮による拉致問題の証拠の有無についても疑問を持っています。被害者や告発者が存在することは確認されていますが、最近話題になっている問題では証拠が出ていないという情報もあります。裁判においては証拠が必要であり、自白に偏重するのは問題だと思いますが、国家的犯罪とみなされる場合においては証拠が必要なのではないかと悩んでいます。
  • 歴史的な事実が認定されるための証拠の基準について知りたいです。証拠の量や質だけでなく、証拠がない場合の認定や疑問視されている事実についても教えていただければと思います。

質問者が選んだベストアンサー

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  • staratras
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回答No.2

歴史は、基本的にはその時代に書かれたものなどの記録(史料)を証拠として書くべきものです。決して後世の人が「こうだったのではないか」と勝手に想像して書くものではありません。ですから「証拠がみつかっていない歴史」などというものは本来はあり得ません。「証拠がみつかっていない仮説」ならいくらでもあるでしょうけれど。もちろん多くの史料の中の良し悪しを見分けて「筋のよい」史料を活用する力が歴史家には求められます。またどれだけ史料が揃っていれば歴史的事実として広く認められるかは、ご指摘のように古代と近代では残っている史料の量が全く違いますので一概には言えないと思います。 ただし政治やイデオロギー・宗教の類が絡んでくるとやっかいで、世の中のこうした「歴史」の中には日本でも外国でも、恣意的に史料を使ったり、意識的に自説に不利な史料を無視したりして、多くの史料の裏づけがある(確度の高い)歴史的事実に反するような主張を平然と行っているものが少なくありません。いわゆる歴史認識問題の困難さの一因はここにあると思います。 私の学生時代に、史学の教授が次のような話をしました。 何らかの説を述べる歴史の論文を書くにあたって、自説に都合よい史料ばかり集めた論文を書くのは危ない。そんな論文では、その説に都合の悪い史料を提示されて「この説は成り立たない」と反論されてしまう。そうではなくて、自説に都合の悪い史料も隠さず出したうえで、「このような一見相反するような史料も、このように考えれば自説と矛盾しない」というところまで論証する必要がある。 歴史における「証拠」(史料)の重要さや面白さをもっと知りたいのであればネットもよいですが、図書館などでさまざまな本をお読みになることをお勧めします。

その他の回答 (2)

  • waltzende
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回答No.3

参考ですが「当時の新聞」という情報ソースは信じられるものではありません。 以下、夢野久作の小説「真実百%の与太」(昭和9年)より。 >大正の三四年頃だったか東京の某新聞社に居た時分に、 >桜島の大噴火、鹿児島市の大混乱と題して吉原の火事の写真を >使ったことがある。その逃げ回っている群衆の足下に「吉原町」と >一パイに書いた手提灯が転がっているのを、後から気が付いて >冷や汗を流した事があるが 新聞なんて信用できない、の一例ですね。 夢野久作本人も新聞記者あがりの小説家ですから。

回答No.1

証拠がみつかっていない歴史 いくらでもあります。特に中国や韓国の歴史は捏造だらけで、証拠写真を出してきても、そのほとんどが見事な改造写真です。南京事件の写真にしても東中野修造著「南京事件証拠写真を検証する」では検証した数多くの写真の中には証拠として採用できるものは一枚もなかったということです。1番確かなのは虐殺の現場や死体の様子を見た人の証言なのです。もちろん確かな人物であることが必要条件ですが、誰ひとり見たものはいません。当時南京に住んでいたある中国人の大学教授もそのような虐殺があったことは知らないし、見たこともないと言っています。このようなでっち上げで裁判をされたほうはたまったものではありません。日本人もこのようなでたらめにだまされ易く、検証もしないで相手の言うことを真に受ける者のなんと多いことでしょう。自民党の政治家の中にごろごろいます。しまつの悪いのは公明党の面々です。創価学会の青年部員がかって南京虐殺記念館に行ったことがあります。供養だ言ってフルートの演奏をしました。こういう人たちは、そのようにすることが清いことであり償いであると考えているのでしょう。卒業証明でも本物と変わらないものを作る商売がなりたっている国柄、心して対処しなければなりません。 「日本人の北朝鮮による拉致問題の証拠ってあるんでしょうか?」 どうしてこのにような疑問が出てくるのでしょうか。その本人が現実 に北朝鮮から帰ってきました。生き証人です。これ以上の証拠がありますか。他の拉致者も数多くおり、証拠がでそろっている者もいます。あと一歩のところで断定できないのものもあります。憶測や捏造 までして拉致者とするようなことは日本政府はしていません。 日本人は正直であるからと言って他国人も正直であるとするのはとんでもない方向違いです。きれいごとではありません。あるのは事実の検証あるのみです。これが証拠です。