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私は心の冷たい人間ですか
どんなジャンルの音楽を聴いても心に響いた事がありません。 音楽を聴いて感動した事がありません。 友人達のお勧めの曲を色々教えてもらって聴いたりしていますがどの曲も素敵なメロディだと思うのですが心に響いた事はありません。 音が嫌いな訳ではありません。綺麗な音色は好きです。 ライブやクラブやオペラなど周りの友人達はみんな音楽に心酔している感じがしてとても羨ましいです。私も音を聴いて感銘を受けてみたいです。 友人達には「心が冷めている」とか「無感情なんじゃないか」とか言われていますが、私は心が冷たい人間なのでしょうか。
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質問者様は決して、心が冷たい人間ではないと思います。 個人的な意見ですが、本当に心に響く曲とは、なかなか出合うことができないものなのではないでしょうか。 何かの曲を聴いて、そのメロディを素敵だと思えるのなら、十分に温かい心をお持ちだと思います。 でも、参考までに、心に響きそうな曲を挙げてみました。 The Organ、『Love,Love,Love』 千住明氏が作曲された、『GLORIA~希望の光~』 http://gw.jmd.ne.jp/media.asp?ShopCode=AY033&Pass=bzy46myd37&LinkCode=CL00112550&Track=1&ref=http://www.neowing.co.jp/detailview.html?KEY=TOCT-25393 バッハ作曲、ブゾーニ編曲、『コラール BWV639』 バッハ作曲、ヘス編曲、『主よ人の望みの喜びよ』 パッヘルベル作曲、『カノン』 http://www.leegalloway.com/repertoire_mp3.html (Canon in D (Pachelbel/Galloway)の部分をクリックすると曲を聴くことができます) Yiruma(イ・ルマ)作曲、『River flows in you』 (記述に一部誤りがあるかもしれません。その場合はどうかご了承ください)
- kamekame32
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確かに俺も最初の頃は音楽に対してあまり興味がありませんでした。でもその歌の歌詞の意味を自分の人生に置き換えてみたりとか、ドラマなどの感動的な場面などに流れている音楽などを聞いていると「ああ、なんだかこの歌いいなぁ」って思ったりするとその歌が自然に好きになってきたりします。その感動はきっと誰もが持っているものだと思います。曲のリズムだけを好きになるのではなく、歌詞自体の意味などを好きになるといいと思いますよ。焦らなくても自分にあった音楽はきっと見つかります。 心が冷たいから音楽に感動を感じないんじゃなくて、まだ心を動かされる音楽と出会ってないだけなんだと思いますよ。
- luna-ocean
- ベストアンサー率0% (0/1)
「音楽を聴く」という事に意識をおくのではなくて、テレビや喫茶店などで流れている音楽が作り出す雰囲気に心地よさを感じるのも「感動」なのではないでしょうか?ドラマで全く音楽が流れていない事を想像してみて下さい。音楽がなかったら感動が半分になるような気がしませんか? 音楽は日常生活の中で身近なものです。いつかきっと心に響く曲が見つかると思います。
今まで溜め込んでおいた分ね. 汗をたくさんかいた後のビール いや 水がおいしいのと一緒. かな?
そのうちあるメロディラインを聞いただけで 涙が溢れてくるようになりますよ.
- myeyesonly
- ベストアンサー率36% (3818/10368)
こんにちは。 私は自分で楽器もやりますし、音楽も何でもというわけではないですが、かなり好きな部類だと思います。 だけど、音楽を聴いて感動したとか泣いたとか・・・という記憶は一度もありません。 じゃ何で楽器をやったり、音楽を聴いたりするか、ですが、音楽の中に浸っている時が一番リラックスできるのです。 音楽を聴いて感動しなきゃいけない・・・というのは、私から見るともう強迫観念のように感じられます。 その人なりの音楽の楽しみ方があるのであって、人の楽しみ方を無理やり真似る必要はないと思います。
- never-ness
- ベストアンサー率42% (83/196)
人が誕生してから成人になるまでに、社会の一員として活動するために学校に通って集団教育を受けます。そこで重視されるのは、「研究」「生産」「サービス」に役立つ「学力をつける」ということです。 初めは親が教え、ついで学校教育が加わり「基礎」から「応用」へと高度なものになり、その過程で将来の職業への適性を自身で判断するようになります。大体18歳から22歳までにその後の一生の職業を確定します。 さて、学校では社会への適応力をつける「知識教育」を集中的に訓練され、それと並行して学校や教師といった権威への批判能力の芽を摘まれていくことになります。「批判」が「反抗」へと転化すると「ルール違反者」として「排除」されることなり、「排除」を恐れる者はそういった「教化=馴致」を受け入れることで、容認された「幸せな生活」を送ることになります。これは「前置き」です。 音楽や絵画やその他の芸術作品に「感動する」ということについては、「感動する力」を涵養する指導が人生の初期に必要です。これを「感受力を育てる」ということにします。 「感受力」は「学力」と違い、その資質により「(ジャンルへの)向き・不向き」があり、またそれを指導するには「指導される側の資質」を見抜く「目利き」たる人物の存在が不可欠です。こういった「弟子と師匠の物語り」は巷間に溢れるドラマ・漫画・映画の一部のジャンルをなしています。一般的には、そういった「資質」や「指導者」に恵まれたりすることで芸術家が育ってきます。逆に言えば、漫然と学校教育を受けている範囲では「感受力」は残念ながら育っていかないでしょう。 さて、ご質問の「音楽を聴いて感銘を受けてみたい」ということについて。 「感受力」が鋭ければ巷に溢れる「音」の中から自分の好みに合った「音」を探し当てそれを追求することでご自分の「感受力」を磨いていくことが可能です。この場合、「自分の好きな音が一番感動できる(=感銘を受ける)音、音楽」である、と言えると思います。ただ、残念ながら、周囲には音が洪水のように溢れていますから、その音の殆ど大部分に対して「不感症」気味になっているのが現実かもしれません。いわば「世の中は(用意された)感動に溢れている」といえます。そういう手垢のついた音に対して「不感症」になるというのは、ある意味「健全な耳の持ち主」であることの証左かも。さらに「ライブやクラブやオペラなど周りの友人達はみんな音楽に心酔している」のが本当に「本当」かといえば、「感動できること=音楽が分かる」を最高価値とするいわゆる「スノッブ」たちが群れているだけに過ぎない、ということもあるでしょう。ある調査によれば、原語で歌われている「イタリアオペラ」を聞き取ることが出来ない「イタリア人」は全体の半数以下だということです。いわんや原語を解さない日本人が「イタリアオペラ」に十全に感動できるというのは、半分以上は「ウソ」でしょう。ですから、他人が「感動した」といっても何ら「肩身の狭い思い」をすることはないのです。それより、自分の好きな音を追求して深めてていくことがなにより「大切」なのではないでしょうか。自分に対する自信はその過程で芽ばえてきます。 『友人達には「心が冷めている」とか「無感情なんじゃないか」とか言われています』とのこと。そういう「スノッブたち」とは適当につきあってください。その手の「鈍感力」に優れた人間たちは、所詮金儲けを最大の目的とした「芸術産業」の用意した「出来合いの感動」に接して、望ましいとされる「感動した振る舞い」を「振舞っている」にすぎないのです。(もっともそういった「スノッブ」がいなければ音楽産業も成り立たないのです) 繰り返しますが、音楽への感動が第一目的としてあるのでなく、まず「好きな音楽」があってその結果が「感動」へとつながるということです。残念ながら、導きの師を持たない場合、いわゆる骨董屋の養成と同じく「本物を聴き続ける」こと以外にありません。では、何が本物か?「本物を追い求めるもの」が「本物」であるとしかこの場では言えませんね(それを展開する場としては、ここは相応しくありませんからね)
- aayyuu111
- ベストアンサー率45% (5/11)
私もたまに自分を冷たいのかなと思うときがあります。 どう言う時かと言いますと、例えば友達は同じ映画を見て号泣している時や友達が音楽を聴いて陶酔している時等、私はその友達のようには感じず、別にそこまで入り込めない。。。何て、冷静な自分がそこにいます。 しかし、最近思うのですが、例え身近な友達にしても育ってきた環境、受けてきた影響は人それぞれです。人それぞれ、何に感心を示すかは一般化できる事ではないと思います。 ある友人は場の雰囲気が凍りつくようなジョークを言われたにも関わらず(凍りつくジョークとは私の思い違いかもしれませんが)、お腹をかかえて笑っていた事もあります。 逆に私が大笑いしている時に、彼女はシラ~としています。 私は中学生の時にある作家の本を読んでさっぱり意味が分かりませんでしたが、今大学生になって読み返してみると、何ておもしろい本なんだ!と感激した事があります。 今は、感動するものがなくても、色々なものにたくさん触れていた方がいいと思います。それに感動したしないに関わらず。 日が経ってみると見方が変わる事もあるものです。
- vrtemjin
- ベストアンサー率39% (28/71)
ご自分を批判する必要はありません。周りの人間が押し付けがましいだけです。音楽に泣くほど感動した経験のない人はいくらでもいます。自分が面白い、素晴らしいと感じたからといって、その感動を他人に押し付けたがる人はいますが、感性は人それぞれでし、感性と人間性はまったくの無関係です。音楽に感動する卑劣な犯罪者だっていくらでもいますよ。
- tirkit
- ベストアンサー率11% (8/68)
私は音楽は好きですが、 映画には全く関心がありません。 映画の話を熱く語る人を見るとなんとなくうらやましいです。 それと同じようなものでは・・・違います? あと人が音楽に感動するのは、単純に「メロディが綺麗だから」「音色が綺麗だから」だけではないです。たとえば子供の頃母親がうたってくれた子守唄を、ある日ふと耳にして、涙をながしたりするからです。
お礼
回答有難うございます。 はい、仰る通り「音楽は生活の一部」と言っている家族・友人をみると大変羨ましいです。 音楽がすごく身近なものなので私もそれで熱い心が持てれば・・・と思わずにはいられません。 自然と涙が出るようなメロディに出会えたら本当に素晴らしいでしょうね。
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お礼
回答有難うございます。 感性と人間性はまったくの無関係というお言葉を頂き安心しました。 感性が十人十色で他人と同じなんて事はないのは分かっているんですが周りが音楽に感動する人間が多いので自分が「無感情で心が冷たい人間」なんだと思ってしまいました。