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ユーゴすらビア関連
私はユーゴスラビアのことをすごく今知りたいのですが、なぜコソボ紛争はおきたのか?どのようにユーゴスラビアは統合して解体したのか?など、昔のことから現在にかけて詳細に知りたいです。そこでどたなかこれに関する本をご存知でしょうか? しかし、多くの本はすごく私のような初心者には解りづらいので、すごく簡単に書いてあり、しかし、あまり本の厚さが薄くなく、内容も濃いものがいいです。すいませんわがまま言って・・・。お願いします。
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1番です。 >もっと基礎の基礎から学びたいのですが、何かおススメの方法はあるでしょうか?回答者さんは何から最初学ばれたのでしょうか? 私は、歴史が好きで、高校時代から歴史の本を読み漁っていました。 その中で、東欧史やバルカン史も含まれました。 そのころからの知識の蓄積です。 当時は、ユーゴのチトー大統領が生きている時代でした。 そのため、ユーゴ紛争が起こったときは、嘆きました。 またニュースなどで流れる情報の一方的偏向姿勢には、怒りを覚えました。 ユーゴ紛争のように、入り組んだ問題の本質を知るためには、特定の資料や情報に頼らずに、色々な情報に接する事をお勧めします。 2番の方の書かれている『ユーゴスラヴィア現代史』も読んだ事があります。 そこに書かれている事も一つの真実なのですが、著者はスロベニアでの経験を基にしているため、反セルビア的立場に立った内容になってしまっています。 『ユーゴスラヴィア現代史』だけを読んで、ユーゴ紛争を理解したつもりになっていると、問題の本質を見失います。 コソボ問題は、1500年ほど遡ってみませんと真実が見えてきません。 ボスニア問題も、しっかり理解したいのであれば、1000年ほど前から流れをみてください。 そうしませんと、真実の姿が見えてきません。 東欧史や宗教史などを色々読んでみてください。 歴史的事件は、単独で起こるのではなく、色々な原因が絡み合って起きますから、いかに優秀な文献であれ、全ての原因を述べる事は不可能です。 色々な資料を読んでみてください。 特に政治的に中立である歴史書をお勧めします。
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- til-roo
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コソボ紛争の発生過程については月村太郎『ユーゴ内戦』がかなり詳しく、また新しいです。単純に多民族国家の悲劇では括りきれないことが分かるでしょう。ただ結構専門的です。そんなに読みにくくはないですが。 もう少し昔の第一次世界大戦期の話ならレオン・トロツキー『バルカン戦争』が、当事者へのインタビューをふまえ、詳細に論じています。分厚さが凄いですが。
- GJ-Officer
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新書ですが、柴 宜弘『ユーゴスラヴィア現代史』〔岩波新書〕という本があります。 各共和国の相次ぐ独立や,激しいボスニア内戦の推移は,ユーゴスラヴィアを“多民族国家の悲劇”として,世界中の目をくぎづけにした.戦後,独自の路線を歩んだ連邦国家の成立をはさんで,統合と分裂が交差する複雑な歴史を,地域内部の動きと国際社会の対応から描くことで,1995年末の「和平協定」以後の情勢に確かな視点を提示する.(岩波書店ホームページより引用)
- nacam
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本やサイトの紹介は、質問者の知識や理解力が分かりませんし、この問題は、政治的意図が多分に盛り込まれますので、その真為をみきわめられるか分かりませんので、紹介ではなく、直接の回答をいたします。 紀元前1000年ころには、現在のセルビア以南には、現在のアルバニア人が広く住んでいました。 そこにギリシャ人が進出し、半島南部に定住し、ギリシャ文化の華がさきます。 ローマ帝国が、首都をコンスタンティノープル(イスタンブール)に移すと、バルカン半島での文化は益々高まります。 そこにやってきたのが、スラブ系の民族です。 バルカン半島にやってきたスラブ人は、そこで民族形成され、南スラブ人となります。 この南スラブ人に押される形で、アルバニア人が辺境地帯に追い込まれてゆきます。 この追い込まれるのは、文化的に追い込まれるのであって、そこに住んでいた人を追い払ったのではありません。 これが今から1500年前の話です。 南スラブ人として民族形成されたところに、他民族が支配民族として乗り込み、南スラブの地を分割統治します。 現在のスロベニアを支配したのはドイツで、クロアチアを支配したのがハンガリー、マケドニアを支配したのがブルガリアでした。 セルビアは、独自にセルビア王国を設立し、独自の文化を形成します。 ボスニアには、固有の政権が成立せず、ハンガリーとセルビアの間でその所属が不確定の状況にありました。 この当時のセルビアの首都は、コソボにありました。 中世の中ごろバルカン半島の諸国では、ボゴミール派というキリスト教異端が問題となる一方、西ヨーロッパ諸国でもカタリ派という異端が問題になります。(カタリ派はボゴミール派より派生したと言われています) ボゴミール派、カタリ派共弾圧を受け両派の信徒たちは、ギリシャ正教でもカトリックでも無い地域であるボスニアに逃れ、カタリ派・ボゴミール派の考え方を強く引いたボスニア教会を設立します。 今から800年ほど前の話です。 ボスニアは、カトリックからも正教会からも侵略・弾圧を受けていました。 イスラムのトルコがボスニアの地に進撃してくると、ボスニア教会は、イスラムに信仰を変更します。 これが、現在のボスニアのムスリム人となります。 この時カトリックであった人は、クロアチア人となり、正教だった人がセルビア人となります。 これが今から500年ほど前の話です。 トルコの力が弱まると、各南スラブ人による独立運動が起こります。 その独立運動を支援したのが、オーストリア=ハンガリー帝国とロシア帝国でした。 オーストリアは、スロベニア・クロアチアを支配し、セルビアを支持するロシアと対立します。 そのゴタゴタが、第一次世界大戦へとつながります。 第一次大戦に破れたオーストリアは解体され、この地はセルビア=クロアチア王国として統一されます。 約1000年に及ぶ他民族支配の結果、同一民族といえども異なる風習なども多く、統一は困難な状況でした。 それに目をつけたのが、ナチスドイツで、ドイツの軍事力でクロアチアを分離させ、セルビアを弾圧します。 第2次大戦で、ドイツが破れたため、クロアチアはセルビアに吸収される形で再統合されますが、セルビア人は、クロアチア人が、ナチスと結託しセルビア人を虐殺した事を忘れませんでした。 東西冷戦の終結とともに、スロベニアとクロアチアに独立機運が高まります。 東西統一をしたドイツは、クロアチア独立に積極的に関与し、EU対セルビアの図式を作り上げます。 当時セルビアを支持していたロシアは、経済的混乱の中にあり、セルビア支持ができなかったため、セルビアが一方的に悪者とされました。 ユーゴ分裂の時に、セルビアよりも貧しいマレドニアは、独立する意志がほとんど無いのに、セルビアから見捨てられる形での独立となりました。 コソボは、中世セルビア王国の首都があった地ですが、トルコに破れた際セルビア人に代わってアルバニア人がトルコと共同して占拠しました。 その後セルビアが奪還すると、セルビア人を追い出したアルバニア人をセルビア人が弾圧し、セルビアがEUとの対立したときに、コソボのアルバニア人がセルビア人を追放するといった状況で現在に至っています。 アルバニア人にすれば、1500年前に奪われた土地を500年前に奪還したが、百年前に再度奪われ、それを再度奪い返したという気持ちです。 モンテネグロは、基本的にセルビア人ですが、トルコ支配下において、トルコとベネチュアの中立地帯となっていた地域です。 セルビアのもう一つの自治区ボイボジナは、セルビアがトルコに支配されていた時ハンガリーの支配下にあった地域です。
補足
すごく長々と回答ありがとうございました。とても勉強になります。私は最近やっとこの事に関心を持ったので、回答者さんが書かれていたこともまったく知りませんでした。もっと基礎の基礎から学びたいのですが、何かおススメの方法はあるでしょうか?回答者さんは何から最初学ばれたのでしょうか?やはり最初はユーゴの簡単に書いてある本から読んでいったほうが良いのでしょうか?
お礼
回答ありがとうございます。最初は中学の教科書くらいのものから手をつけたほうがよさそうですね。民族関連のものは二日、三日では知ることができないので、日をかけて勉強しようとおもいます。ありがとうございました。