日本の現状を示しているのはどちらだと思いますか?
2つの意見のうち貴方の意見に近いほうを選んでください。
意見A
受験が代表するように、A=Bみたいな教育の傾向とゆうかシステムに成っている。
そうすると自分で考えたり発言したり表現したりする力が付かない。いわば独創性が無くなる。
確かに方程式や言葉の意味など、決まりきったものがあるし間違いないところもあるけど、それにあまりに固執するとどうしても枠内でしかモノを考えなくなる。
日本ではよく努力をすれば何事も可能だと言われるし思われがち。
それはある意味正しいことは正しい。しかし才能なく努力しても叶うなり伸びる部分はしれている。可能性が少ないと。
才能を努力して開花されるとゆう事が、本当は最も必要。
日本の場合は、封建的や教育のところでそれを台無しにしているような気はします。
意見B
書店の参考書売り場にはたくさんの参考書・問題集が売られている。どれを選ぶかは受験者の自由だ。そしてその選択が合否に重要な要素となる。
一口に受験といっても大学ごとに出題傾向が違う、法律系の資格試験でも司法試験と司法書士試験と行政書士試験では出題傾向が違う。合格したければ出題傾向にあった参考書・問題集選び、勉強時間の割振りが重要だ。
したがって、受験には自分で考えることが必要不可欠だ。
受験をすることでマーケッティング、計画立案力、実行力が養われる。
現在の日本は史上最も多様化している。
最新のニュースを知るためのメディア一つをとっても20年前は新聞・テレビ・ラジオ・雑誌だったが、今ではインターネットが加わり、フリーペーパーも町中で配られている。
単純労働は次第に新興国に奪われ、日本が生き残るには高い能力を必要な仕事に変化していかなくてはならない。
今まで以上に才能が要求されている。
産業界も優れた人材探しに躍起になっている。
また自分の才能を伸ばす環境も整っている。
もし自分の才能を伸ばせない者がいるとしたら、それはその者自身の怠け心が原因だ。
彼らは個性という都合が良い言葉で堕落を正当化し、自ら才能を伸ばすことを放棄しているに過ぎない。
その背景には怠惰な者でも生活できるという日本の豊かな生活環境がある。
才能を努力して開花されるとゆう事が、本当は最も必要。
日本の場合は、環境のせいにして努力を軽視する者とそれを擁護する風潮が才能を伸ばすことを台無しにしている。
お礼
参考にします。 ありがとうございました。