再度No.4です。細かい話ですが、松井石根の教誨師への発言の引用が不適切な部分で切れていて、何故「みなが笑った」のか、意味不明になっていたので、以下の通り訂正します。
慰霊祭の直後、私は皆を集めて軍総司令官として泣いて怒った。その時は朝香宮もおられ、柳川中将も方面軍司令官だったが。折角皇威を輝かしたのに、あの兵の暴行によって一挙にしてそれを落してしまった、と。ところが、このことのあとで、みなが笑った。甚だしいのは、或る師団長の如きは「当り前ですよ」とさえいった。
従って、私だけでもこういう結果になるということは、当時の軍人達に一人でも多く、深い反省を与えるという意味で大変に嬉しい。折角こうなったのだから、このまま往生したいと思っている」
ところで、No.4の回答をどう読み取って欲しいのかわからないとの事でしたので、もう少し補足説明をしておきます。
田中正明が、松井石根の陣中日記を改竄したのは、この問題の論争史ではかなり有名な話です。彼が「すごい」のは、他の研究者もアクセスできる史料を数百箇所も改竄したものを出版した、という事です。当然のようにバレました。(「松井石根大将『陣中日記』改竄の怪」板倉由明(「歴史と人物」昭和60年冬の号に詳しい)
田中自身は、「言い逃れになるかも知れないが、体調などの悪条件が重なりミスしたもので、決して虐殺は虚構だという自分の主張に合わせて加筆や削除したのではない」と言っていますが、例えば、全く日記の原文にない松井大将と外国人記者との会談の内容を、自分で捏造して、その自分の捏造を根拠に、「松井大将が『南京虐殺』に関する質問を受けたという様子が全く見られない点、注目すべき」と書いてしまうような人で、これを「ミス」と考えるのは到底不可能です。都合の悪い部分を除いて引用する、というのなら、他の研究者にも無い訳ではないですが、自分で作文してしまったのは、さすがに珍しい例でしょう。(因みに、改竄を発見した板倉由明は、「南京小虐殺派」とも言うべき研究者で、少なくともサヨクと思っている人はまずいません。)また、田中正明の『自慢』は、松井石根と個人的な親交があったという事で、かねがね「松井石根を尊敬している」と言っていましたから、尚更、世間を呆れさせました。
だから、田中正明は、まともな研究の世界では、相手にされていない存在です。これは右とか左とかの立場の問題ではなく、かなり有名な話です。(ご存知であれば、すみません。)
ただ、個人的な考えとして、私は、全く矛盾した史料がある場合、一応複数の史料を見て、それぞれの史料の性格(例えば、一般論としては日記は、自己正当化の余地が、後世のものよりは少ない為、史料価値が高い、など)を考え、どちらがその時の状況からして正しいと判断できるのか、考えるべきだと思っていますから、判断の根拠と思われるものを出しました。手抜きをするなら、「元ネタは田中正明だから、自動的に無視」というやり方もあるかも知れません。
蒋介石が田中正明に何を言ったのか(はたまた、何も言わなかったのか)というのは、確認する事が困難ですが、入手可能な蒋介石自身、あるいは松井石根自身の発言からして、田中正明が蒋介石から聞いたと主張している事は、いわゆる南京大虐殺があったかなかったかの論争には、全く無関係と考えるべき、というのが私の考えです。
実際何らかの発言があったとしても、少なくとも「相当歪んだ形で伝えられている」と考えるのが妥当だと思うので、無視するのが時間の節約にはなると私は思いますが、質問者の方がどう考えられるかも、『裏』をとられるのも、どちらも、勿論ご自由です。
お礼
わざわざ有難う御座います。 http://www.history.gr.jp/~koa_kan_non/15-2.html http://www.history.gr.jp/~koa_kan_non/10-2.html 確かに微妙に異なります。意見と事実とが入り混じっていて、大変読み辛いですね。資料として価値がないと言われるのも理解します。 >前々回「何を信じるか」と書いたのは、...(略)...という意味です。 わかります。同意します。先の発言は、「情報だけ提示して、実際のところは意見誘導を行っておきながら『資料を出しただけだから何ら意図はない』と嘯く朝日新聞流」であると誤解したからです。失礼致しました。 尚、私は情報元が市ヶ谷台一号館にあると思っていました。(まだ行った事はないです) 追々、少しづつ確認するつもりです。 有難う御座います。