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どこまで理解しているか?
このごろ英文を頭の中で日本語に訳さなくても理解できていると思ってきたのですが、本当に理解しているのか疑問に思ってしまいました。そもそもどこから理解していてどこからが理解していないのでしょうか? 自分自身では、言葉の理解は言葉を正しく使うことができることを言うのだと思いますが、正しく使うことができるというのはいったいどういう状況のことをいうのでしょうか?
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spitzer3さん、こんばんは。 ●自分自身では、言葉の理解は言葉を正しく使うことができることを言うのだと思います が、正しく使うことができるというのはいったいどういう状況のことをいうのでしょうか? I think that understanding of words is that you can use the words properly. ◎言葉を理解することは、言葉を適切に使えるということだと私は思う。 ability command ↑ を用いずに can use を用いることによって●と◎の2つが成り立つ。 ability command ↑みために惑わされることなく 共通言語 can use 能力を共通言語に置き換えることで理解はcomprehensionではなしにunderstandingと
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- iuytrewq
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NO.2です。 敢えて書かなかったのですが、理解しようとする際に、意識してというよりは「自動的に」イメージが思い浮かぶという事です。 体の反応というのは、理解というよりは条件反射なのではないでしょうか。 つまり、理解とは別の次元だと思います。 例えば野球で、もしライナーを捕った時にランナーがベースから離れていたら、すぐにそのベースにボールを投げるという事を(ルールとして)事前にしっかり理解していないと、とっさには行動出来ません。 つまり、事前にしっかりと頭に叩き込んでいるからこそ、とっさの時に体が反応出来る訳です。 また本能というのは、何かが飛んで来たらとっさによけるというように、生命に関わる様な事は生まれた時からしっかりと叩き込まれている訳ですよね。
補足
>敢えて書かなかったのですが、理解しようとする際に、意識してというよりは「自動的に」イメージが思い浮かぶという事です。 イメージが思い浮かばなくても理解していると言えるときがあるのではないのでしょうか?たとえば、文章とかを読んでいるとき、いちいち「自動的に」イメージが出てくるわけではないですよね。 すべての言葉が自動的にそれからイメージが思い浮かぶというのは理想なのではないでしょうか? 原子を、それが知覚かできないのに、ただ道理に合っているからあるというのと同じだと思います。
- littlekiss
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ポピュラーな古典です 参考:「象は鼻が長い」 http://www.babel.co.jp/mtsg/mt0509/memo.htm
お礼
参考ありがとうございます。
NO1.4です。 1つ書き違いがありました。 上位の無意識イコールマナ識です。 アラーヤ識は下位の無意識を意味します。 興味がおありでしたら「唯識」で検索してください。 言葉と感情に一貫性のない場合のわかりやすい実例を挙げます。 「私は自分が好き」。 この言葉は自己啓発などの本にも取り上げられる重要な言葉です。 この言葉を心の中で唱えたときに、素直な心で気持ちよく言えるのが健康的な心です。 「俺様は自分が一番大事」。このように言っているような感情が伴えば悪意です。 「私は自分が好き」この言葉だけで悪魔のダジャレが分かります。
補足
>「俺様は自分が一番大事」。このように言っているような感情が伴えば悪意です。 確かにこれではなんかちょっと回りのことを考えないで傲慢であるような感じがしますね。
NO1です。 >言葉によって生じる感情と、知覚したイメージそのものによって生じ>る感情とが一致していることというのは確かめられるのでしょうか? 脳は分業で仕事をしていますから、感情を生み出す仕事をしている部位もあります。 日常的感覚ではこれはおでこのアタリです。 言葉を操るのも、このおでこのアタリで心理学的にはフロイトの言うところの上位の無意識、仏教哲学ではアラーヤ識です。 知覚は視覚を中心に後頭部でまず認識され脳全体で処理されます。 ここにタイミングの違いが確かに認識できます。 これらを一致させることは「正しく考える」ことを意味して、脳内に自己の同一性と切り離された間違った情報が存在しないことが条件です。 脳内の間違った情報は要するに煩悩で、本質的には絶対悪です。大抵の無意識はこの絶対悪を「悪意」として認識しており、これが心に住む小人さんにわずらわしい余計な仕事をさせています。
お礼
分かりました。ありがとうございます。
- littlekiss
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spitzer3さん、こんばんは。 ●言葉によって生じる感情と知覚したイメージそのものによって生じる感情とが一致すると、言葉の理解がしたと言えるでしょうか?………云々 昨日、ちょうど数学カテを眺めてたんです。で、おっ?!コレは?!面白そうな問いだなと。どんな問いかと言いますと、方程式を教えて下さい。とかいうタイトルだったかとはおもうのですが、中をみると 5X=8000+X 読めば、答えは2000だということはわかっているというお話でした。 いけません、もうここからいつもの「なんでだろう?」の謎追っかけモードにスイッチオン!思索思索思索…想像巡らせ一昼夜…日付けが変わりピカッ=☆と、ひらめいたときには時すでに遅し締め切られてました。トホホ…と。失念の思いさめやらぬときにspitzer3さんのこの質問を目にしました。おぉ、捨てるカミあれば拾うカミありはたまた袖スリあうのも多生の縁とばかりにわたしの戯言少しきいてくれますか? 例えば 5X=8000+X まずこれをみて何をイメージしたかといえば… ( A 空間 )= ( B 空間 ) で この2つの空間の間に置かれた「=」は異次元トンネル A→B A←B と、トンネルをくぐって空間を移動すると行った先ではもとの性質が変わる。逆さま。あったはずの常識もコロッと非常識に。 磁石を思い出して +とーは…ひきあう(くっつく) +と+、ーとーは…ひきあわない(くっつかない)けれどトンネルをくぐるとこの常識は通じない 5X=8000+X B空間のXはトンネルをくぐってA空間へ 5XーX=8000 B空間内は+とーなのでくっつかないひきあう 4X=8000 A空間とB空間、別次元なのだけれどA空間で起こることは同時にB空間でも起こる。A空間の「4」が消えるとB空間ではA空間の「4」に匹敵する「6000」が消える X=2000 みため「×」みため「2000」みためまったく似ても似つかぬ別空間のような空間なのだけれど同じ そして、 5X=8000+X と X=2000 も みため似ても似つかぬけれど…もとは同じ 5×2000=8000+2000 10000=10000 2000=2000 大きい三角形のなかにすっぽりおさまる小さな三角形 相似形 言葉の理解はみためにまどわされるからではないでしょうか?
補足
>言葉の理解はみためにまどわされるからではないでしょうか? このみためというのはいったい何なんでしょうか?
- iuytrewq
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単純に言って、理解するというのは、人が言った事をいかに頭の中で具体的にイメージ出来ているかだと思います。 例えば、りんごと言われたらすぐに赤くて丸いものをイメージ出来ますよね。 つまり、言葉とそれに対するイメージはセットになっているという事です。 結局、言葉は単なる記号に過ぎないわけですからね。 そういう意味で理解出来ないという事は 1、先ず、言葉の意味自体が難しくて理解できない。 2、意味が分かっても、抽象的過ぎてイメージが絞れない。 例えば、「痛い」と一口に言っても、それが体なのか心なのかはっ きりしない。 という事だと思います。
補足
>単純に言って、理解するというのは、人が言った事をいかに頭の中で具体的にイメージ出来ているかだと思います。 しかし、頭の中で具体的なイメージを想起しなくても人間は動いていますよね。だから、イメージの想起とかじゃなくて、体の反応というのがいかに理解しているかなんだと思います。 頭の中の具体的イメージで動く反応と、言葉による反応が同じなら言葉を理解しているのではないかと思ったのですが、同時にはできないので、やはり頭の中の具体的イメージで動く反応と、言葉による反応は違うのでしょうか?
脳は分業で仕事をしていますから、一方では英語お理解していない部分があります。 自己の同一性に亀裂を入れるような悩みは、際限がなく疑問がわくようになるので、関わらないようにしないと哲学なしには生きていけない廃人になります。 正しい言葉とはどういうものかというと、脳内の記憶や情動には必ず感情がこもっていますが、同じ言葉を操る時にこの感情に一貫性があることです。 日本語の特徴はよくお分かりかと思いますが、避けて通れない疑問です。 脳内でお仕事をしてあなたを支えている小人さんの中に、ダジャレが好きな、へんてこりんな悪魔が混ざっているとお考えください。
補足
>正しい言葉とはどういうものかというと、脳内の記憶や情動には必ず感情がこもっていますが、同じ言葉を操る時にこの感情に一貫性があることです。 言葉によって生じる感情と、知覚したイメージそのものによって生じる感情とが一致すると、言葉を理解したと言えるのでしょうか? しかし、言葉によって生じる感情と、知覚したイメージそのものによって生じる感情とが一致していることというのは確かめられるのでしょうか? 言葉は言葉による反応、知覚したイメージは知覚したイメージの反応で違ってきてしまうのですかね。
補足
>能力を共通言語に置き換えることで理解はcomprehensionではなしにunderstandingと なんていうかその共通言語を理解しているのかだと思う。 私が思うに正しい使い方というのは、ただ違和感を感じないということなのではないかと思っています。