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貨幣の哲学
貨幣の哲学へお運びいただき、誠に有難うございます。 この質問は、価値・所有・交換・商品・貨幣に関し、 あれこれ考える私のアンテナショップ的な場所です。 今年のメインテーマは 「利益」について、 そこで質問は 「正しい利益と不正な利益の違いとは何でしょうか」 例えば、村上ファンドは、莫大な利益を上げました。 結局、インサイダー取引と言う、証券取引法という、 ごく限られたレベルでの違法性により崩壊しました。 ここで言われる、不正な利益とは、手順の問題ですね そこで質問は 「正しい状態から、正しい方法で得られた利益は、 どのような莫大な金額になろうと、それ自体正しい」 という命題を肯定できるかどうか、という質問に変わってきます。 この質問は今年一杯締め切りません、予定ですが。 同じような考え方の本とか、価値・所有・交換・商品・貨幣に関しても 面白い知見をご存知の方は、ぜひともお教え下さい。
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質問者が選んだベストアンサー
よく解りませんが、 ・適法な手法で ・労働の対価として適正な範囲で ・従業員にも適正な分配が図れる経営で得た利益。 しかも、顧客が感謝して、喜んで購入してくれる付加価値を生み出した ことによる利益。 これらは活きてくるでしょう。 誰かが泣いて得た利益は、一時良くても、結果がよろしくないようで…。 適正なは、その時の常識により、可変的と思いますが…。
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アンテナショップとのことですので、 ちょっと立ち寄ってみました。 「正しい状態から、正しい方法で得られた利益は、 どのような莫大な金額になろうと、それ自体正しい」 この場合の正しいとは交換的正義を指しているようなので、 そうであれば確かにそれ自体は正しいと言えると思います。 しかし、莫大な金額というのが引っかかるところで、 交換的正義が満たされたたならば配分的正義も満たされるかは疑問で、 結局は個人間の平等、不平等の問題となり、 終局的には、社会対個人の問題となってくるのではないでしょうか。
お礼
忘れた頃に、お礼の書き込み、 大変ご迷惑をお掛けします。 ベルクソンやってますか?少し解りにくい部分もありますが、 「世界はイマージュの総体であると言ったが、私の身体もイマージュの一つであり、それどころか私の脳もイマージュの一つである。換言すれば、私の身体と脳が物質界の一部であると言う事物の視点を立てることも可能であるということである。その視点で見れば、私の身体と脳は単なる物体であり、それ以外のすべての物体と自然法則に従った作用・被作用の関係をもつのである。それらに対しては全宇宙のすべての物質点からの作用がとどいている。ただしそれらはそれらの作用をそれらが隣接する物体に直ちに伝えてしまうから、それらを知覚することはない。さしあたり私が知覚するのは私の身体にとって実用的な価値ある事物――まずは私が食べることのできる食物とか逆に私を食べようとする天敵とか――である。 そうした事物以外からくる刺激は反射像を結ばせないで体内を通過させてしまう。なおそのとき結ばれる反射像は、私の脳が私の脳内に結ぶのではなくて、それらの刺激がそれらを発する対象に送り返されてそれらの対象上で結ばれるのである。脳は表象を生むのではない。刺激を選択するだけである。 これはきわめて関心的な選択であるから、その意味で主観的な認識である。ゆえにまったく無関心的な物質点にもし意識があるならば、そのような物質点が持つであろう世界の知覚は客観的・実在的な認識となるであろう。ベルクソンはライプニッツのモナドロジーで「微小知覚」と呼ばれるものにならって、そのような物質点が持つだろう知覚を「純粋知覚」と呼んでいる。これは物質自体であり、デカルトで言えば延長実体である。これに対する思惟実体の第一属性を記憶に求め、それを「純粋記憶」と呼んだ。しかし両実体はともに極限概念として扱われており、精神を離れた物質や身体を離れた意識の実在問題の回答を本書のみに求めるのことは困難であろう。」(『ベルクソン読本』記憶と知覚の二元論 石井敏夫 主に「物質と記憶」に関する部分の抜粋) おまけにならなければ、捨て置いてください。 質問を長持ちさせるのは、やはり難しかったですね。 有難うございました。
補足
>しかし、莫大な金額というのが引っかかるところで、 よかった、此処で引っかからない人が多いと、この質問の意味はなくなってしまいます。 お気楽にお寄り下さい、お茶も出せませんが(笑。 このお店では、平等は取り扱っていないので、 次回までに、お取り寄せしておきましょうか。 >しかし、莫大な金額というのが引っかかるところで、 これを、社会と個人の関係ではなく、 そう感じる、自分自身の内面を掘り下げては駄目でしょうか。 失礼しました、お礼はまた改めて、有難うございます。
- phj
- ベストアンサー率52% (2344/4489)
#3です。 独り言ありがとうございます(笑) 碩学でいらっしゃいますね。残念ながら、ゲゼルは読んでおりません。 私の興味は、もう少し別のところにありますので・・・ しかし、胸をお借りするつもりで、補足を希望します。 ニクソンショックの後、兌換貨幣が無くなり、すべての貨幣は実態を表さないマネーになりました。 ですので、現状での「貨幣の哲学」を考えるとき、利子と利益を区分するのは不可能と考えます。 逆に、交換により利益を得る場合は、必ずしも「貨幣」を介在させる必要はありません。(それが貨幣で利益を表すとしてもです) この場合、「貨幣の哲学」という命題に矛盾します。 質問者さまは、現状での経済を基本に考えられておられますか?それとも、時代区分は無く、純粋命題として考えておられるのでしょうか? お教えいただければと思います。 また、「腐らない=自己増殖」についてですが、会計に減価償却が必要であることを考えれば、貨幣のみ自己増殖する理由になると思っております。 若輩者につき、失礼があればご容赦を。
お礼
補足要求、大変有難うございます。 ご紹介頂いた本は「地域通貨」かメインテーマで 私の興味と少し別の所に有ったのです(笑。 一応、貨幣と通貨の言葉の使い分けは、意識していますが・・・ 浮世の義理ごとも多く、補足は週末の時間のあるときに、 多分探すのに一苦労しそうです。 自己増殖の件は、法人を念頭に置いていたのですが その件も、よく考えてみます。 お若いのですか、まぁ羨ましい。年寄りに暫し時間を下さい。 有難うございました。 この質問を長持ちさせるため、お礼を遅らすことを他のご回答者様にお詫びします、遅れた分の利子が付けれるのか(笑。
補足
利益と利子の違いについて 最近、話題になった「利息制限法」で、利息の上限30%を認めるかどうかで、色々議論になっていましたね、 ところで、「利益率制限法」という法律は聞いたことが有りません。 つまり、仮に「利息制限法」が何らかの本質的根拠から制限する理由があり、一方、利益に関して、上限を制限する、本質的根拠が無いと帰結されるとすると、この二つは、違うものだと、定言する事ができるのではないでしょうか。この理屈は、あくまでも仮定の上での考察ですが。ただ、今回は利益と利子の違いについては、出来るだけ関わらずにおきたいです、理由は最後に説明します。 ご回答を、改めて読んでみると、ご回答者様と質問者とは、不正な利益が存在するという意味において、質問の後半の命題を否定している点では一致しているようです。ただ、利益をどう考えるかで、少しと言いますか、或いは、根本的なところで、考え方の不一致があるように想像されます。マルクスの価値形態論のような表現がありますから、そこから想像したのですが、誤解でしょうか。 質問者は、価値相対主義とか唯物論者とか、はっきり自身を表現する言葉に恵まれてはいません、いまだにふらふらしています。ただし、価値は主観なのか客観なのかと言う点では、価値は主観に多くを依存していると、考えています。この辺りで、違いがあると想像しますが、如何でしょう。 正当な利益は存在する。質問者は肯定しますが、ご回答者様は、条件を付けておられます。 この違いが、何処から来るのかは、興味深い点です。 質問者にとって正当な利益とは、交換による利益です。 交換は双方に利益をもたらす、贈与さえ与える側にも贈る側にも、「利益」(この表現は別の言葉のほうが似合うのでしょうか、例えば価値)が生じるはずです。と言うか、そもそも、「利益」が有るから「交換」する、と言った方がよいのかもしれません。 所で、交換によって貨幣が現れる現象ですが、交換では差異が根本的な役割を担っているにも拘らず、交換は等価だと仮定するわけです。「交換価値」とは本当に存在するのでしょうか。人間の本質的な部分に「見立てる」と言う事があります、差異が問題にも拘らず、交換によって同じ物が交換されたと「見立てて」しまい、同時に人間性の中の因果的な反復を探し出す習慣が、其れを補強します。 昨日は交換できたが、今日はできない。確かにこれでは困りますから、現実の世界では「貨幣」は有益な道具として現れます。しかし、結果、交換の基本である要求の質的差異が、均質の量としての差異、数列として扱われてしまいます。質問者としましては、この辺りが本質的問題意識で、安く買って、高く売る、このような利益が、不正か正当か、と言うような問題意識の次元までは、考察が届いてはいないのでしょうね。 さて、今回の質問の意図ですが、法哲学における「悪法も法か」と言う問題と共通した問題を引き出したいところです。質問の命題をあっさりと認める事が出来ないのか、なぜ出来ないのか。最近、法哲学の本を読み出したのですが、経済学では無視され、哲学や社会学で少しずつ考察されていた「価値」が法哲学の分野で「価値相対主義」と言った主張の中で盛んに議論されています。少し不思議なのですが(笑。 この事は、質問時には気がついていませんでしたが、「悪法も法か」と問うと循環論のように「自然法」を要請すると言った事になるらしいのです。この辺りは、法哲学も始めたばかりで、間違っているのかもしれませんが。 さて、命題は正しい。 貨幣は便利な道具として必需品。 これに抵抗を示す、理性、カントの言葉を借りれば「道徳法則」アダム・スミスの言葉では「道徳感情」。 いえいえ、それはあなたの「負け犬のたわごと」ですよと、諭されるのが落ちでしょうか。 これで、補足要求にお答えできたでしょうか? 質問者はご回答者様が想像されているような人物では有りません、甚だお答えできたか自信がありませんが、別のものの見方や、自分の考えに矛盾を見つける事は、ある種の進歩で、この辺りは「バカ」の強みでしょうか。 色々アドバイスお願いします。
- phj
- ベストアンサー率52% (2344/4489)
質問者様は「腐らない貨幣」という貨幣の一側面をご存知でしょうか? 詳細は省きますが、 「貨幣は腐らないがゆえに、自己増殖」します。 正しい状態から、正しい方法で得られた利益だろうが、不正な状態から得られた利益だろうが、「腐らない」がゆえに、社会公正に対して悪影響を及ぼすという一面をもっています。 またこの場合「価値・所有・交換・商品」はすべて貨幣(の価値)の別の形態か、または自己増殖のための一手段です。 そのため、「正しい」と言う言葉の基準を、社会の自立的な継続、つまり誰もなにもしなくても経済が循環し、人々がだれもお金に困らない社会を実現する、という点におかれるなら、(腐らない)貨幣が得るすべての利益は不正であるといえます。 エンデの遺言―「根源からお金を問うこと」 をご一読ください。
お礼
おまけ 「みずからを与える道を見いださなかった女は、みずからを売る道を見つける」という、スタンダールが引用した楽屋内の諺を裏返して、ニーチェはこう書く、「誰も彼女を与えてもらいたいとは思わない、だから彼女は身を売らざるをえない!」このようなかたちでニーチェは、情欲のプロセスそのものを言い表しているのである。ということはつまり、産業の利潤追求は、快楽に暗黙のうちに含まれるこうした戦略に、対応しているということだろうか。 制度の世界から理解してもらうために、完全なる怪物性は、交換可能な財についての抽象的記号をその世界から借りるのだ。それは結局、普遍的に真であるようなコミュニケーションはただひとつしかない、つまり身体的諸記号による秘密裏の言語によって身体が交換されることしかない、と断言することにほかならない。[サドの]論理はおよそ次のようなものである。つまり、諸制度は、身体の交換のかわりに通貨という、中性的でしたがって曖昧な記号をつかった財の交換を置くことで、個人の自由を、つまりは諸人格の完全性を守ることができると主張する。しかし、富の流通を隠れ蓑として、通貨は実は身体の交換を、制度の名と利益のために秘密裏におこなっている。制度は完全なる怪物性を否認するのだが、その否認は裏返って、事実上の売春、肉体的および精神的な売春を生み出すのだ。そしてサドが想像したさまざまな秘密結社の意味のすべては、次のようなジレンマ、身体の交換による諸存在のあいだのコミュニケーションか、それとも通貨という記号のもとでの売春かというジレンマを浮き彫りにすることにあったのだ。(『生きた貨幣』クロソウスキー) ご回答有難うございます。 利子に関する「おまけ」別の所で使ってしまい、生物です、腐らないうちに、ご賞味するか破棄(奨励)して下さい。 いま、岩井さんの貨幣論を蹴っ飛ばしている、面白い本を見つけました、但し、ラカンが出て来るんです、「ラカンの貨幣論」信じられない(笑。
補足
>(腐らない)貨幣が得るすべての利益は不正であるといえます。 これは、利子・利息の事ではないでしょうか。 確かに、利子と利益はよく似た概念で、根元が同じ様な所に在るかも知れませんが、 今回は、日常の常識的な言語表現の中の「不正な利益」と「正当な利益」に関する点です。 利子に関しても出来れば批判的な考察を始めたいのですが、 今回は、利子と利益は区別できるという前提で質問しました。 ご紹介頂いた、NHK出版からの「エンデ」関連の二冊の本は拝読いたしました。 もう少しゲゼルの「減額する貨幣」の理論を紹介していただければうれしかったのですが。 言い換えるとゲゼルの理論は「腐る貨幣」かもしれませんね。 いま、久しぶりにゲゼル関連のページを見ましたら、新しい翻訳がありました。 ご回答のお陰と、一先ずお礼いたします。 今回も独り言で、お礼は後程、改めて書き込んでみます。 ところで、腐らない=自己増殖、これは不思議だと思いませんか。 あぁ、また余計なことを。お礼は後で・・・済みません。
- joyfullife
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「正しい状態から、正しい方法で得られた利益は、 どのような莫大な金額になろうと、それ自体正しい」 ということは肯定できると思います。 エリザベス女王とか、すんごい金持ちですが問題なしでしょ? とりあえず、いろんな意味でつっこむスキがないもん。 つまり正しい状態から、正しい方法で得られた莫大な財産。 ビル・ゲイツはまだこれからどうなるかわからないけど 今のこと財産保持しそうだし。 正しい利益と不正な利益の違いは手順の他に どっちの立場で考えるかにもよる。 正しいとか不正とか 時代や法律や政治でもコロコロ変わるしね。
お礼
#1様のお礼で観戦をお願いしたのですが、見事に、かわされてしまいました。 質問を長持ちさせる、悪知恵を模索すれども、ネタが尽きてきたかも。 >エリザベス女王とか、すんごい金持ちですが問題なしでしょ? そこで、少し調べますと、いろいろ厄介なことも、有るようです。 英国の王室は、ヘンリー8世辺りが、基盤のようですが、 ヘンリー8世の妻は、スペイン王の娘でカトリックなんですが、 ヘンリー8世は、この妻と離婚を強引に進めます。 カトリックは離婚を認めませんが、当時は、宗教改革の機運もあって、 ヘンリー8世の離婚を民衆は支持したようです。 結果、スペインとバチカンの支配を逃れ、独立した英国教会の首長となります。 そんでもって、今までの教会の財産をみんな没収してしまうんですね。 まぁ、法律を作ってやるわけですから、合法的なのかな。 歴史は、要するに勝者の理屈ですから、鵜呑みにする訳にもいけません。 おまけ 先日、何処かの政治家が、日本人を昔から単一民族とか言ってたけど、 例えば「石干見(いしひみ)」 潮の満干を利用する、漁猟道具というか、罠のような施設です。 海の中に、堤防を作って、干潮になると中の魚が逃げられなくする。 現在はほとんど使われていませんし、廃棄されていますが、 石干見の分布を見ると、韓国南岸、九州西岸、沖縄、台湾、フィリピン、インドネシア・・ いつのことやら、ぞんじませんが ひろい範囲で、移動する、海洋民族の流れがあるのかも。 でも、偶然と共通、潮の差異と、そもそも、魚を食べるの?
補足
>コロコロ変わるしね。 好きですね、こういう表現、私は楽観的な方ですが、うん~。 少し楽観的過ぎるような、物の値段や給料がコロコロ変わったら困らない。 それは置いておいても、命題の件 元が、専門家の命題ですから、隙は無いですよね。 ただ、この状態の帰結を想像するとどうでしょう。 経済成長の必要性を強調するため「交換」は双方に利益がある。 ゆえに「交換」の増える成長は必要だ、と言うのが一つの理屈です。 ところで、この状態の帰結は、持つ人と持たない人との二極化です。 「交換」の前提となる条件を破壊すると想像するのは悲観的過ぎるでしょうか。 御礼は、又、改めて、ゆっくり書かせていただきます。 これも、独り言です。
お礼
ご回答有難うございます、今回質問を長生きさせるべく、わざわざ、お礼を遅らせております。 今回、適正な利益とか正当な利益とか、また不正な利益とか、常識では解り切っていると思われている、観念について、疑問を投げかけたのですが、質問の過程で、面白い論点を発見しました、通常は一旦質問を閉めて、改めて質問しなおすのがマナーかもしれませんが、ここのシステムは、新しい質問がどんどん増えて、ひとつのことをゆっくり考えて、知識の交換を継続するのには、不向きのようです。予定を早めて、新しい試みにチャレンジしてみますので、観戦お願いします。 おまけ 金の発掘会社は、設備を増資するため資金を調達します、投資による増産量を金の現在価格で見積もりますが、この時、将来の金価格の低下をヘッジするため、先物の金を売っておきます。もし金の値が下がって、投資が回収されなくても、先物で売った取引から、利益が保証されます。 ただし、この結果、金の発掘会社は、自らが掘り出す金の価格を下げています。 参考文献(『いまなぜ金復活なのか』フェルディナント・リップス) おまけにならなかった、失礼しました。
補足
お世話になります。お礼は改めて、ゆっくり書き込ませていただきます。 当初、最初の質問だけを予定していたのですが 少し抽象的過ぎるので、ノージックの命題を拝借しました。 かえって解り難くなったでしょうか。 私は哲学に詳しいわけではありませんが、 少なくとも論理的に理解したいのですし 曖昧な部分を出来るだけ少なくしたほうが良いのでは。 適法と適正は違いますよね。 命題を適法と仮定しても、それが肯定されるために適正が要請される根拠は何処に在るのでしょうか。 え~と、この突っ込みは、ご回答者様に対してではなく、質問の意図を明確にするために書いております、再回答を特にお願いする物では有りません、年を取ると独り言が多くなると、お笑い下さい。