- ベストアンサー
疑いの心、信じる心
人間関係でもっとも大切なことは、信頼関係。 人を疑い始めたら、きりがない。なにもできない。 人を信じるとお人よしになってしまい、バカをみる。 疑い深い人間は、それ以上人を信じることはできなくなるものなのでしょうか。疑い深い人間を救う道はないのでしょうか。 愛する人を疑う心、離れている人を疑う心、そばに居ても疑う心、信じてあげる心に変えるにはどんな体験が必要なのでしょうか。 体験から救ったお話をお聞かせください。
- みんなの回答 (6)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
考えられることとしては、一つは、その人が、過去に相当ひどい心の傷を負っており、いまだに立ち直れない状況であるということ。 もう一つは、そういう気質の人である、ということであり、これは、改善の可能性もあります。全般的に、未熟であるわけですから。 相手を悪者にしていれば、自分は楽ですからね。また、むやみに相手を疑うとは、ある意味で、自分を優位に立たせようとしている心の表れです。でもこれらは、醜い甘えの上に立った感情です。ですから、多くの場合、そばにいて、疲れてしまいます。ひとり、また一人と友達は去っていき、本人の被害者意識、疑いの心はさらに深まる、という悪循環を起こします。 全くの他人事として言わせてもらえば、「そんな甘ったれ、放っておけ」と言いたくなるのですが、どうも補足欄を読みますと、そうもいかないようですね。どういう事情かはわかりませんが。 でしたら、カウンセリングの定番、「繰り返し法(?)」を導入してはどうでしょうか。 相手の人が言っていることの要点を、そのままオウム返ししてあげるのです。 「あの人、許せない」「許せないんだあ…」 「○○なんて、大嘘だよ、俺たちをだまそうとしているのさ。」「だまそうとしているの?」…など。 これ、言いたいことを我慢しなければならないので、結構ストレスがたまりますが、根気強くやることが大切です。そのうち、「でも、俺も、あれは言いすぎだったけどな」「言い過ぎ?」というように、相手が謙虚に自分を振り返るようなことを言い出したときが、あなたの主張をするチャンスです。ただし、やんわりと。 そんなことを重ねていくうちに、多少心も開けてくるのではないかと思われます。
その他の回答 (5)
- kobutatyann
- ベストアンサー率50% (1/2)
はじめまして。私は人を疑うことがなかなかできない人間でした。だけど、人が人を裏切り、裏切られた人を見て、私は人をまるごと信じなくなりました。だから、私は 決定的な弱みを他人には決して見せません。いずれ、心から信頼できる人が現れるまで。だけど、私はこれでいいと思います。 人は弱いんですょ。だから、人なんです。自分を見て、他人を見てみて。 そう思いませんか? 自分も、他人も、 おんなじ。人なんです。 nikaさんは 自分を信じていますか? nikaさんは 新しい体験を必要としているようですが、まず、nikaさんがやることは、今ある事実 それだけを まるごと みること。 真実は一つしかないんですょ!!簡単です。 「疑う心を信じる心にかえよう」と思う必要は ないと思います。 真実を見ようとする努力ができれば、「信じる・信じない」に惑わされることはなくなるはずです。
補足
私は人を信じる人間です。たとえだまされるとわかっていても信じてあげようと思う人間です。 しかし、彼はそこまで疑わなくてもいいのにと思うくらい人を疑い信じない人間なのです。 両極端なんでしょうね。 おそらく真実が曲げられているのが、原因のような気がしてきました。 ありがとうございました。
- ms1434
- ベストアンサー率45% (37/81)
私はカウンセラーとして活動しておりますので、仕事の関係上、実例を挙げることはできないので(クライアントの守秘義務に反するので)このようなケースの場合、有効な手段の一つとして私がよく使っている方法を回答させて頂きます。 1、ラポールを確立すること。 ラポールはコミュニケーションの架け橋のことです。 ラポールが成立していると「この人は信頼できる。安心だ。」という感じ を抱かせることができます。 具体的方法としては、相手をよく観察して姿勢、呼吸、言葉の調子、など にペースを合わせたり、相手の話を聴きバックトラックフレームします。 バックトラックフレームとは、songbookさんの回答にも書いてありますが 「繰り返し法」という方法です。 以下に示す誘導瞑想法は1、のラポールがとれていないと効果が薄れる ことがあるので、十分にラポールを取ってください。 2、誘導瞑想法 今回のようなケースの場合に有効です。 手順は守ってください。それによる導入方法を例として挙げておきます。 (1)相手に目をつぶってもらう。 大きく深呼吸をしてください。 (2)想像の中で映画館に入ってもらう。 「あなたは今映画館の入り口にいます。その映画館は今日はあなたの 貸切です。その映画館に入りどこでも好きな位置に座ってください。 映画のスクリーンが目の前にあります。 ではあなたの体はそこに置いたまま、意識だけを映写室に移して いきましょう。映写室からはスクリーンとスクリーンを見ている 自分の後姿が見えます。イメージ出来たら返事して教えてください」 相手の返事を待つ。 (3)自分の人生物語の映画を上映してもらう。 「その映写室にはあなたの人生の映写機が置いてあります。自由自在に その映写機はあなたの人生を映し出してくれます。 今回の事を最初から最後までスクリーンに上映していきましょう。 あなたは映写室で機械を操作しています。そしてあなたの目の前に は、映画のスクリーンとスクリーンを見ている自分の後姿が見えて います。 では上映してください。そして上映されている映画は白黒です。 上映が終わった場面で静止画像にしておいてください。 静止画像になったら合図して私に教えてください」 (4)上映終了後 「あなたは今この映画を見てどんなことを思いましたか?」 「あなたは今この映画を見てどんな感想かを教えてください」 とどちらかの質問を軽くする。 簡単に2つ3つほど答えてもらう。 相手が返してきた答えはどんな答えが返ってきても「繰り返し法」 で繰り返し相手にそのまま返す。 (5)質問終了後 「映写室から後ろを振り返ってください。自分の楽しい思い出が一番 詰まっているカラー写真のある美術館があります。 そのカラー写真の中から、つい最近一番楽しかった思い出の写真を 一枚選びましょう。」 「その写真は取り外しが簡単に出来ます。その外した写真を持って 後ろを振り返って映写室に戻りましょう」 (6)映画館に戻ったら 「映写室から映画館に座っている自分に意識を戻しましょう。 映画のスクリーンには先ほどの静止画像が映ったままです。 今度はそのスクリーンに今、美術館から持ってきた写真をはめ込み ましょう。そしてはめ込むと同時にあなたもそのスクリーンの中に 飛び込んでいきましょう」 (7)スクリーンの中で 「今どんな体験をしていますか?」と質問する 「楽しい」「嬉しい」などという肯定的な答えが返ってくれば成功 逆に「何も感じない」とか「苦しい」という否定的な答えが返って きたら失敗ですので(2)からやりなおしです。 (8)肯定的な答えが返ってきて成功したら 「あなたは今、自分を乗り越え、恐怖を克服しました。ですがこの ような事は将来にも起こり得ます。将来起こったときにも今回と 同様に出来事から学んで、克服することがあなたには出来ます。 そして自分を信じて大きく深呼吸をしてこの部屋に意識を戻して いきましょう。そして準備が出来たらゆっくり目を開けてください」 私が普段のカウンセリングで実践的にやっている方法を書かせていただきましたが、このようなケースの場合は、事実を受け止めて冷静に見ることがポイントになります。この方法では、人の持っている「恐怖」を「大丈夫だ」という体験に書き換えて潜在意識の中に埋め込む方法として使用しています。 コミニュケーションの件でもよくクライアントに言うことですが、「~だろう」っていうのは「あなたの勝手な思い込み」だから、「~だろう」と思ったらそれを質問に変えてみてください。と言います。 そのときの聞き方としては、 「今のことを聞いて、私はこう思ったんだけどそれでいいのかな?」 とか 「今のことを聞いて、私はこういう意見があるんだけど、あなたはどう思う?」 「今の話を聞いて私はちょっと疑問に思ったことがあるんだけど質問していいかな?」 とかですね。ポイントは「私は~」という言葉を使うことです。 自分が思うことと、人の思うことは同じとは限りません。 ただ聞いてるだけとか、相手のいう事を繰り返すだけではカウンセラー側も疲れますし、ストレスも溜まります。 もしあなたが、カウンセリング的に相手とコミニュケーションを取るなら、相手の方が8割話す。自分は2割話す。という形にすることです。 言葉のキャッチボールが出来ているのかを確認しながら、本当に相手のいう事の奥底にあることを引き出してゆくことが必要でしょうね。 誰でもそうですが、否定的な事実は認めたくないのです。特に今回のケースのような件に関しては特にそうだと思います。 「事実を認めること。事実を受け止める様にすること」が大切です。 事実を本人が認めて受け止めてから問題解決の糸口が見えてきます。 そのときにも、本人の口から答えを出させるように、質問を続けてみてください。「自分が起こした問題の答えは全て自分が持っています」 今回のケースは事実を認めることにポイントを置くのであれば(1)~(4)まで実施すればいいでしょう。 ですが、今後の将来に関して今回のことがトラウマ的に残ったままになってしまうことも考えられるので(1)~(8)の最後までやることをお勧めします。 「誘導瞑想法」が終わったあとの質問の途中で「判らない」という答えもあるかもしれません。そのときにはあなたの方から「こんな方法ではどうですか?」と方法を提示しても構いません。 長くなりましたが、今回ご紹介した方法は私が学習したNLP(神経言語プログラミング)と呼ばれている心理学にある、恐怖症治療の方法の一つです。 即効性は抜群です。 NLPに関しては参考URLを参照願います。 長くなり失礼しました。ご参考になれば幸いです。
お礼
ありがとうございます。 わたしは、いま彼の聞き役になっています。 全部、否定せず聞き役になっています。 自分がマインドコントロールされそうなくらい、つらいです。 もっと詳しくお話をしなければならないと思っています。 補足欄にできるだけ詳しく書きたいと思います。
補足
私と彼と彼女がいました。 彼も私も彼女が好きでした。 彼女と彼はDVの関係にありました。 私は彼女を彼から逃がしてあげました。 彼女は失踪しました。 彼も私も当然心配しました。 彼は私を責めました。彼は自分も責めました。 彼は私のことを許してくれました。 でも彼女は戻ってきません。 私は自分のしたことに後悔はしていませんが、このまま彼をほっとくわけにいきません。 彼のしたこと、彼女のしたこと、すべて彼が話してくれました。 しかし、ここでおかしいと思ったのです。 彼の疑う心は、離れている彼女を追いつめるほど、ひどいものです。 彼は彼女を疑い続け暴力をふるったのでした。 私はその暴力から彼女を救うため逃がしたのですが、彼女は帰ってきません。 離れていてますます彼の疑いがひどくなる前に彼の彼女に対する疑いをはらしてあげようと思っているのですが、証拠があるといって、疑いや過去の出来事にいつも怒りを表わしています。 私はなんとかしてこの疑う心を、せめてどうでもいいことにしてあげたいと思うのですが、できません。 彼女は、離れていて責められることに脅え、眠れない毎日だそうです。 彼の疑いの心を消し去り、彼女から彼の呪縛を解き放つことができたらと毎日悩んでいます。 いろいろな参考のご意見ありがとうございます。
- greennuts
- ベストアンサー率17% (7/41)
(勝手な思い込みで) とてもデリケートなことなので、 参考のきれっぱしの、ほつれ ぐらいに思ってほしいいんですが。 私も似たような(おそらく)感情をもったことがあります。 人を必要以上に疑うというのではないのですが、 自分を必要以上に責めるというかんじの人が私のそばにいました。 共通しているのは、‘信じられない‘ という感情かと思います。 私はその、そばにいる人とのやりとりで、 きっと、nikaさんが日々思っているような気持ち(多分、そう違いはないと思う)に、自分自身が押しつぶされそうになりました。 もう、疲れ果てました。 半分、どうでもよくなりました。 そしたら ああ、この人は、こういう人なんだっていう、 当たり前のことに気づきました。 信じられないと思う、その信じられないという ‘その人の気持ち‘ を信じることで、私は、不自然になっていた、その人との関係も 少しづつもとにもどっていきました。 その人と、おなじ方向から見ないと、なにをみているのか、 なにがみえているのか、分からないんだと思いました。
補足
ああ、この人は、こういう人なんだっていう、 当たり前のことに気づきました。 その人にとって当たり前のことと理解するまでは、すこし無理があるかもしれませんが、努力してみます。 なにかがかわるかもしれませんからね。
- songbook
- ベストアンサー率36% (334/910)
どのような相手の方をイメージしてこの質問を立ち上げなさったのかはわかりませんが…。 そのような方を想像したとき、私には、ある口癖が想像されます。 「どうせ」とか、「結局」…など。 人の心の裏を読んだような気分になって、悪い正体を暴こうとしたい。そうまでいかなくとも、ねたんだような視点でものを見てしまい、いつでも弱みを見つけて攻撃しようとしている。 そういうものを、「うがった視点」と言いますよね。 まず、そういう人たちは、(一般論ですが)、自分に自信を持っていません。向上心を持っている上での「自信がない」ならば良いのですが、自信を持たなくすることによって楽をしようとしているのです。そんなときの口癖が、「どうせ私は…だから」です。これを言うことによって、前向きに本人が努力する可能性が遮断されます。 さて。 信頼は、最初から無条件にあるものではありません。親と、小さな子ならば別かもしれませんが。人間関係は、信頼のないところから始める、ということを、お互いに明言しておくべきなのです。信頼は、お互いが歩み寄った上で積み上げていくものです。 だから、信じられると思われるだけの実績を作ることが何よりも大切。(期限を守る、とか、簡単な約束をして、そのとおりに実行するとか。) 冷たいようですが、相手の方が、そういった小さな約束(信頼積み上げのための要素)さえ果たさないようなことを続けていたとしたら、逆に、そういう相手を信頼してはいけない。信頼は、積み上げることによってのみ、作られていくものですから。 あなたは、小さな約束を作り、守りつづけること。 相手の人から、「どうせ」という言葉を言わせないようにし、相手に「私はこれだけの約束は果たす人間だ」という自覚を持たせること。 しいて追加すれば、謙虚な心を、その人が持つことだと思います。具体的な実践例でなくて申し訳ありませんが、現在の、私とカミさんも、絶大な信頼関係の上で結婚したのではなく、現在進行形で、そうやって信頼関係を造ったり、壊したり…を繰り返しております。もちろん基盤は強くなってきていますよ。
補足
自分を被害者にしようとする妄想、つまり被害妄想のある人間って他人のことを疑ったり、自分を被害者にして疑いを正当化したりするものなのでしょうか。 すいません。回答で言ってることは、わかるのですが、相手のことを理解することが先にたっちゃって、こんな補足になってしまいました。
- kenchan2001
- ベストアンサー率30% (3/10)
信頼関係は友達関係でも商取引でもよく重要視されますが、私の持論では「人は信用できない」というベースで人付き合いをします。 信頼関係はその相手を信頼することにより被った自分の損害を素直に受け入れられるかどうかという、自己の裁量に左右されるのではないでしょうか? 万一この人が私を裏切ったらどうするか、その対処方法を考えた上でつきあえば被害も大きくありません。表面上はその範囲内で相手を信頼している「ふり」をすればよいのです。nikaさんの疑う心は忘れずに大切に持ち続けることが自己防衛には必要だと思いますよ。例えば親友が泣きながら「10万円貸して欲しい」とあなたに頼んできたら快く貸しますよね。でも1億円だったらどうしますか?本人が絶対に返すからといってもそれができなかった時あなた自身の財産、家族、すべてを失うことになりますよ。たとえ親友であれ「かならず返すから」という言葉は疑って対処するべきだと思います。10万円ならあなたの裁量でクリアできるから、返せなかった時を仮定した上で貸してあげたという行為は○です。人間は知恵がありますから、どんどん学習して熱愛中の恋人でさえ数年後には浮気することがありますし、誤解から長年の商取引の信頼関係が1夜にして崩れることも日常茶飯事です。100%信頼できるのは知恵のない赤ん坊や犬猫などのペットでは・・・?
補足
アドバイスありがとうございます。 基本的に疑いをもって付き合う知恵もよくわかります。 しかし、性格的に疑いの心をもつ人間に対して、そこまで疑わなくてもいいのにと思うほどの人間に対して、どう接していけばいいのかわからないのです。 誠意いっぱいの気持ちで付き合って、相手の第三者に対する疑念を晴らしてあげたいのです。 時間がかかることもわかっています。 なんと言って疑いの心を信じる心に移すことができるのか、悩んでいます。 すいません。せっかくのアドバイスに・・
補足
なるほど無意識のうちに自分がそういう対応をしていたことに気がつきました。それでよかったのですね。しかし時間がまだまだかかるような気がします。 彼の被害意識がいくらか加害意識にかわりつつあるのですが、状況が最悪で(そのために一人の女性が失踪してしまった)今度は、自分を責めてしまうんじゃないかと心配です。(失踪のきっかけはわたしにもあり責任を感じています)