• ベストアンサー

村主章枝のスケーティングはなぜ表現力があるのか?

村主章枝は情感たっぷりに優美なスケーティングをするので、表現力があると一般的にされていますが、 村主章枝のスケーティングのどのあたりに情感と優美さがあるのでしょうか? 表情以外の部分を指摘してください。 よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#25310
noname#25310
回答No.2

#1です。 >指先の表現云々は、村主選手はクラシックバレエでも意識してるんですかね? バレエのレッスンはしていたようですが、所詮付け焼刃という評価がされています。 日本人は欧米人と違ってバレエ文化はありませんし、特に村主選手はバレエの才能はないと言われます。 指先だけで表情を作るのはバレエではありません。 バレエはスポーツではなく舞踊ですが、それでもバレエも全身で表現することが大切です。 >フィギュアスケートの場合、芸術性とはどういうところが重視されるんでしょう? フィギュアスケート競技における、いわゆる芸術性の評価は次の5項目の点数で表されます。 スケート技術(エッジワーク、スピードなど) 要素のつなぎ(要素の間のステップ、処理など) 演技力(ポジション、身のこなし、スピードの変化など) 振付け(プログラム構成など) 曲の解釈(音楽の表現) 村主選手はトリノ五輪代表選考の全日本選手権では、異常に高いスコアを出して優勝しました。 それでマスコミは「村主の芸術性は世界一」などと報道し始めたのです。 けれど実際のトリノ五輪では、演技構成点は上位三選手(荒川、コーエン、スルツカヤ)にはまったく及びませんでした。 それは彼女らが皆全身を使って表現しているのに対して、村主選手は顔や指先だけの表情に終始していたからです。 今回のグランプリファイナルSPでも、要素のつなぎ、演技力、曲の解釈については、6点台にとどまっています。 要素のつなぎで彼女は顔や指先の表情に頼ってしまい、またジャンプやスピンの処理後にガニマタになる癖があります。 体の堅い村主選手がポジションで高い評価を得られないのは仕方ないでしょう。 また、今回のフリープログラムのように、ボーカル入りの曲を使ってしまうと、「音楽の表現」というフィギュアスケートの大原則を破ることになり、こちらも高得点は期待できません。 フィギュアスケートとは、音楽を身体とスケーティングで表現する競技なのであり、音楽に表現させられるものではないからです。 余談になって恐縮ですが、私自身は村主選手がジュニアの頃からの大ファンで、ずっと見てきました。 彼女の中学生の頃の演技は、それはそれはダイナミックで素晴らしかったんですよ。でもその頃の演技を見ても、芸術的な天分に恵まれなかった人であることは明らかです。 最近の彼女が技術の向上を放棄して、衣装や選曲や指先だけの振り付けで「芸術だ」と主張するのを見ると、とても悲しく思います。

その他の回答 (1)

noname#25310
noname#25310
回答No.1

>表現力があると一般的にされていますが これは日本のマスコミがそう言っているだけです。 村主選手に表現力がないことは、はっきりと国際試合の要素点に客観的な評価として出ています。 村主選手はもともと並外れた運動能力で世に出てきた選手です。 高いジャンプ、迫力のあるフライングシットスピンは男子並と言われていました。 彼女のジャンプ力と表現力が最高潮に達したのが、ソルトレイク五輪の「月光」の演技です。 これは本当に情感をスケート技術を使って表現した、素晴らしい演技でした。 けれどそれ以降、彼女は衣装や選曲や顔の表情や指先の表現・・・・つまり運動能力と関係のないところで表現するようになってから、とても評価が下がってきています。 現実にスポーツとしての技術は「月光」の頃よりも何も進歩していませんし、全身で表現することもなくなりました。 現在の採点方式だと芸術性も客観的な点数が出ますので、よく確認して見てください。 トリノ五輪でも表現力の要素点が下げられてますし、今回のグランプリファイナルも同じです。

noname#64493
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 指先の表現云々は、村主選手はクラシックバレエでも意識してるんですかね?バレエなら確かに指先の表現とかを一流のプロダンサーも意識してるようですが・・・。 フィギュアスケートの場合、芸術性とはどういうところが重視されるんでしょう?

関連するQ&A