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人生相談お願いします
私は他の人と感性というか物事の捕らえ方が違うと思えるような事がたくさんあり、今まで生活しづらい思いを沢山してきました。 これはホンの一部に過ぎない例なのですが一つその例を聞いて意見をお聞かせください。 例)世間一般で言われている信号機の色は赤青黄ですが、私にはこの青がどうしても青には見えずグリーンに見えるのです。幼稚園や小学校の時に 私:「信号機の青はどうして青なの?青には見えないよ。グリーンじゃじゃないの?」 先生:「信号機の色は青ですよ。緑じゃなくて青ですよ」としか教えてくれませんでした。 友人:「信号機の色は青に決まってるジャン、ばかじゃない?」 これ以上、聞く事もできず30年間悩み続けていました。そんなある日、アメリカなど海外では信号機の青の部分をブルーではなくグリーンと言っている事に気づきました。 今回は解りやすく信号機の例をあげましたが、まだまだこのような事がたくさんあります。 こういった物の捕らえ方や感性は、おかしいと学校の先生や友人、周りの人に言われ続けてきました。逆に言えばみんなの考え(世間一般で言う常識や考え)が私には理解できない事が多々あります。 本当に私の物の捕え方がや考え方がおかしいのでしょうか? 私自身こういった事を悩むというのは普通ではないと認識していますが、どうかみなさんのご意見をお聞かせください。
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文面の範囲での私が受けた印象ですが。 物の捕らえ方がおかしいとは思いません しかし、他の方の意見を受け入れる心の余裕が無いように見受けられます。 私の友人には「間違った意見を受け入れられるか!」と 自分の考えだけが「正しい」と思い込む人がいます。 その友人は今心の病になり仕事を休職中です。 何度か復職しましたが基本的な考え方が変わっていないので 短期間で再度休職の繰り返しです・・・。 何度かアドバイスもしましたが、私自身もカウンセラーなどではなく ただの友人です、その人を導くことは出来ませんでした・・・。 友人曰く。 「なぜ周りが間違ってるのに、自分が変わらなければいけないのか?」 だそうです。 ここまで凝り固まってしまうと難しいですが、も少し心にゆとりを持ち 「そうゆう考え方もあるか^^」と受け入れてみてはどうでしょう? 青信号とは「個別名称」であり、必ずしも表示される色そのものを あらわすものではないんだ。的な考え方が出来なければ ゆくゆくは自分(自我)の崩壊に陥る可能性があると思います。
例題の場合にも、もっと掘り下げた回答だったら、mypokeさんは納得できたかもしれませんね。 多くの人が常識として受け止め、疑問にも思わないこともあるでしょう。 そういうことに、mypokeさんが疑問に思うこともあるでしょう。 理解できないときは、理解できるまで調べてください。 一人に聞いて、満足する回答が得られない場合は、満足する回答が得られるまで問い、調べてください。 回答が得られるまでに、長い時間がかかるかもしれません。 そんなに多くの疑問は抱えていられないと思うかもしれません。 それでも、長年持ち続けた疑問、誰も答えてくれなかった疑問の回答が見つかったときは、とてもすがすがしい気分になるでしょう。 (実際信号機の例では、グリーンと呼ぶことがわかったとき、それもまた正しかったと思われたでしょう。) あきらめずに、ずっと疑問を持ち続けてください。 常識は、万人のためのものではありません。 多くの人が簡単に共通の答えを出せるために作った、決まりごとだと思います。 簡単な回答は、常に正しいわけではありません。 どのグループにも共通して、通用するわけではありません。 他人のルールを許容する心があれば、信号を青と呼ぶことも許せるでしょう。 mypokeさんが、「信号の進めの色を青と呼ぶ」グループのルールを、許せるかどうかだと思います。 常識を疑うことは、おかしいことではありません。 少しずつ疑問に思う姿勢は、「幅広い見識」に繋がるでしょう。 「そういうものなんだ」と割り切る部分と、「本当にそうだろうか」と疑問を感じる部分、両方をお持ちになって、使い分けることが大切だと思います。
- kurara19
- ベストアンサー率70% (19/27)
誰でもみんな違う見方や、意見を持っていて当然です。 でも何か疑問に思った時、それななぜそうなのか自分で調べてみる事をお勧めします。 例えに出された信号機の色はなぜ世間では「青」というのか、調べてみましたか? 調べてみれば納得できることも多々あります。 自分の物の捉え方を基準にするのではなく、なぜそうなのかを研究しましょう。 なんの理由も無く世間が同じ物の見方をしているわけではありません。 その理由を調べてから、普通かそうでないか考えてください。 多分私も、他の人とは違う物の捉え方をする人間です。 でも、それをどうこう思ったことはありません。 人間は一人一人違う感性を持っているから、当然の事です。
- popmama
- ベストアンサー率26% (110/415)
こんにちは☆ (*'ー'*)ふふっ♪ なんか私の小さい頃みたいで微笑ましく思っちゃいました。 そうゆう感性、私は好きですし、おかしいとは思いません。 ただ、大人になったら「緑でも青信号という」のはある意味で常識なため、 みんな本当に見える色合いは緑だけど、青と言うのです。 私も幼稚園の頃にこんな思い出があります。 当時私はお絵描きの教室に通っていたのですが、 ある日、たけのこを水彩で描く課題がありました。 先生は「みんなの好きな色で自由に描きなさい」って言ったのに、 私がと~~~~ってもカラフル(皮の一枚一枚が違う色)に描いたら 「たけのこはこんな色していないでしょ」と怒られてしまったのです。 先生は「自由に好きな色で」って言ったのになぜ? と子ども心にとても納得がいかず、親に話したところ、 親も私の気持ちをわかってくれてその教室はやめました。 でも今では、オトナの言う「自由」とは、あるとらわれた範囲での 「制限つき自由」なのだということが「常識」として理解できます。 だから、質問者さんも、オトナになるにつれて頭ではわかっていること (信号は緑色だけど青信号という名称だということ等)を、 ことさらに頑なに「あれは本当とは違う」と言い張ると大人げないとか 常識がないということになってしまうのだと思います。 とはいえ今の世の中、ちゃんと真実の姿を自分なりの目をもって「見る」 ということは、とても大切なことです。 朱に交われば赤くなる、郷に入れば郷に従え・・・ こういった考えのもとに常識とは形成されていってしまうものでもあります。 そしてそれが必ずしも正しいわけではないのですから、 ご自分の感性にちゃんと自信を持って、ただ、頑固に言い張るのではなく、 他も尊重しつつ、バランスをとっていくようにしたらいいのではないでしょうか? 長文になったわりに、あんまりうまく回答できなくってすみません。。。(>▽<;;
Q、本当に私の物の見方考え方がおかしいのでしょうか? A、少なくとも、問題点が多いことは間違いありません。 信号機の色の表現に拘る合理的な理由はありません。 信号機の色を他人がどのように認識しているかに拘る合理的な理由はありません。 正に、「どうだろうといいジャン。馬鹿じゃないの?」です。 「こういった事を悩むというのは普通ではない」-その通りです。
こんにちは、 >本当に私の物の捕え方がや考え方がおかしいのでしょうか? そんなことは、ありません! むしろ、その感性こそ羨むべきだと私は、思っています。 質問者さんのように、早くから疑問などに感ずくことがあったり、その先生のように既成概念(?)に入っているのは、人それぞれなので、気にしない方がいいと思います。 P.S. その感性を大切にしてください。 生活しづらい事がたくさんあっても、きっと後で、「ああ、このままでよかったな、自分を変えないでよかったな」と思える日が必ず来ますから。 では、お体に気をつけて、頑張ってください.
- bakkas
- ベストアンサー率0% (0/3)
私もよく周りから 「お前は変わってるなぁ・・・」とか「〇〇〇君、変人だよねw」とか言われますが、悪い気は一切しません。 もし逆に・・・ 「お前は普通だなぁ・・・」とか「〇〇〇君、凡人だよねw」とか言われたらショックで寝込みます。 だからあなたくらいの方が良い、悩む事は一切ないです。 以上
- kote-
- ベストアンサー率33% (62/187)
こんにちわ。 信号機の例で言いますと、実際の色としては「緑」だと思います。(特に古い信号機) 人によって「緑」で通じますし、たまたまmypokeさんが聞いた相手が「青」だと感じていたんでしょう。 実際、青でも緑でもどっちでもいいと思いますし(笑) そのことでもしmypokeさんの感性が違うというのであれば「緑だ」といいはるmypokeさん同様に「青だ」と言い張ったその友人も感性が違うのでは?と思ってしまいます。 信号機の色の違い・・・実際それで何が困るのかよくわかりません。例えに挙げられた内容が悪いかと・・・(ゴメンなさいね) もっと、生活に支障が出たというような切実な例えがあればお願いします☆ あと、法律や道徳的に問題があるような違いでなければ、反対に成功者になる素質である可能性も・・・今の世に名の残っている芸術家や科学者たちも周りから「変わり者」「変人」扱いをされてきた人たちです。 人と同じ考え方では、新しいデザインや商品は生まれませんしね~ 人と違う感性をうまく使えればいいですね。
- Lacsklein
- ベストアンサー率25% (166/651)
太古の昔日本では緑の事を青と表現していた時代があります。 現在では緑と青とは区別され全く違ったものとして認識されています。 現在に生きるあなたが緑に見えるものを緑といっておかしいことはひとつもありません。ただ、周りの人々はその矛盾を感じながらも緑というより青という方が言いやすいということと慣習から青といっているに過ぎないと思います。そのことにこだわることが悪いこととは言いませんがあまりこだわりすぎれば変人扱いされます。長いものにはまかれろという気持ちでまわりに迎合することも多少は必要であるという事をご理解ください。 ただし、前者でも書かれているとおり他の人と違うことは悪いことではなく非常にすばらしいことだと思います。周りと同じようにしていれば安心だがそこまでであって、周りと違う感性を持っているということはそれだけ他の人には気づかないことに気づく目利きのいい人ということになります。大切にされたらよいと思います。
- kentkun
- ベストアンサー率35% (1106/3092)
ジミー大西さんが小学生の時に校外授業で写生をするように言われているときに、隣に座っている同級生が「せんせい~、大西君は変な絵を描いてるよ」と言われたそうです。 でも、その時の担任の先生は「いいの、大西君にはこんなふうに見えているから、みんなも自分が見たままに描きなさい」と答えたそうです。 それがジミー大西さんの自信になり、下地になり現在の彼の存在があるとテレビで語っていました。 自分の感性は他人に支配されていることがおかしいのであって、自分は他人と違う感性を持っているというのはほとんど全員がそうなんですけど、それをはっきり自己主張できるかどうか、それが大事だと思います。 ですから、他人と違うことで悩む必要はまったくありません。 なぜなら、違うのが当たり前なんですから・・ ちなみに信号の青は、あれはどう見ても緑ですよね。 他にも「青いお月様」なんて表現もありますが、青いお月様なんて見たことがありませんし・・・ でも、人に言うときは「信号が青だった」と言った方が無難なときってあります。 信号無視だろうって警官に止められて、「信号は見たのか」って聞かれて、「はい、緑でした」「はあ?」という会話が「「青でした」だけで済みますから(^_^;