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手術の選択

父が大腸癌(S字結腸、膀胱浸潤)と診断されました。外科医は手術で人工膀胱人工肛門にする事をすすめますがもう75才で体も弱く歩くのもやっとで、精神的にも非常に弱いので、このまま何もしないことを家族は望んでいます。今のところ痛いとかその他の症状は出ていません。父は癌だったとしても自分には言わないで欲しいと以前から言っていたので、告知もせず手術もせずこのままにしておきたいのですが、家族としたら手術をさせた方がいいのでしょうか?経験のある方宜しく御願いします。

みんなの回答

noname#2787
noname#2787
回答No.8

かえってかき混ぜる結果となりスミマセンでした。 私は医師が話す内容、現状、これが理解できたうえで冷静に判断できればご自身で答えがでるかも・・と考えたところの発言です。 患者さん本人の質問であれば絶対に書き込まない内容です。 補足に書き込まれた内容を主治医からじかに言われているのであれば何も付け加えることはありません。「取りきれるといって手術を勧める医師-それを信じる家族と患者」この図式を単純に考えたばかりにご迷惑をおかけしました。 hdchanさんにもあわせてお詫びいたします。

noname#2787
noname#2787
回答No.7

hdchanさんへ 議論であっても質問者さん、およびそのご家族に有害な情報の可能性があれば、回答者は十分情報を開示するべきだと思います。 「取りきれる」という表現は患者に「癌は根治する」という誤った認識を与えかねません。専門家とかかれるのであれば取り扱い規約に沿った表現を心がけられるべきだといいたいのです。推測でお話になられている上で自信あり・専門家・・・少なくとも学問的には外れた記載、これが問題だと申し上げているんです。 「膀胱浸潤=腹膜外腔播種ですが、だからといって取りきれないというわけでは必ずしもない」・・・根治術でありえないものを専門家は「取りきれる」と表現するんですか??普通しないでしょ。しかも術前診断で明らかに膀胱への浸潤がわかる状態。専門家であればこのあたりの判断に違いはでるはずがないと私は思いたいところです。 少なくとも逆パターン 膀胱→コロンのパターンでは絶対に用いない表現方法です。 この場合『取りきれるかも知れない光明の有無』は非常に大きくご家族や患者さんの決断に左右すると「いち臨床家」として思います。それゆえ表現方法にもこだわります。

fusabo
質問者

補足

おはようございます。私が早く御返事しなかったばかりに色々御迷惑おかけしてしまいごめんなさい。主治医の話は要約すると、手術で癌は取れるかもしれないし取りきれないかもしれ知れない。どの臓器をとるかも開けてみないとわからない。取れても再発するかも知れないし、手術後、心筋梗塞等の合併症で命を縮めるかも知れないし痴呆や寝たきりになる可能性もある。でも取れたら、現状の症状(頻尿、血尿)やこれから予想される腸閉塞、尿障害は改善する可能性はある。というような事で、非常に選択が揺れるものでしたので皆様のご意見を伺いたかったわけです。

  • hdchan
  • ベストアンサー率22% (13/58)
回答No.6

shu_sさんへ あまりここで議論するのは本旨と離れますが誤解があるようなので・・・。 >膀胱浸潤=腹膜外腔播種(+)で取りきれるわけがなかろう。 一応これでも医者なので言われていることはごもっともなのは解ります。 が、普通は「取りきれる」と判断しないとここまで侵襲のでかい手術はしないので、「恐らく取りきれるという判断なのでしょうけど・・・。」と書いたわけです。 ちょっと姑息的にこの手術をしようとは普通思わないんじゃないかと。 それでそこのところの補足を要求したのです。 あと、確かに膀胱浸潤=腹膜外腔播種ですが、だからといって取りきれないというわけでは必ずしもないと思いますが・・・。

fusabo
質問者

お礼

hdchan様ありがとうございます。私の説明不足で色々ご心労おかけしました。私も医学の道を目指していれば自分で解決できたと思い後悔しています。(そんな頭脳をもちあわせていないくせにね)これからも悩める患者さんの手助けを宜しく御願いします!

noname#2787
noname#2787
回答No.5

hdchanさんへ そこであなたが専門家を選ぶから誤解がおこるんですよ。 専門家だったら考えもしないはずの回答を書くではないです。質問内容が内容ですから・・・警告。 膀胱浸潤=腹膜外腔播種(+)で取りきれるわけがなかろう。考えよ。

  • miki12
  • ベストアンサー率28% (720/2495)
回答No.4

・・・つらい状況ですね。 私の母はもし自分が何か病気になって、直る見込みがないのなら 無駄な延命治療はしないでほしいといいます。 私も自分に関してはおなじです。ただ生きているというだけの状態で ベッドに縛り付けられるのはいやです。 (それなら余命何ヶ月と告知してもらい、それまでの日々を満足に過ごしたい ですね。うちはそういう考えなのです^^;;) ある程度の年配の方は手術をすることにより、精神的によわくなり 入院中に物忘れがはじまったりしますし、開腹手術をして、体力を 余計奪われるということも多々あります。寝たきりになるというおそれも あります。 人工肛門にする場合、本人に隠すことはできませんよね。 本人が人工肛門にしても生きていたいという強い望みがあるならいいですが そうでない場合人工肛門にされた、自力で排泄ができない、ということを どう受け止めるでしょうか。人によっては「情けない」と思うかもしれません。 「こんなものにたよって屈辱だ」とおもうかもしれません。 その辺が難しいんです・・。 まったく素人の意見で申し訳ないのですが40代50代のかたの場合は 進行が早いかもしれませんが年配のかたはガンの進行も遅いといいますよ。 ご家族で納得行くまで話し合うのが先決です。 精神的に弱い人は 入院するだけでもがっくりしちゃうかも・・。 ご家族でそのへんを見極めてね・・。

fusabo
質問者

お礼

miki12様ご回答ありがとうございます。 父は気が弱いのにプライドは高く、尿の調整がうまくいかなくなってからはもう生きていても意味がない、おむつをするなんて人間じゃないとイライラしながら嘆いています。また入院も嫌で、二日間の検査入院をするように言われても先生に向かって、何度も勘弁して下さいと頭をさげていました。このような父をこれから家族で支えていかなければと考えると正直とても心が重くなります。

  • hdchan
  • ベストアンサー率22% (13/58)
回答No.3

その癌が取りきれるのか、取りきれない末期なのかによって答えも違ってくると思いますよ。 外科の先生がそこまでやろうと勧めるなら、恐らく取りきれるという判断なのでしょうけど・・・。

noname#2000
noname#2000
回答No.2

私の母親は74才で大腸癌の手術をしました。開腹した時には癌性腹膜炎で余命3ヶ月と宣告されました。手術の理由も卵巣が腫れているからということにしました。手術して母親は治ったものと信じていました。fusaboさんのお父さんと同じように母親は精神的に弱いし年も年だし今更、言って悩ませてどうなるのかと言う思いで言いませんでした。ただ手術して2ヶ月もなるのに一向に良くなかず悪くなる一方で本人も薄々と感じる様になっていたと思います。結果4ヶ月後に亡くなりましたが手術しなければ半年は生きたのではないか?:元気でいられる時がもう少しあったのではないか?(逆になってたかもしれませんが)事実を言ってしたいことさせていたらとも思いましたが今だに分かりません。ただの経験談で回答にはなっていませんがfusaboさんの気持ちはお察しいたします。

fusabo
質問者

お礼

balemu様ありがとうございます。お母様の事お気の毒でした。親は先にいなくなるとわかっていても辛いものです。私はまだ独身なので今、父がいなくなると家族は母と、離れて暮らしている弟しかいなくなるのでとても不安です。

noname#2787
noname#2787
回答No.1

人工肛門・人工膀胱に関しては、現状から考えて『根治手術』ではありません。近い将来やって来るであろう『食べられない』(←人工肛門)『オシッコが出せない/尿意切迫感や頻尿による苦痛』(←人工膀胱)などを少しでも先延ばしにしようとする姑息的な方法です。 先延ばしにするだけの事なので、家族・患者の意志が固ければ手術に固執する必要はありません。 しかしながら上記の苦痛はやはり相当なものだと考えざるをえません。手術をしても疲弊は免れませんが、なるべく穏便な経過を考える場合一般には手術を勧められる事と思います。 この部分は家族の方の「人生観」によるところが大きいため第三者による有効なアドバイスは難しいと思いますよ。 ただ苦しみが始まってからそれを取り除くのは体力的なもの技術的なものを考えても難しいと思います。 一般にはこれまで進行したものに関して「民間療法」や「代替療法」というものも意味は無かろうと思いますが、それにかけるという固い意志があれば、医師はじめ医療者は止めないと思います。 もし自分の父にそういった事態がおこったら・・ 個人的にはずっと悩んでいるところですが、医師になりたての頃まだ私に子供がいない頃はハッキリ『手術させない』と考えていました。 しかし最近では『少しでも冷静な感覚が維持できるなら』『家族(子供や孫)との時間を大切にするために』手術を説得する・・・そういった考え方に変わりつつあります。 自信はもてませんが残された時間というものに関する考え方の変化の結果だと思います。