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宗教(クリスチャン)にたよる・・・?
只今、精神科に2ヶ月入院してやっと退院できた高1女です。 理由は拒食症のため、体が壊れるという理由から 入院中は色々な面ですごく見られていました(看護師に)。 そういうことや、閉鎖病棟にいること、 担当看護師の言葉のキツさに傷つくなどと、 ストレスがたまった結果なのか、 色々な発作をおこすようになったりして、 なんだか入院で、もっと自分が壊れていきそうで、 緊急に点滴を打ってもらって (初めは血管もボロボロで、入らなかったり漏れたりの繰り返しでした^^;) ケトン体という飢餓の状態から一時的に回復(?)し、退院の運びとなったわけです。 そして、これからが問題となってきます・・・・。 やはり、今の全日の、とても良い高校でいきていきたいので、 退学は絶対にしたいと考えていませんが、 予想以上にストレスのたまることだと思います。 そのようなときに、心の糧に、神様の力を借りたいのです。 私の学校は『クリスチャン』なのですが、 私は、『真言宗』を小さいときから聞いていたため、 聖書もあまり理解できません。 □■なぜ、献金しなければならないのか? ←赤い羽根などの募金もしたことがないケチな私 こんな私でも、クリスチャンになりたい。 なぜクリスチャンかというと、決定的な理由はないし、 理由には困るのですが・・・。 神様を心の糧にさせていただきたい。聖書を理解して読みたい。 そんな願いがありますが、不可能なことでしょうか。 やはり真言宗でいくべきなのでしょうか。 聖書を理解することのできる本などあれば、ぜひ紹介してください。 よろしくお願いします。
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気持ちは痛いほどよくわかります。 味方のいないときに、神さまにつながっていたいのですよね。 しかし、それならばお祈りだけでもつながれます。 キリスト教系の学校なら『お祈りの本』も買えるでしょう。 『宗教団体』というのは「ひと」の集団ですし、お金もかかります。 さらにストレスと悩みが増えることになるのではないかと・・・・。 まずは、退院できた自分に『おめでとう』を言って、お祝いしてあげてください。それから、明日一日でできるようになりたいことをメモに書いてから眠って。 そうやって、一歩ずつはしごを登っていくようにしていれば、 気がついたら明るい気持ちで過ごしていると思いますよ。 キリスト教はわたしも好きですが、どうも日本の感覚になじまないところも多いような感じがなんとなくするんですよね~~~。 将来の選択肢を多くしておくためには、完全にからだとこころが回復したときに、クリスチャンになるかどうかを決める、という約束を自分としておくといいんじゃないかと。 宗教団体だって、現世で生きていくためにはお金がいるわけで、 そのためにはシビアな部分もあるとおもいますよ。 そこを乗り切る体力がないひとは、参加を控えたほうがよいかと。 いまのボロボロな気分も、将来どこかで活きてこないともかぎりません。できるだけ楽しく過ごす努力をしましょう。 この機会に、教会音楽のCDなどをいろいろ聞いてみてはいかがでしょうか?
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- myachide
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どんな形であれ、前を向こうというお気持ちをもたれることはすばらしいことで、確実に一歩を踏み出そうとしておられるのだとおもいます。 そのためにどのような形(神であれ、仏であれ)を信じようが、あなた自身が本当に心の拠り所に出来るものを信じることが重要です。ですから、あなたのお気持ちにフィットすれば、神でも仏でもかまわないと思います。ただ、大金ははたかないようにしてくださいね。 おうちが真言宗だと言うことのようですので、何かのご縁だとおもいますので、弘法大師のお言葉を一つ書き添えておきます。 「仏心遙かにあらず、心中にして即ち近し」 真実の神仏の心というものは、外に求めているばかりでは見つからない、自分に最も近いところ、自分自身の心の中にこそ求めるべきであり、それを見つめ直すことが大切なことなのです。これは宗教の壁を越えて究極には共通するものだとおもいます。最終的にはあなた自身の中身が拠り所となるのです。あなた自身を大切にしていってください。
拒食症というのは、強迫性障害の一種です。 強迫とは、妄想が強く迫りはなれられなくなるというものです。 拒食の場合は「太ってはいけない」「食べてはいけない」「これを食べたら肥満する」などの妄想を抱くことです。 強迫のある人は、宗教に頼ることは望ましくはありません。 宗教や神仏のような目に見えないものは、強迫を引き起こしやすいからです。 強迫を直すのに一番大切なのは、「現実を見つめ」「地に足のついた生活をする」ことです。 だから宗教に頼るのはあまりお勧めしません。 宗教が心の糧となり、幾分でも心を穏やかに保てる場合もありますから、絶対に反対するわけではありません。 でも質問者さまご自身が >私は、『真言宗』を小さいときから聞いていたため、 聖書もあまり理解できません。 というように、やみくもに宗教だから信じようというのでなく、しっかり論理的に宗教を理解しようとする姿勢があるのですから、ご自分の判断に従って信じられるものを信じればいいのではないでしょうか。 キリスト教が理解できないのならば、無理にクリスチャンになる意味はないということです。
- Reffy
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カトリックの、というよりキリスト教の信者になると、自分の体は創造主である神が下さったものだから……という方向にいきます。だからキリスト教者は自殺や自傷行為が許されないのです。今までのご自分が苦しいことにあったとき、自分を傷つける(拒食もその一部です)ことで助かる道を探していたことに気づき、救いを別の方向に見いだすことができたら、それはすばらしいと思います。 私自身は信者ではありませんが、周囲にたくさんいる環境です。学校もそうでした。だから修道会にいらっしゃるシスター方やご信者の諸先輩が皆さん人間的にパーフェクトな方々ばかりではないことを、経験から知っています。でも彼らはなにか思い詰めた時、あと一歩を踏みとどまるためのよすがを持っています。自分が神に比べて遙かに小さく無力な存在だと自覚しています。聖書のみならず(なぜならあの本はとても昔のものなので、科学が進化した今の世の中にぴったり当てはめることは不可能なので)先人の言葉や代母と呼ばれる宗教上の母の導きによって、自分を正す努力をします。 心のよりどころとして洗礼をうけることを求めるのは決していけないことではありません。ただ、同じキリスト教にもいろいろな種類があることをまず勉強してみて下さい。偶像を許す許さないだけではなく、結婚を許す許さない(司祭の)まで多岐に渡ります。テロを繰り返す原理主義者も一応はキリスト教徒です。色々読み比べて、考えて、教会のまずは日曜学校にも足を運んでみましょう。平日のすいている時間なら教会のどなたにも、直接教えを乞うことは可能です。 心のよりどころという意味であれば、仏教であってもキリスト教であっても構いません。できればご自分が尊敬でき、その方の導きについていきたいと思える相手を探してみて下さい。 キリスト教ではCallがあると呼ぶようです。神様がいらっしゃいと呼んでくださっているのかもしれません。 ウィキペディアを貼っておきます。ここで「宗教」「キリスト教」「真言宗」など片っ端から入れて読んでごらんになると心の整理の助けになるかと思います。
- 参考URL:
- http://ja.wikipedia.org
- school
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私も他の方が言っているように、キリスト教を勧めはしませんが他の変な宗教にはまるくらいならクリスチャンになった方が良いと思います でも、クリスチャンになったからといって、自分が変われるとかはあまり期待しないほうが良いと思います なぜかというと、私以外の家族や姉妹はクリスチャンですが人間的に変わったかというとそんな事はないと思うからです いやむしろ、聖書にとらわれて人間を見ようとしなくなった分、悪くなったといっても良いでしょう ですから、私はキリスト教徒にはならないし、宗教も信じません あなたは今不安でどうしようもないのでしょうが、どんな宗教を信じるにしても、あまり深入りしない方が良いですよ あまり深入りすると、考えるのに宗教の枠から出る事ができなくなり、考えが固定化してしまいますよ それは、どんな宗教も持っている危険な部分です 宗教を信じる事も良いですが、視野を広く持つ事も忘れないでください
- japo
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私の家は日蓮宗でしたが、私自身、高校生のときにキリスト教に目覚め、自分ではキリスト教徒と自覚して今日に至ります。 宗教の出会いというのは、語弊があるかもしれませんが、恋愛の出会いみたいなもので、縁とでも言いますか、理屈っぽい理由はないのが自然ではないでしょうか。何となく惹かれるとか、どうしてその人が好きなの?と聞かれて、その好きという感情を説明し難いように、宗教との出会いも言葉で理由付けできない計らいがあるような気がします。 家が真言宗だから、という縛りは特に意識しなくても良いんじゃないでしょうか。お父さん、おじいさんは、真言宗でやって来られたかもしれませんが、そのもっと上のほうの代のご先祖様はどうでしょう。違う宗教を信仰されていたかもしれませんよ。真言宗が日本でスタートしたのは、9世紀とのことですので、それより昔のご先祖様は、真言宗以外の何かを信仰していたわけです。無信仰だったかもしれませんが、それは想像もつかないですね。 だからと言って、真言宗を否定する必要はないです。普段キリスト教を心の糧にしながら、真言宗を掛け持ちしても良いと思います。これまで真言宗にお世話になってきているわけだし、真言宗に嫌な感情はないわけでしょう? 日本人は色々な宗教をごちゃまぜに活用して、曖昧な宗教感をもっている稀有な人種ですが、こういうスタンスで構わないと思います。かたくなに、これじゃないとダメとか、これはダメな宗教だ、とか決め付けない柔軟さは、日本人ならではの長所です。 さて、聖書についてですが、本当に理解しがたい書物ですよね。特に参考書を挙げることはできないのですが、まずはイスラエルやイスラエル(ユダヤ)人に関する知識を深めることをお薦めします。例えば、アメリカのハリウッド映画を見る際、アメリカの文化とか歴史を知っておくと理解しやすく、一層親しみが持てますよね。 聖書の舞台は、イスラエルであり、登場人物も聖書の作者もまたイスラエル人です。普段、イスラエルという存在にあまり馴染みがない普通の日本人が聖書を理解するのが難しい理由がここにあります。全く知らない外国の、しかも2000年以上前の外国人の書物ですので、現代日本人の思考回路では理解が難しいのです。同じ日本人でも2000年以上前の日本人は、現代人とは思考回路がちがうでしょうし。 ですから、まずはイスラエルに関する事に興味を持って、文化とか歴史とかを勉強し、あとはイスラエルに旅行されるってのもお薦めですね。 聖書がぐっと身近になります。 さらに理解を深めようと思ったら、聖書の言語であるヘブライ語とギリシャ語の勉強も格段に理解を深めます。日本語の翻訳で読むと、どうしてもぎこちなかったり、原語の意味が伝わり難かったりします。私も勉強しましたが、これらの外国語はミッション系の大学で学べたりします。 最後になりますが、退院おめでとうございます。 若いうちに大変な苦労をされているようで、これは絶対にこれから糧になりますよ。
- teuu
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はっきりいって高校の倫理レベルの知識、しかもあいまいな、で騙ってしまいますが、、、 献金しなければならない? カトリックですかね~? とりあえず、キリスト教も密教系とはいえ仏教も元は同じです。 この世がつらいので、頑張っていくために作り出されたものです。 仏教においてはこの世は地獄である。 つまり生とは苦である。 となっています。 この苦を輪廻転生することで永久に味わうものなのです。 これを回避するために、仏教各宗派ではさまざまな輪廻からの脱出方法(解脱)が教えられています。 一番有名なのは浄土宗の南無阿弥陀仏でしょうけど、 真言宗では他力本願ではなく、 自らの修行によって即身仏(阿羅漢とは別でしたっけ?)になるというものだったと思います。 一般的にわかりやすい浄土宗で説明しますと、 南無阿弥陀仏と唱えることで輪廻から解脱でき、 極楽浄土にいけるわけです。 (厳密には極楽浄土にも何階層もあり、階級社会なんですけどねw) ではキリスト教は。 やはりこの世は苦しみです。 イエスが何度も嘆き悲しむように、つらいことが待っています。 それでも最後の審判において天国に行くために、 悪の道にいかないように生きていくわけです。 (ちなみに天国はヘブライ語は知りませんけど、 英語ではKingdom of HeavenまたはKingdom of God 結局階級社会ですw) とりあえず何が言いたいかというと、 神も仏も見守っていてくれるだけで実際に手助けしてくれません。 貴方が生きていくための指針となるだけです。 つまり、仏教もキリスト教も根本的なところは同じなのです。 聖書はかの手塚治虫も漫画にしてたりと、 ストーリーのある物語としてもなかなかのものなので、 そういった方面から入っていくのが一番手っ取り早いと思います。 最後に一つ。 私の妹もカトリック系の中学・高校でしたが、 かなり偏った教えも行われていました。 あまりシスターなど教えを鵜呑みにしないようにしてください。 ルターも言っていますが、 ただ聖書のみをみていくべきかと思います。
- k-ko0730
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クリスチャンになりたい!と思われるのであれば、なればいいじゃないですか。 特別な理由なんて必要ないですよ。 「求めよ、さらば与えられん(ひたすら神に祈り求めれば、神は正しい信仰を与えてくださる)」それがキリスト教ですから。 こういう言い方をすると良くないかもしれませんが、変な新興宗教に引っかかるよりは良い選択だと思いますよ。 ご両親に「真言宗にしなさい!」と反対されたりしているのでしょうか? ちなみに私は幼稚園も実家も曹洞宗=禅寺です。般若心境を祖父と唱える一方、幼稚園~小学生の頃には何故かキリスト教に憧れ、当時、日曜日の早朝にTVで放送されていたキリスト教の布教番組を、家族の誰より早起きして正座して見てました。 布教活動だったのでしょうが、各家を回って「嫌でなければ、少しでも興味がおありなら受け取って下さい」と無料で聖書を配って回っていたことがあり、我が家にも一冊頂いたのが私の元にやってきて夜な夜な読んだことがあります。 小学生にでも分かりやすい表現の聖書でしたので、読みながらベッドの中で泣いたりもしましたよ。気に入ったフレーズを見つけては悔い改めなくては、と幼いながらに真剣に思ったものです。 当時の私は興味本位でしかありませんでしたし、今では残念ながら聖書の教えは忘れてしまい、今では日蓮宗の家に嫁ぎましたが。 献金についてですが、ちょっとネットで検索したらこんな風に出てきましたよ。 「献金とは神さまへの献げ物です。神さまに守られ、生かされていることを感謝する思いで、その気持ちを献金で表します。また自分を神さまに献げ、神さまに従って生きていくという気持ちも献金で表します。 献金は福音を伝えるという神さまから与えられた使命の実行のために使われます。別な言い方をすると教会の活動に使うということになります。教会の活動のための費用はすべて献金でまかなわれています。」 だそうです。参考URLのQ&A欄に載ってますよ。 他にも「聖書」でネット検索すればたくさんのページにヒットします。それを聖書を読み解く鍵にしていってもいいかもしれません。 勿論、教会へ行ってみてもいいと思いますよ。 これは蛇足かもしれませんが、本格的なクリスチャンの友人は結婚式の時に本来のキリスト教に乗っ取った挙式を行う為に、挙式場専属の神父様ではなく自分の通っている教会の神父様に来て頂いて式をあげてましたし、結婚した相手が仏教徒でしたので別々の墓に入る覚悟も決めてました。 どの程度、入信されるかは判断なさって下さいね。 無理なさらず、お体を大切になさってくださいね。
お礼
みなさま、ありがとうございます。 たくさんのご意見やご助言をいただきましたが、 涙が出ました。 こんなに応援してくださる方がいるのだとは・・・。 真言宗にしろ、キリスト教にしろ、 似ている部分もあるのですね。 本当にありがとうございました。 まとめて一括の返信で、とても無礼者ですが、 みなさまには本当に感謝しています。 ありがとうございました。