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関ガ原の合戦で敵味方の区別をどうやってつけたのでしょうか?
関ガ原の合戦で小早川秀秋が西軍を裏切って松尾山から1万5千の兵力を雪崩をうって西軍に向けた事は周知の事実です。 この小早川軍を迎え討ったのは大谷吉継軍でした。 その後、西軍の脇坂安治、朽木元綱、小川祐忠、赤座直保の各軍も東軍に味方しまた。 そこで敵味方入り乱れる混沌とした戦場で、戦士たちは敵味方の区別がつくのでしょうか? 勿論、軍旗、差物等の目印はあるのでしょうが・・・。
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団体戦ですから、仲間と一緒に行動しておれば敵味方は自ずと区別できます。 指揮官の号令、旗、指物、鎧の色(井伊の赤備えなど)で区別はつきます。 方言などもあります。 指揮官の号令にも特色がありお国振りがあらわれます。 それでも乱戦になれば同士討ちもかなり発生すると思われますが運次第なのでは・・・ 合い言葉は夜戦などで区別のために使用しますが昼間の乱戦では使用している暇はありません。 とにかく向かって来るのは敵と考えて行動するだけです。 戦闘中は冷静に判断する事は難しいものです。 まごまごしていれば命にかかわります。
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- dereku
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最も分かりやすいのは紅白の切れ端を身に付ける。ですが、寝返りした軍もあったからね。両方付けていたかも知れませんね。時点で身分の上位が赤(紅)になります。源平では平家が赤でしたね。それをふまえると西軍が赤でしょうね。
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ご回答ありがとうございます。 寝返りした軍との間でさぞ混沌とした事でしょう。
- a-koshino
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関ヶ原の合言葉は 東:山―山 西:大―大 東軍共通の合印は「角切」で、西軍は不明
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早速のご回答ありがとう御座いました。 西軍は不明ですか。 三成は何をやっていたのでしょうね。
「合い言葉」を使うと聞いたことがあります。 山-川 など 戦いが始まる直前に、「その日の」暗号が味方の全軍に伝えられます。
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早速のご回答ありがとうございます。 合言葉だったのですか。 白兵戦では合言葉で敵味方を区別してから戦うのですね。
お礼
やはり同士討ちはあったのでしょう。 合戦では勝ったか負けたかに関心を持つ物でしょうが、歴史的意義は別にして、一人ひとりの戦士の動きとしては混乱の極みだったのではないでしょうか。 ご回答ありがとうございます。