クリスチャン生活にあきあき。
1ヶ月半前からうつ病をきっかけに親戚のクリスチャンと生活をしている。
最初は何もやる気がなく、かなりひどい状態でした。
もちろん親戚の方とは私のうつ病について話はしています。
しかし、この頃、うつからかなり解放されたせいかクリスチャン生活にあきあきしています。
こんなこと言うと罪深く感じます。
ここへ来て療養ができたから、今の自分の状態までなることができたからです。
最初は、うつ状態がひどかったので、あまりしゃべることもなく一人で好き勝手に一日を送ってきました。
また、自分でもこの状態から早く逃れたいという思い、われをもすがる思いから教会でお祈りなどしていました。
でも、最近、親戚から「クリスチャンにならないか?」ということや、毎日「神、祈り、みことば、救い・・・・」など聞いていると、これに嫌気がさしてきまして・・・・。
私はクリスチャンが嫌とかは思っていないのです。また、信仰がダメだとも思っていません。
考え方?なのかわかりませんが「何事も神と結びついていることにより、前を歩いていける???。」って言うようなこと・・・・。
「神を信じないものは、心が乏しい?」って言うようなこと・・・。
こんなことにとても抵抗を感じるのです。
「クリスチャン」に抵抗を感じるのではないのです。
私はクリスチャンだったり、信仰を持つ人の考えは「信じて、努力すれば絶対道は開けていく」つまり、「他の人にない、信仰がプラスされることにより、自分の未来開けていく、そのために努力する」というのがクリスチャンの考えだったり、信仰だと思っていましたが、どうも「努力」ってことが抜けているように思えるのです。
これは、私が1ヶ月半クリスチャン生活をして感じだしたことなで、反論される方もいるかと思います。
そこのところご了承ください。
ただ、私は「神を信じない」っと言っているのではないんです。
「イエス、キリスト」がいるかはわかりませんが、神様って言うのはいるとは思います。だから、何かの縁があってここに来たのだとも感じました。
もちろん、私が「うつ病から解放されて、復帰する」ためにこの場があったのだとも感じます。
何かの結びつきがあったのだなぁと・・・・。
私はこんなことを言うなんてホントにいけないことと思い、また裏切っているのでは?「自分が少しうつから解放されて落ち着いた」からこんな気持ちになったのでは?と何か「申し訳ない」と考えてはいるのですが・・・・・。
これについて、何かご意見いただけたらと思っております。
是非、どんなご意見でもかまいません。よろしくお願いします。
補足
クリスチャンにとって祈りは一番大切なことですよ。祈りは何よりも優先すべきことです。それを否定する権利はあなたには無いはずです。