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戦争の死者について
人類誕生からいろんな戦争がありましたが、ほんとうにおおまかでいいので、いくらくらいの人々が亡くなったかわかりませんか??現在の地球の人口の何倍、などのようなわかりやすい表現で教えていただきたいのです。はっきりとした数字じゃなくていいのでどなたか教えてクダサイ。
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どこかに地質時代の人類発祥以降、または歴史時代、過去8千年とか1万年とかでの戦争の犠牲者・死者の推計があるはずです。簡単に検索で調べて見ましたが、出てきません。そこで、考え方というか、推計する基本的な方法というか、方針のようなものを述べてみます。 あくまで私見ですので、間違っているかも知れません。 とまれ、最初にこの質問を見た時、人類発祥後で、2億人程度だろうかと考え、いや3億人ぐらいだ、とか勝手な数字を空想したのですが、参考URLの文章を読んでいると、20億人か30億人か、それ以上ではないかという風に、十倍以上に増えました。どうして増えたのかという理由などを以下に記します。 基本的には、戦争の犠牲者・死者の推計の前に、人類の歴史的個体数の推計が必要になります。古代ローマ帝国は、数々の戦争を行いましたし、有名な戦闘や戦争の名が残っています。紀元一世紀にローマはエルサレムを破壊し、多数のユダヤ人を奴隷にし、ユダヤ人の多くは、ここでディアスポラ(離散)の民として、パレスティナから世界に散って行ったとされます。これは有名なエピソードですが、この時の「虐殺」でどれぐらいの人が犠牲になったのかというと、案外少なかった可能性が高いのです。 ローマはフェニキアを征服し、フェニキアの植民地で分国であるカルタゴは、ローマに反抗し、ローマとカルタゴの戦争は、カルタゴ軍が、ローマ市間近に迫るというような、ローマ共和国自身の存続の危機もありつつ、ローマの勝利に終わり、カルタゴ人を虐殺し、生き残りはすべて奴隷とし、カルタゴの存在そのものをローマは消し去ります。この事件で何人が犠牲になったのか、これもかなりな数に思えるのですが、実数が分かりません。 また、もっと有名な古代の戦争は、エジプト神王ラムセス2世が、ヒッタイト帝国と互いの存続をかけて戦った「カデシュの戦い」があります。しかし、この戦いに至るまでに、パレスティナ地方は、何度も何度も虐殺や戦争を経験しており、この小競り合いの頂点に「カデシュの戦い」が来ます。この戦いは、世界の戦史のなかで有名なのですが、カデシュの砦をめぐる攻防戦では、エジプト軍は多くて5万人、ヒッタイトの寄せ集めの連合軍が、それよりも多く、10万人から6万人ぐらいだったはずです(ヒッタイトの精鋭は、エジプト軍より少なかったでしょう)。 この後、中近東に擡頭したのはアッスリヤですが、アッスリヤは、ともかく至るところで人を殺し残虐行為を働き、何千人殺したとか、何万人焼き殺したとか皮を剥いだとか、そんな自慢を一杯しています。……こういうことを考えていると、段々、戦死者の数が増えて来たのです。(また、減ってきたとも云えます。変な表現ですが)。 戦争の被害者・戦死者というのは、その内実は何なのかということも問題になります。直接の戦闘員の戦死者及び負傷後の死者の数か、非戦闘員の一般民衆で巻き込まれた人も数えるのか、また、戦争の後は、死体の処理などが円滑に進まず、疫病が流行ることが一般にあったのです。飢饉も起こります。逆に、飢饉や疫病によって民族移動したりして、それが戦争となることもあり、飢饉・疫病・戦争などは、どれが原因でどれが結果か分からないほど相互に込み入っている場合もあります。 また、戦争で滅びたとか、多数が死んだと記録されているものの、どうも自然環境の変化で、居住できなくなり、民族移動したことを、戦争での敗北に結びつけているのではないかと思える歴史上の事件もあります。 結局、人類は、全体で、何人ぐらいいたのかが、問題になります。正確な数字は忘れたのですが、紀元1世紀だと、地球上の全人口は、1億か2億であるという数字があったと思います。中国やインドは、この時代にも大人口をかかえていましたし、中近東やアフリカにもたくさん人がいました。すると、ローマ帝国の領域には、どれぐらいの住民がいたのかというと、数千万人もいたかどうか疑わしくなります。ラムセス2世のエジプトの人口が幾らであったか、百万人もいたかどうか、疑問にもなってきます。20世紀には、人口は、30億人とかいう規模になっています。この規模だから、スターリンの大虐殺で何千万人も殺されたらしいとか、毛沢東もそれぐらい殺したというのも、可能だとなります。紀元前15世紀だと、何千万人とは、存在する全人類の数にもなって、その半数が殺される超大事件が起こっても、スターリンの虐殺規模になります。 正確な数は分かりませんが、1万年以上前の人類は、人口総数が百万人いなかったはずです。10万人以下ではないと思えるので、多めに見て50万人とします(本当は、20万人かそれ以下だと思います)。一世代を25年とすると、1万年は、400世代です。1万年のあいだに人類は、2千万人いたことになります。100万年で、ようやく20億人です。500万年で、100億人です。本当はもっと少なかったはずなのです。またこの数は、「或る程度の成人人口」です。幼児死亡率が極端に高いので、次世代を残さないで死ぬ少年少女は、余りの数と考えねばなりません。これらの少年少女の数も入れて、50万人ということなのですが。 これに加えるに、急に飛躍しますが、農業を開発してからの約6千年ほどを別途計算します。農業生産・遊牧生産で人口は増大し、一世代に5千万人ほどいたとすると、6千年は、240世代で、これに5千万をかけると、120億人になります。次に、紀元後の2000年間、平均5億人だったとすると、世代数80世代で、人口400億人です。以上をトータルすると、620億人です。500万年のあいだに、これぐらいしか人類はいないので、しかも、400億人は、紀元後の人口です(これは、以上に数字根拠を述べているように、元にする推計数が違うと、簡単に一桁程度の狂いが出てきます。ただし、紀元後の人口が莫大だったのは事実で、減る場合、100億人少ないというような話で、増える場合、総人類人口は、6000億人だったとかいうような規模の推計が出る可能性があります。紀元後の人口が400億人ぐらいはあることは分かっているので、これよりも減ることはないということです……ただし、人口が5億人になったのは、10世紀頃からだという考えもあるはずで、最初の千年は平均2億で、40世代、80億人、次の千年が、平均6億人で40世代240億人とすると、推計が320億人となり、先の400億人より100億人ほど少なくなります。これは人口カーヴが、近世へと近づくと急速に上を向くからです)。 いま生きている人は、500万年の人類の歴史のなかの10人に一人だというのは、何か凄いことかも知れません。 以上の人口600億人の90%以上が、飢餓か疫病か事故か、野獣に殺されるか、ともかく、人間の寿命を全うせずに、十代、二十代で若死にしているはずです。三十代というと、長老・老人だというぐらいの時代が、何百万年も続いたというより、平均年齢が、30歳を越えたのは、農業生産が始まって、定住生活をするようになってからか、または、紀元後のことだとも思えます。農業生産以前の時代は、95%が25歳ぐらいで子を複数人産んだ後ぐらいで死んでいたとも云えます。15歳ぐらいから女性が子どもを産み始め(多分、12歳頃からだとも思えますが)、25歳ぐらいまでのあいだに、5人から十人子どもを生んで、そのなかの二人が生き延びて次世代を再生産すれば、人口は維持できたのです。多産多死です。 地質時代の500万年のあいだにも、個人間の闘争や、集団のあいだの闘争(これが、その時代の戦争でしょう)で死んだ者が、かなりいたはずです。死者の半分は多すぎるとして、五分の一ぐらいとしますと、最初の500万年で100億人ですから、その五分の一は、20億人です。 次に農業生産になると、定住生活が加わり、集団の規模が大きくなります。古代都市国家、あるいは農業集落連合の原始国家のようなものが成立します。こういう古代国家同士の争いは、戦争でしょう。飢饉や疫病などの効果も相乗し、生活が安定したとはいえ、互いのあいだの戦争による死者も増大した可能性があります。人口の五分の一は、前の500万年と同じに見えますが、5千万人の五分の一とは、1千万人です。こんなに戦争で死んだのかという疑問が起こります。農業生産時代6000年間で、120億人ですから、その五分の一は、24億人です。500万年かけて、20億人、戦闘の死者が出たのに較べ、今度は、約千分の一の時間で、24億人、戦争で死んだことになります。人口の母数が大きくなったのです。 五分の一は多すぎるような気もしますが、直接の戦闘員だけでなく、戦争関係で死んだ者も数えると、少なすぎるかも知れません。そこで、紀元の最初の千年は、80億人で、その五分の一は、16億人です。もっと大勢死んでいる気がしますが、この程度にします。次の千年は、240億人で、この五分の一とは、48億人です。結局、総人類人口の20%が戦争での死者だという計算で、人類総数を、620億人ないし、それより80億人少ない540億人としたので、後の数字を使うと、その五分の一は、108億人になります。 人類500万年の歴史のなかで、戦争に関係して死んだ者の数は、約100億人という数字になります。最初の2億、3億どころか、20億、30億どころでもありません。しかし、まだこれでも控えめに思えます。 こんなに戦争が起こっていないはずだと思うなら、中国の歴史とか、インドの歴史、中近東の歴史、アフリカの歴史、西欧や東欧の歴史、南アメリカのマヤやインカやアズテクの歴史を調べると、流血と戦闘の虐殺事件が、次々に起こっています。中国は、大規模虐殺が多く、一度に何千万人とか、虐殺で、殺されるというような事件が反復起こっています。モンゴルの征服は、最初は皆殺し戦争で、帝国が大きくなると、あまり人を殺さなくなりますが、それまでに何千万人殺したのか、一億人なのか、見当も付きません。 以下の参考URLは、「ものみの塔協会」の主張を反駁する文章ですが、戦争の名前が一杯挙がっていて、これを読んでいると、何らかの意味の争いで、人が死ぬのが珍しいと感じる日本のいまの感じ方が、歴史的には非常に特異なのだという思いです。日本は奈良朝の初期以前を除くと、あまり戦争で人が死んだ国ではありません。日本の戦国時代と、中国の戦争時代は比較にならないぐらい日本の方が平和で、殺し方にしても、中国では、軍隊が各地で敵を破ると、千人オーダーで首を切って行くとか、何万人を埋め殺したとか、戦闘、飢餓、疫病、拷問などで、一州から人口が半分消えたとか、そういう事件がずっと続いて起こっている国です。 農民暴動がしょっちゅう起こっていた国で、そのたびに鎮圧で、何十万人虐殺とかが日常茶飯事ですから、ともかく大勢戦争で死んだことは事実です。人口の五分の一で、少ないように思えるというのは、こういうことを考えていると、そうなってくるのです。いまの日本や西欧やアメリカでの「人が死ぬ」というのを、サンプルに考えていては、出てこないことです。 以上、推測や空想を積み重ねて出した数字で、どこまで根拠があるのか、責任は持てません。数字の積算法を説明していますから、どこかでトリックしている場合は、それも分かると思います(わたしは、トリックは行っていませんが、知らずに、そうなっている可能性があります)。 >「終わりの日のしるし」-戦争の歴史 >http://www.jwic.com/war.htm
- 参考URL:
- http://www.jwic.com/war.htm
その他の回答 (1)
starfloraさんの考察はなかなか徹底していて、面白かったですが、私はもっと単純に考えてみました。 アーサー・C・クラークによると、この世に誕生した人類はおよそ1000億人だそうです。 第一次・二次大戦のように組織的に殺人を行ったときでさえ、死亡者は総人口の10%程度だったことを考えると、 戦争による死者は、100億人をはるかに下回るはずです。 数億人ぐらいになるでしょうか? 私見では、戦争に伴う飢饉・疫病の発生のほうが死亡率の上昇に寄与すると思いますけど。