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美とはつまり何でしょうか?
ヒトの顔や身体、風景、建築、絵画etc これらを見て美しいと感じたり醜いと感じる 差異はどこにあるのでしょうか? こういったジャンルについての著書も出ているようですが・・ どなたか自分の思考のヒントになるような著書を教えてください
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- theonti
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美 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E 美とは、価値観念、価値認識の一つである。人類において普遍的に存在する観念であり表象であるが、一方では、文化や個人の主観枠を越えて、超越的に概念措定しようとするとき、明確に規定困難であり、それ故、美には普遍的な定義はない、とも形容される。しかし、他方では、美は感性的対象把握において、超越論的に人間精神に刻印された普遍概念であるとも解釈できる面を持っており、美の定義は発散するが、美の現象・経験は世界に遍在してあるという存在事態が成立する。 ここでは、主として古代ギリシア・ローマ及び西欧哲学の伝統における「美」の本質探求の試みと、認識的概念としての美についての考察の諸位相を素描する。 以下、 1 美の具体的種類 1.1 美のイメージ 2 哲学における美 2.1 美という言葉の多様性 2.2 美の概念措定 3 美の形而上学 3.1 存在論的把握 3.2 認識論的把握 4 美という概念の射程 4.1 他の価値領域と美の関係 4.1.1 カロカガティア 4.1.2 真理との関係 4.2 美の自律性 4.3 美的範疇 5 漢字における「美」の含意 6 関連項目 と、長々と続いています。 私の意見は 「全ての美は我にあり」 美は己が作り出すもの。 自分が今、この雑草が美しいと思えば、他人が何と言おうが、この雑草は今は美しいのである。 美とは自分の定める価値観、それだけの事でしょう。 共感する者が多くなれば、その雑草の価値は上がる。 また、自分が美しいと思えば、そのものに対して感動を覚え、慈しみや愛情が芽生えます。 出来得る限り多くのものを美としたいと、願っています。
- doseisan5
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美とはあなたの記憶であり、あなたの記憶により生じるている現象である。 認知心理学的なアプローチもお忘れなく。(^_^) 日常認知の心理学 井上 毅、佐藤 浩一
- dec02
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視覚的に完璧と感じられるか、完璧に程遠いかではないでしょうか。 感性に差があるとは言え、それほどまちまちでは無いと思います。
- vamps
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美とはエネルギーです。 受け止める容量がないと、美を感じることができない。 醜はマイナスのエネルギー。 美(人)の基準については地域、時代によって異なるので、伝統や 習慣、教育などの文化的背景や流行の影響を受けると思います。 そして新しいテクノロジーによって、新しい美が表現されていく。
- yuyufuku
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〇 http://www.geocities.jp/kounmee/utukusii.htm これは「五線占い」と言う本の抜粋です。 結論から言いますと「自分と子孫の繁栄に繋がるものは全て美しく見える」、と言うところに答があるようです。一言で言えば「美とは子孫繁栄に役立つ環境のこと」と言えるかも知れない。 人間も動物ですからどんなに意識が優れていても、本能と潜在意識の支配を逃れることは出来ません。本能は自己の存続と子孫繁栄を目的として作られているので、それに適合するものは全て味方として歓迎します。 逆に逆らうものは全て敵と見るのです。その下働きをするのが潜在意識で、潜在意識の用いる手段が脳内麻薬です。 ◆ 例えば花の咲き乱れる暖かい春の野山は実に美しいでしょう。けれども寒風吹きすさぶ冬の枯れ野は恐ろしい。凪の海は美しいけれども、嵐の海は見るからに恐ろしい。朝の日差しは美しいのに夜は恐ろしい。馬や羊は美しいけれども猛獣は恐ろしい。またどんなに美しい景色も、高所から見ると恐ろしくて足がすくみます。実態は同じ物なのに姿が違うだけで、美しく見えたり恐ろしく見えたりするのです。 潜在意識は脳内麻薬をアメとムチとして、全ての感覚器官を通じて意識を意のままに動かしているのです。意識は潜在意識の作った外界対応用の道具ですから、何一つ意識の自由になるもの感覚はありません。おなじ物を見ても美しいと感じたり、恐ろしいと感じたりするのはその為です。 しかも感覚器官は目だけではありません。鼻には良い臭いと悪臭を使い分けるし、耳には心地よい音と騒音を使い分けます。皮膚には痛さと気持ち良さだし、舌には美味しいと不味いです。 心の奥の感情に対しても、潜在意識は同じように快美感と不快感を使い分けます。別れが悲しいのは味方とは離れるなという命令です。お金が入ると嬉しいのはそれが子孫繁栄に繋がっているからです。世の中のお目出度事は全て赤ちゃん誕生に係わっているのを見逃すわけにはいきません。 春は楽しいと言います。収穫物はなくても夢があるからです。しかし秋は悲しい。結果が見えてしまって夢がないからです。傷を受けると痛いのは二度とするなと言う禁止の命令=ムチの方です。恋が楽しいのは奨励の命令=アメの方です。 嬉しいと悲しいの違いも、美しいと醜いの違いも、或いは楽しいと苦しいの違いも、みな本能と潜在意識の命令次第というわけです。 ◆ ですから美しく見えるものには大抵、気持ちの良い感覚や感情=快美感が伴います。ごちそうは美しく見えるし良い臭いだし、食べると美味しくて実に楽しい。恋人と一緒なら何をしても何を見ても楽しい。何を食べても美味しい。出会うのも思うだけでも嬉しい。もちろん恋人は花のように美しい。ご褒美のアメです。逆に親しい人が居なくなると、寂しい悲しい辛いなどのムチが容赦なく襲ってきます。 女性が美しいのは直接子孫を増やしてくれるからです。美人が美しいのはより一層女性的だから。若さと健康が最高に美しいのは、そんな時期が子孫繁栄に一番適しているからです。 誰でも人のために奉仕すると周囲の人に喜ばれます。僅かでも子孫繁栄に役立つと感じてくれるからです。芸術家の人気が高い理由です。 ◆ 文字について言いますと、ともに美しいとされる美と善と義はどれも羊の字が主体です。羊は一番人の役にたつ上に決して逆らわずに喜んで死にます。その心の有りようが動物の中では一番キレイだからと思います。キリスト教の神にいつも同席しているのを見ても、洋の東西を問わず羊を美善義の第一に置いているのが分かります。
- fuckin-lovegun
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こんにちは。 クオリアを知るとその意識的解読に近づけるかもしれません。 それは『美』というクオリアと それ以外のクオリアにも関係してくる問題です。 クオリアとは,心の質感のことです。 クオリアについては↓を絶対読んでみて下さい。 ■意識とはなにか―「私」を生成する脳 (新書) 茂木 健一郎 (著) あぁそして すべての美しさは,ひとえに『美しい』でまとめることはできなくて・・・ 美という言葉の持つ本質的イメージは, 辞書に載っている陳腐な文ではあらわしきれないし, 私たちの既成概念さえもその本質に迫りきれていないのではないか? または,美という言葉の存在なんて必要なくて, 感覚や衝撃を信じて森羅万象万物にぶつかっていけば, 美という言葉なんてものさえ出てこなくて, ホンモノ の ビ を感じるのではないか? 美術には美と到底は呼べない芸術的衝撃を誇示する作品がある。 あれは芸術であって美術ではないのか。 美術とはそれを含めたものなのか。 『美』は美や美しさといったもの以上に色々なイメージを含む, 含蓄のある,使いやすく, 分かりやすく,鋭くもあり, 儚い言葉になっている。これは時代の変化にも関係していて。 やはり考えは一重に絞れないですね。 少し,質問からずれた回答になってすいません。 しかし関係性はあると思いますので参考にでもなれば幸いです。 茂木健一郎氏の本はかならず読んでください。 私の話とはまた別の,もっとアナタに近い存在だと思いますから^^
- tyr134
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すいません、重要な答えを書き忘れてました。 >どなたか自分の思考のヒントになるような著書を教えてください まだ、私も読んだ事ないのですが、 この命題について読んでみたい一冊を紹介しておきます。 美と感情の原理―その弁証法的解明 河村 正一 (著) http://www.amazon.co.jp/gp/product/4434050990/sr=1-5/qid=1163423987/ref=sr_1_5/503-1195105-6273569?ie=UTF8&s=books
- tyr134
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「美」とは、つまり「感情」だと私は思います。 そして、この「感情」は様々な要因によって規定されます。 西洋絵画史なんかで、時代順に有名な絵を並べて比べてみたら分かりやすいかと思います。 婦人画や聖母子像を見比べるとさらに分かりやすいかもしれません。 中世の絵は、必ず服を着ています。 これは、裸体は汚らわしいと思われていたからです。 しかし、ルネッサンス以降は裸婦画が流行り始めます。 また、古代ローマ時代は写実的な彫像が多く作られました。 これは、「美」がその時代性により「規定」されていたからだと思います。 そして、「美しい」とは人間の内から出てくるモノです。 だから、(1)という絵画を見て、Aさんは「美しい」と思ってもBさんは「醜い」と思います。 これは、Aさんの内からは「美」という「感情」が溢れてくるのにBさんにはそれが無いのです。 つまり、「時代」という外的要因と、個々人の「性格」という内的要因で「美」や「醜」は決まるのではないでしょうか?
- kyoutoukyo
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人間讃美。
- enigma88
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NO.1です。 誤解を恐れず、分かりやすく,噛み砕いて言えば・・・ 美とは、幸福感に溢れる気分にしてくれるもの、天国に導かれたような気分にしてくれるもののことです。 美しい音楽などはまさに天国から聞こえてくるようです。
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