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中国から日本に入ってきたことわざ。

前回「日本のことわざについて。」の質問をさせてもらったものです。 前回の質問で、日本は中国から特に多くことわざが入ってきたことを知ったんですが、では 1、一体全部でどれくらいのことわざが入ってきたんでしょうか? 2、何時代に多くことわざが入ってきたんでしょうか? 3、中国から入ってきたことわざをいくつか教えてください。 質問が3つになってしまいすみません。 ご回答よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • nepiaman
  • ベストアンサー率34% (8/23)
回答No.1

 まず「中国から入ってきたことわざ」のことを「故事成語」と呼びます。  >1、一体全部でどれくらいのことわざが入ってきたんでしょうか?  解りませんが、たくさんあります。  >2、何時代に多くことわざが入ってきたんでしょうか?  多くは春秋・戦国時代を題材に書かれた文書から「故事成語」は作られています。いつ日本に入って来たかは解りません。kuratosuさんで調べてみて下さい。「故事成語」で検索すれば親切に教えてくれるサイトもあるはずです。  私も調べてみましたが、これなんかどうでしょう→→http://contest2004.thinkquest.jp/tqj2004/70237/  >3、中国から入ってきたことわざをいくつか教えてください。  五十歩百歩、矛盾、背水の陣などです。

その他の回答 (2)

  • luune21
  • ベストアンサー率45% (747/1633)
回答No.3

前回も書きましたが、故事成語はことわざではありません(もしくは区別すべきもの)。 故事とは昔の事という意味で、成語とは熟語のことです。合わせて昔の人が言い残した言葉・熟語というような意味になります。故事成句ということばもありますが、これは故事を熟語ではなく文にしたものです。一般的には、作者が存在し出典が明らかなものをさします。つまり誰が言ったかわかっているような「名言」「格言」「金言」のようなものです。 このいわば「名言」のようなものをことわざに分類すると、「我思う、ゆえに我あり」や「人民の人民による人民のための政治」「方法的懐疑」などもことわざになってしまいます。たとえば「上善は水の如し」「君子の交わりは淡きこと水の若し」などはことわざにも思えますが、老荘の思想を名言として引用するためのもので"厳密には"ことわざではありません。個人的には「李下に冠を整さず」「糟糠の妻~」「他山の石」などはことわざではなく故事だと思います(間違いとはいいません)。このことは、「郷に随い、郷に入る」など"故事成語ではないことわざ"が中国にもたくさんあるといえばわかりやすいでしょうか。 また、「五十歩百歩」「矛盾」「呉越同舟」などはことわざではなく、あきらかに故事に由来する"熟語"というべきものです。 ことわざというのは、一般的には誰が言い始めたのかもわからず、名もない庶民の生活から生まれて、それが好まれたことで語り継がれてきたようなものをさします。生きるうえでの教訓や風刺、信仰などを言い伝えたものです。「急がばまわれ」「苦しいときの神だのみ」「あばたもえくぼ」「棚からぼたもち」「渡る世間に鬼はない」「六十の手習い」などなど。 ことわざには草双紙や歌舞伎などの江戸文学によってひろまったものが多数あります。しかし、それらも「昔から六十の手習いというが…」というように引用の形をとっていることが多く、初出とはいえたも本当の出典かどうかもわからないものがほとんどです。 しかしながら、確かにこの頃の草紙本などには中国故事由来(つまり翻訳)のものはあります。たとえば「三十六計逃げるにしかず」は「三十六策走るをこれ上計とす(中国の南斉書)」が出典だろうといったぐあいです。以下は、「三十六計~」の他にことわざと称することが許容できそうなものの例です。  一を聞いて十を知る(論語から改)  蟷螂の斧(荘子・改)  塞翁が馬(淮南子由来) 《グレイゾーン》  虎穴に入らずんば虎子を得ず(後漢書)  禍い転じて福となす(戦国策) ちなみに 「二兎を追う者一兎をも獲ず」は日本のことわざです。

  • dereku
  • ベストアンサー率22% (66/294)
回答No.2

回答にはなっていないかも知れませんが「二兎を追う物一兎をも獲ず」 中国の故事にあるひとつですが、この話から出来た童謡(唱歌?)が「待ちぼうけ」です。