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なぜアメリカは北朝鮮を侵略しないのですか?大量破壊兵器もってますよ。
イラク戦争を支持した人の見解を特にお伺いしたいのですが、アメリカはなぜ北朝鮮を侵略しないのでしょうか?かれらはわざわざ大量破壊兵器の保持を宣伝しています。 イラクへの侵攻は確か大量破壊兵器が理由だったと記憶しています。それも後でどこかの学生が捏造したものとわかったそうでしたが。 今回は完全に放射能も検出され、証拠も明らかになったにもかかわらず、米国政府は北朝鮮を侵攻する意図はないとの見解を出しています。 なんだかつじつまが合わないように感じるのは私だけでしょうか?イラク戦争を肯定するならば彼らは北朝鮮も侵略するべきだと思うのですがどうなのでしょうか?そうしないならイラクにしたことに対して何らかの弁明が聞きたいです。 そういえばなぜアメリカは、パキスタンとインドが核実験を行っていたときに彼らを侵攻しなかったのでしょうか? 何か北朝鮮と米国の間に条約みたいなものがあるのでしょうか?
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まず大きな理由として挙げられるのは北朝鮮と中国は安保条約を結んでいると言うことです。北朝鮮または中国が有事の際にはお互いに助け合うと言うこと、つまり北朝鮮が有事の際には中国が北朝鮮の味方をすること(理由の遺憾に関わらず、これが安保条約です)結果北朝鮮を攻めると言うことはアメリカと中国の戦争になります。 第2には北朝鮮は第二次戦争後旧ソビエトつまり今のロシアが後押しをして建国した国なのです。朝鮮戦争はアメリカと旧ソビエトの代理戦争だったのです。ですから北朝鮮に攻め入ると言うことはアメリカがロシアと中国を相手に戦争をすることなのです。
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- cse_ri2
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No.5の返答についてのコメントです。 >イラクのときは確か国連の決議で否決されたにもかかわらず独自の判断で >侵略しましたよね。やろうと思えばやれるはずです。 アメリカと言えども、何かしらの根拠がないと動きにくいには、No.18で述べたとおりです。 在韓米軍が国連軍である以上、陸軍を使っての攻撃は難しいでしょう。 アメリカが単独で攻撃可能なのは、国連軍の参加に入っていない海軍を使って、核関連施設の攻撃を行うことではないかと思います。 もしくは、経済制裁で北朝鮮を締め上げて、相手がキレるのを待ってから、自衛権の行使で反撃する手段です。 >軍事移動はすぐには無理でも、武力行使の可能性を声明で発表することは >すぐにでもできるはずです。しかしわざわざその可能性を公に否定して >しまいました。 No.5で述べたように、イラクで手間取る米軍が北朝鮮ですぐさま軍事行動を起こすのは、非常に難しいです。 (絶対不可能ではないが、二正面作戦を極力避けるのは、軍事上の常識) またアメリカと言えども、普段は隠していますが、戦争の犠牲者を出したくない、財政上の負担を大きくしたくないという本音もあります。 北朝鮮については、中国の協力さえ得られれば経済制裁で相手を崩壊に追い込むことは十分可能であるため、まずは相手の出方を見るために経済制裁を実行したと見るべきでしょう。 >なぜイラクに対しては経済制裁を働きかけなかったのでしょうか? イラクに対しては、戦争前に経済制裁を実施済でした。 しかし、石油利権を背景にしたイラクのフセイン大統領の巧妙な外交戦略で、この経済制裁が骨抜きとなっていたのです。 (この件で利益を得ていたのが、フランス・ドイツ・ロシアでした。なぜこの三国がイラクへの軍事制裁に反対したのかは、この既得権益があったからだとも言われています)
お礼
なるほど、様々な軍略が背後で行われているのは結構だと思います。 >(絶対不可能ではないが、二正面作戦を極力避けるのは、軍事上の常識) しかし、世界中の国民に対する釈明をおざなりにしていてはこれは政治上の常識に反していると思います。完全に信頼を失いますよ、このままじゃ。
- cse_ri2
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No.13の返答についてのコメントです。 >>アメリカは形だけとはいえ、国際法に基づく根拠がないと大規模な軍隊 >>を動かすことはしません。 > >イラクのときは国連で否決されたにもかかわらずごり押しでやりました >よね。 イラク戦争の開戦にあたっては、国連決議687,1441といった決議が根拠になっています。 開戦直前での新たな決議については採決されませんでしたが、それ以前の決議内容が有効であったのです。 参考:ウィキペディア 国連決議 687:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%80%A3%E6%B1%BA%E8%AD%B0687 国連決議1441:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%80%A3%E6%B1%BA%E8%AD%B01441 国内のマスコミでは、アメリカは国連決議無しで軍事行動に移ったという報道が多く聞かれましたが、それは印象操作というものでしょう。 もちろん、過去の決議を引っ張り出すあたり、強引という印象は受けますが、だからといって法的根拠が何もないという証明にはならないのです。
お礼
イラクは確か国連の査察を受け入れましたよね。それでなおまだ彼らが大量破壊兵器を隠し持っているから、という理由で開戦に至ったと思うのですが、その裏付けとして学生が捏造したファイルを使用した(パウエル報告:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%A6%E3%82%A8%E3%83%AB%E5%A0%B1%E5%91%8A)、というからこれは情報操作以外何物でもありませんよね。これで法的根拠があるといえるのでしょうか? でっち上げた証拠で戦争を起こしたと捉えられてもしょうがないのではないでしょうか。しかし、それが大量破壊兵器撲滅のためということで、周りは黙認してきたのだと思いますけど、結局それを見つけることはできず、さらにもっと明らかな北朝鮮のケースではお金がないとか、中国との関係性とかで、武力行使しないって言うのは納得できません。 イラクには大量破壊兵器がありませんでした。つまり、開戦理由は間違いだったわけです。で、なんでさっさと兵を引き上げないんでしょうか?その兵力を北朝鮮に回せばいいだけなのではないのでしょうか?
- fieldsfairies
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回答と参考資料 米国の対外政策の多様性orダブスタor自国利権のための独善性の歴史 1981年以後の米国の国内政策、対外政策、対外的な戦争・武力行使に関連する重要な事象。 1981年6月、イスラエルはイラクのオシラク原発を空爆で破壊。 1982年4月、イスラエル占領下のシナイ半島のエジプトへの部分的返還開始。 1982年8月、米国は内戦下のレバノンに治安維持部隊を派遣。 1983年10月、米国はグレナダに侵攻、ソ連、キューバに協力的な軍事政権を打倒、グレナダ軍を武装解除。 1984年2月、米国はレバノンから撤退。 1986年4月、リビアによる米国の機爆破。 1986年4月、米国はリビアを空爆。 1986年12月、米国はニカラグアを空爆。 1987年12月、米国とソ連は中距離核兵器全廃条約を締結、 核兵器を搭載する射程距離が500~5500Kmのミサイルを米国は846基、ソ連は1846基、 廃棄することを規定した。 1988年5月、米国議会とソ連議会は中距離核兵器全廃条約を批准し条約は発効した。 1988年5月、米国議会は対米貿易不均衡・大幅黒字国(特に日本を標的にしたもの)に 対する経済制裁法案、保護貿易法案を可決したが、レーガン大統領は拒否権を行使して 経済制裁法案、保護貿易政策の施行を抑止し、自由貿易体制を維持する政策を遂行した。 1988年10月、米国議会は第二次世界大戦中に強制収容所に収監された日系アメリカ人に対して、 被害者一人あたり20000$を賠償する、1988年市民の自由法を可決し、レーガン大統領が署名し、 米国政府は日系人強制収容が重大な人権侵害であったと認め謝罪した。 1988年12月、リビアによる米国の旅客機爆破。 1989年4月、イスラエル占領下のシナイ半島のエジプトへの全面的返還終了。 1989年12月、米国はパナマに侵攻、ノリエガ政権を打倒、パナマ軍を武装解除。 1990年10月、レバノン内戦終了、内戦終了後もシリアはレバノン東部のシリアとの国境地帯、 イスラエルはレバノン南部のイスラエルとの国境地帯の占領を継続。 1991年1月、米国は、英国、フランスとともにクウェートに侵攻、湾岸戦争開始。 1991年3月、多国籍軍とイラクの停戦協定成立、湾岸戦争終了。 1991年、アル・カーイダ結成。 1991年6月、米国政府とソ連政府は中距離核兵器全廃条約が規定する、 核兵器を搭載する射程距離が500~5500Kmのミサイルを米国は846基、ソ連は1846基、 廃棄を履行したことを、相互査察により確認したと発表した。 1991年7月、米国政府とソ連政府は第一次戦略核兵器削減条約(START1)を締結、 米ソ両国は、条約発効の7年後までに、核兵器を搭載する 大陸間弾道ミサイル、潜水艦発射弾道ミサイル、爆撃機を、 それぞれ1600基(機)に削減することを規定し、 配備される核弾頭数の上限を6000発に制限し、 6000発のうち大陸間弾道ミサイル、潜水艦発射弾道ミサイルに 搭載する弾頭数は4900発以下に制限することを規定した。 1993年1月、米国政府とロシア政府は第ニ次戦略核兵器削減条約(START2)を締結、 米国とロシアは2003年月1日までに配備する核弾頭数を3000~3500発以下に削減、 そのうち、潜水艦発射弾道ミサイルを1750発以下に削減、 複数の核弾頭を搭載する大陸間弾道ミサイルを全廃することを規定した。 1992年12月、米国はソマリアに侵攻開始。 1993年1月、米国は湾岸戦争の停戦協定で設定されたイラク空軍の飛行禁止区域に イラク空軍機が侵入したことに対する制裁でイラクを空爆。 1993年2月、アル・カーイダはニューヨークの世界貿易センターピルの 地下駐車場から4階までを爆破し、6人が死亡、約1000人が負傷。 1993年6月、米国は湾岸戦争の停戦協定で設定されたイラク空軍の飛行禁止区域に イラク空軍機が侵入したことに対する制裁でイラクを空爆。 1993年8月、ノルウェー政府の和平調停により、イスラエルとPLOはイスラエルとパレスチナの 相互承認、PLOによるパレスチナ暫定自治合意(=オスロ合意)協定が締約した。 1994年3月、米国はソマリアから撤退。 1994年3月、米国はボスニア・ヘルツェゴビナを空爆。 1994年9月、米国はハイチに侵攻。 1995年3月、米国はハイチから撤退。 1995年3月、米国はイランに対して貿易・投資の禁止を実施。 1995年7月、米国とベトナムは国交を樹立。 1995年9月、イスラエルとPLOはパレスチナ暫定拡大自治合意(=オスロ合意II)協定が締約した。 1995年12月、米英仏独政府の和平調停により、ボスニア・ヘルツェゴビナ内戦終了。 1996年1月、米国議会は第ニ次戦略核兵器削減条約(START2)を批准した。 1996年9月、米国は湾岸戦争の停戦協定で設定されたイラク空軍の飛行禁止区域に イラク空軍機が侵入したことに対する制裁でイラクを空爆。 1997年9月、米国政府とロシア政府は第ニ次戦略核兵器削減条約(START2)の 条約の履行期限を2003年1月1日から2007年に延長すると規定した議定書に署名した。 1998年8月、アル・カーイダはケニア、タンザニアの米国大使館を爆破し、 300人が死亡、約5000人が負傷。 米国はスーダン、アフガニスタン、イラクがアル・カーイダに訓練基地を 提供しているという理由でスーダン、アフガニスタン、イラクを空爆。 1998年12月、米国は湾岸戦争の停戦協定で設定されたイラク空軍の飛行禁止区域に イラク空軍機が侵入したことに対する制裁でイラクを空爆。 1999年3月、米国はセルビアを空爆。 1999年12月、米国はパナマ運河の管理運営・警察・軍事権をパナマに返還、パナマから撤退。 2000年3月、イスラエルはレバノン南部の占領地から撤退。 2000年4月、ロシア議会は第ニ次戦略核兵器削減条約(START2)と議定書を批准した、 ただし、ロシア議会は批准に際して米国がABM条約から脱退した場合は、 ロシアも第ニ次戦略核兵器削減条約(START2)から脱退する権利を留保する規定を含んでいた。 米国議会は第ニ次戦略核兵器削減条約(START2)の履行期限の延期を規定した、 1997年9月に署名された議定書は批准していないので第ニ次戦略核兵器削減条約(START2)は 未発効の状態である。 2000年10月、アル・カーイダはイエメンのアデン港に停泊中の米海軍艦船コールに 自爆攻撃し、コールの乗組員17人が死亡、39人が負傷した。 2001年9月、アル・カーイダのニューヨーク、ワシントンDCへの航空機による自爆攻撃。 2001年10月、米国はアフガニスタンへの侵攻を開始。 2001年12月、米国政府とロシア政府は第一次戦略核兵器削減条約(START1)が規定する 戦略核兵器と核兵器運搬手段の削減に関して、相互査察の結果、 米国とロシアの両国が条約が規定する戦略核兵器と核兵器運搬手段の 削減を履行したことを確認したと発表した。 条約の履行の結果、米国の核弾頭数は5949発、ロシアの核弾頭数は5518発に削減された。 2001年12月、米国によるタリバーン政権打倒、占領統治開始。 2002年5月、米国政府とロシア政府は、戦略攻撃能力削減に関する条約を締結、 米国とロシアが2012年までに、配備された核弾頭数を1700~2200発に削減することを規定、 ただし、削減された核弾頭と、運搬手段である大陸間弾道ミサイル、 潜水艦発射弾道ミサイル、爆撃機の廃棄は義務付けられず、削減した核弾頭を保管すること、 削減せずに保有する核弾頭の種類と、核弾頭の運搬手段の種類と数量については、 規制されないと規定している。 2002年6月、アフガニスタン暫定移行政府に行政権返還、占領統治終了。 アフガニスタンの各民族・部族の代表者による暫定移行政府の大統領選出。 2002年6月、米国政府は大陸間弾道ミサイル迎撃ミサイル制限条約(ABM条約)から 脱退し、条約は失効した。 2002年6月、ロシア政府は、 米国議会が第ニ次戦略核兵器削減条約(START2)の議定書を批准しないこと、 米国政府がABM条約から撤退したことに対して、 ロシア政府も第ニ次戦略核兵器削減条約(START2)を履行するために 行動する義務は無くなったと表明した。 2003年3月、米国のイラクへの侵攻を開始。 2003年4月、米国によるフセイン政権打倒、占領統治開始。 2003年4月、米国、EUによる中東和平ロードマップ提言、パレスチナ自治政府に財政支援。 2003年5月、米国議会とロシア議会は戦略攻撃能力削減に関する条約を締結を批准し条約は発効。 2003年8月、米国はリベリアに侵攻。 2003年9月、米国はリベリアから撤退。 2003年12月、アフガニスタンの各民族・部族の代表者による憲法採択。 2004年2月、米国はハイチに侵攻。 2004年6月、米国はハイチから撤退。 2004年6月、占領行政管理当局からイラク暫定移行政府に行政権返還、占領統治終了。 2004年10月、アフガニスタン大統領選挙実施、投票率55%。 2005年1月、イラク暫定国民議会選挙実施、投票率58%。 2005年4月、シリアはレバノン東部の占領地から撤退。 2005年5月、ブッシュ大統領は、ルーズベルト大統領がヤルタ会談で、 リトアニア、ラトビア、エストニア、モルドバのソ連への併合、 東ドイツ、ポーランド、ハンガリー、チェコスロバキア、ブルガリア、ルーマニア、アルバニアに ソ連の傀儡の共産党政権を作り、ソ連の勢力圏にすることを容認したことは、 米国の失策だったと、米国政府としての歴史認識の見直しを表明した。 2005年8月、イラク暫定国民議会は憲法草案を作成。 2005年9月、アフガニスタン国民議会選挙実施、投票率50%。 2005年10月、イラク国民による憲法承認投票、得票率64%、賛成79%で憲法草案承認。 2005年10月、イスラエルは占領下のガザ地区から撤退、ガザ地区のパレスチナ暫定政府への返還終了。 2005年12月、イラク国民議会選挙実施、投票率67%。 2006年1月、パレスチナ自治区の国会議員選挙でイスラエル打倒による パレスチナの開放を掲げるハマスが最多議席を獲得した。 2006年3月、米国、EUはパレスチナ自治政府にハマス内閣が成立したので、 ハマスがイスラエルとの共存共栄を受け入れるまで財政支援を停止。 2006年5月、イラク政府発足。 2006年5月、米国とリビアは国交回復予定を宣言。 2006年6月、ハマスがイスラエルの存続承認への転換を表明するも反対勢力も存在する。 2006年7月、イスラエルとヒズボラが戦闘、イスラエルはレバノン南部に侵攻、 国連安保理の武力行使の停止を求める議案に米国は拒否権を行使。 以下は質問とは直接関係無いが米国に関して誤った記述が蔓延しているので参考までに。 個人的に米国(中国でも他の国でも同じ)に対してどのような感情を持っても、 米国(中国でも他の国でも同じ)に対してどのような政策を主張するにしても、 自分の感情や思想や政治的主張とは別に、現実認識は客観的・具体的な事実の積み重ね、 政府・公的機関・国際機関が公表した一次資料、歴史的・社会的な事実の積み重ねに基づいて、 多様な観点・多様な時間単位で、偏り無く認識し考察しなければ、 真実を認識できず、本質を理解できず、世界の諸国民が相互理解を深め、 世界の諸国民の利益と自国民の利益を共存共栄させる適切な政策判断もできない。 人間は完全無欠ではないので、誤認・誤解により、誤った認識や理解をすることはあるが、 誤認・誤解は認識は訂正すれば問題は解決するが、意図的な虚偽宣伝の繰り返しは、 世界の諸国民の相互理解の深化や共存共栄を侵害し、人類社会に有害無益な言動である。 米国の憲法では法律案・予算案・宣戦布告案の発議・審議・表決は、 いずれも議会上院と下院の権限であり、 大統領の権限ではないので大統領が予算を編成し決定することはありえない。 大統領が任命した連邦政府機関の長官・副長官・次官・次官補などの管理職、 大統領が任命した連邦裁判所の裁判官などの就任の可否に関する審議・表決、 条約の批准の可否に関する審議・表決、大統領の弾劾訴追と罷免の可否の審議・表決は、 いずれも議会上院の権限である。 http://japan.usembassy.gov/j/amc/tamcj-071.html クリントン大統領時代の1994年の中間選挙で上院・下院とも共和党が多数勢力になり、 クリントン大統領の在任期間の1993年1月~2001年1月のうち、 1995年1月~2001年1月の6年間に作成された予算や法律は、 共和党が多数勢力である議会が審議し票決した連邦政府予算や連邦法であり、 1998~2001会計年度の財政収支の黒字化は共和党が多数勢力である議会の実績である。 クリントン大統領の在任期間の1993年1月~2001年1月に、議会で審議・可決された、 1994~2001会計年度(米国の会計年度は前年の10月~当該年度の9月まで)の 予算・追加予算、歳入、支出、財政収支の統計によると、1994~1997会計年度は赤字であり、 1998~2001会計年度は黒字である(1995年1月以後は上院・下院ともに共和党が多数勢力である)。 1992年以後の上院・下院議員選挙の獲得議席数、大統領選挙の選挙人獲得数 1992 上院 民主57 > 43共和 下院 民主258 > 176共和 大統領 民主クリントン370 1994 上院 民主48 < 52共和 下院 民主204 < 230共和 1996 上院 民主45 < 55共和 下院 民主206 < 228共和 大統領 民主クリントン379 1998 上院 民主45 < 55共和 下院 民主211 < 223共和 2000 上院 民主50 = 50共和 下院 民主212 < 221共和 大統領 共和ブッシュ271 2002 上院 民主48 < 51共和 下院 民主204 < 229共和 2004 上院 民主44 < 55共和 下院 民主202 < 232共和 大統領 共和ブッシュ286 注: *上院議員の任期は6年で2年毎に三分の一づつ改選 *下院議員の任期は2年で2年毎に全員改選 *上院議員、下院議員、大統領の選挙時期は選挙年の11月 *上院議員、下院議員、大統領の就任期間は選挙の翌年の1月~各職の任期期間 *上記のリストは民主党または共和党以外の政党の獲得議席数は省略している クリントン大統領とブッシュ大統領の在職中の財政収支とGDP比 Year 年度収支とGDP比 累積収支とGDP比 1994 -2,031億$ -2.9% -46,433億$ -66.7% 1995 -1,639億$ -2.2% -49,205億$ -67.2% 1996 -1,074億$ -1.4% -51,814億$ -67.3% 1997 - 218億$ -0.3% -53,692億$ -65.6% 1998 + 692億$ +0.8% -54,781億$ -63.5% 1999 +1,256億$ +1.4% -56,055億$ -61.4% 2000 +2,362億$ +2.4% -56,287億$ -58.0% 2001 +1,282億$ +1.3% -57,698億$ -57.4% 2002 -1,577億$ -1.5% -61,984億$ -59.7% 2003 -3,775億$ -3.5% -67,600億$ -62.4% 2004 -4,121億$ -3.6% -73,546億$ -63.7% 2005 -3,183億$ -2.6% -79,053億$ -64.3% 上記資料の出典:USA Federal Government Office og Management and Budget http://www.whitehouse.gov/omb/budget/fy2007/pdf/hist.pdf Historical Tables Budget of the United States Government Fiscal Year 2007 単年度の財政収支額とGDP比の引用元は上記資料の Table1.3 Summary of Receipts , and Surpluses or Deficits in Current Dollars , Constant(FY2000) Dollars ,and as percentge of GDP 1940-2011 の、 in Current Dollars の列の Surpluses or Deficits 、 as percent of GDP の列の Surpluses or Deficits である。 累積財政収支額とGDP比の引用元は上記資料の Table1.7 Federal Debt at The End of Year 1940-2011 の in Million Dollars の列の Gross Federal Debt 、 as percent of GDP の列の Gross Federal Debt である。 累積財政赤字額はクリントン大統領在任中も増大している。 累積財政赤字のGDP比はクリントン大統領在任中も、ブッシュ大統領在任中も、同水準である。 クリントン大統領の在任期間中、累積財政暗示額の増加率よりも 名目GDPの増加率が高かったので、累積財政赤字のGDPに対する比率は低下している。 国債購入者に対する利子・元本の支払いは、 大統領が誰でも、大統領の所属政党が民主党でも共和党でも遂行している。 累積財政赤字の絶対額が増加するか減少するかは、 毎年の国債発行額と利子・元本の支払額の差の現れであり、 累積在来赤字のGDP比が増加するか、減少するかは、 累積財政赤字の絶対額のGDP比は累積財政赤字の増加率と名目GDPの増加率により変動する。 米国では会計年度が前年10月~当該年度9月なので、 毎年10月に米財務省の財政収支速報が公表されます。 米財務省は2006会計年度の財政収支速報を10月11日に公表し、 2006会計年度の財政収支速報値はマイナス2477億米ドルです。 新聞各社の2006年10月12の報道から引用して記載します。 政府機関が公開し、新聞・テレビ放送で広く報道されている客観的事実に反する、 虚偽宣伝を繰り返しても社会的影響力は全く無く、国民大衆からは信用されない。 >ロイター 2006年10月12 >米財務省は11日、2006会計年度(2005年10月─2006年9月)の >財政赤字が2480億ドルと、05年度の3190億ドルから縮小したと発表した。 >02年度の1578億ドル以来の低水準となる。歳入・歳出がともに過去最大となった。 >米議会予算局(CBO)の予想は2500億ドル、米政府予想は2960億ドルだった。 >日本経済新聞 2006年10月12 >米財務省は11日、2006会計年度(05年10月―06年9月)の米財政赤字が前年度比22.3%減の >2477億ドルに縮小したと発表した。米景気の回復で税収が大幅に増えたため、 >赤字額は4年ぶりの低水準にとどまった。 >国内総生産(GDP)に対する財政赤字の比率は1.9%程度となり、前年度の2.6%を下回った。 >米政府は09年度までに、財政赤字を04年度当初見通し(5210億ドル、対GDP比率4.5%)の >半分に減らす方針を掲げており、この目標を3年前倒しで達成した格好だ。 >06年度の歳出は7.4%増の2兆6544億ドル、歳入は11.8%増の2兆4067億ドルで、 >いずれも過去最大を更新した。所得税が13%増、法人税が27%増を記録するなど税収が好調で、 >歳出の伸びを上回るペースで歳入が拡大した。 >朝日新聞 2006年10月12 >米財務省は11日、06会計年度(05年10月~06年9月)の財政赤字が前年度より >22.3%少ない2477億ドル(国内総生産比では1.9%)に縮小したと発表した。 >景気拡大による税収増によるもので、赤字額は04年度(4128億ドル)に >過去最高を記録して以来2年続けて減り、06年度は02年度(1577億ドル) >に次ぐ低水準。米議会は6日に約2500億ドルとの試算を出していた。 >ブッシュ政権は04年に09年度の赤字額を5210億ドルと予想し、 >「財政再建」の目標として同年度までに半減させる計画だった。 >それを3年前倒しで実現させたことになる。 >毎日新聞 2006年10月12 >米財務省は11日、06会計年度(05年10月~06年9月)の米財政赤字が >前年度比22.3%減の2477億ドル(約29兆円)に縮小したと発表した。 >米景気が堅調に推移し、税収が大幅に増加したため。 >赤字額は02年度(1578億ドル)以来、4年ぶりの低水準となった。 >ブッシュ政権は「財政赤字を09年度までに、04年度当初見通し(5210億ドル) >から半減させる」との目標を掲げており、3年前倒しで達成した形。 >ブッシュ大統領は同日の会見で「減税政策が経済を拡大し、赤字を削減した」と自賛し、 >来月の中間選挙に向けて成果をアピールした。 >ただ、今後は米景気の減速で税収が伸び悩む恐れがある。 >米軍のイラク駐留の長期化で駐留経費が一段とかさむことや、 >ベビーブーマー世代の引退に伴う年金・医療費負担の増大も予想される。 >米議会予算局は8月、財政赤字が07年度に2860億ドル、 >10年度に3280億ドルに再び拡大するとの予測を示している。米財政赤字は、 >イラク戦費などで04年度に過去最大の4127億ドル(実績)に悪化していた。
お礼
アメリカの経済に関しての情報ありがとうございます。 自業自得、という感じがしますね。
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国家が武力行使をする場合とは、政府が政策を遂行する場合の選択肢の一つであり、 政府は常に武力行使という手段を採用するわけではない。 政府は政治、経済、軍事、その他の様々な手段で外交政策を遂行するが、 政策の遂行・政策目的に実現のために、個々の政治的手段の長所短所・利害損得を、 多様な観点、多様な時間単位で考察し、最も有効性・実効性が高い手段を採用する。 政府の政策の遂行・政策目的の実現のための様々な手段の長所短所・利害損得の判断は、 他の分野に例えれば、医師が病気を治療する場合に、薬物、食事、免疫、放射線、手術など、 様々な治療方法の中から、各治療法方の長所短所・利害損得、被治療者の希望を、 多様な観点、多様な時間単位で考察し、最も有効性・実効性が高い手段を採用することと同じである。 政府が武力を行使することはね医療の場合に例えれば、外科的手術である。 武力行使も外科的手術もそれなりの効果はあるが、予想以上・予想外のマイナス効果もあるので、 武力行使や外科的手術が、政府の政策目的や、医師の治療目的を常に達成できるとは限らない。 武力行使や外科的手術の結果が、場合によっては、政府の政策目的や、医師の治療目的に対して、 利益よりも不利益が大きくなる、または、有害無益の結果になることもあり得る。 米国は第二次世界大戦当事から、多くの国に対して体制変確を行い、または、 行おうとしたが未遂に終わった場合も含めて、体制変革の方法と結果は多種多様である。 米国がイラクに対して武力を行使したから、北朝鮮に対してもなぜ武力を行使しないのか、 という問いは、個々の国に対する政策や制約条件の多様性を無視して単純化した考え方で、 政策判断としては一般的な考え方ではない。個人や法人が他者との関係において、 誰に対しても同じ姿勢で対応するわけではないのと同じことです。 米国は北朝鮮に対しては中国、ロシアと連携して、 非軍事的手段で体制崩壊と韓国による統一に持ち込もうとしていると推測され、 米国政府は北朝鮮に対して軍事力を行使する意思は無いと表明しています。 以下は米国が関与した体制変革の事例、方法、結果の一部抜粋である。 1941~1945年 ドイツ ナチス政権 米国の利権と敵対したので戦争で政権打倒、占領下で体制改革。 1941~1945年 日本 軍部翼賛政権 米国の利権と敵対したので戦争で政権打倒、占領下で体制改革。 1960年 韓国 李承晩 腐敗政治蔓延で国民の不安が高まったので、反政府勢力を支援して失脚させ政権交代。 1970年 カンボジア シアヌーク国王 北ベトナム政府、南ベトナム解放民族戦線に協力的だったので、 米国に協力的なロン・ノル将軍を背後から支援してクーデターで政権樹立。 1973年 チリ アジェンデ大統領 社会主義政権で米国の利権と対立したので、 米国に協力的なピノチェト将軍を背後から支援してクーデターで政権樹立。 1974年 日本 田中首相 米国石油資本に依存しない石油資源開発をしようとしたので、 贈収賄事件をリークして失脚させ政権交代。 1979~1991年 ニカラグア サンディニスタ国民戦線 社会主義・民族主義政権で米国の利権と対立したので、 反政府武装勢力コントラを背後から支援して内戦になり、 内戦終結後の選挙でサンディニスタ国民戦線は野党になり米国に協力的な政権樹立。 1983年 グレナダ ビショップ首相 クーデターでソ連、キューバに協力的なビショップ政権が樹立されたが、 米軍が軍事侵攻してビショップ政権を打倒、米国に協力的な政権を樹立。 1986年 フィリピン マルコス政権 腐敗政治蔓延で国民の不安が高まったので、反政府勢力を支援して失脚させ政権交代。 1989年 パナマ ノリエガ将軍 米国の利権と敵対したので軍事侵攻で政権打倒、武装解除。 2001年 アフガニスタン タリバーン政権 米軍が軍事侵攻してタリバーン政権を打倒、体制変革により選挙が行われ、 政権が樹立されたが、テロの死傷者続出と復興進展の不十分により今後の行方は不明確。 2003年 フセイン政権 米軍が軍事侵攻してフセイン政権を打倒、体制変革により選挙が行われ、 政権が樹立されたが、テロの死傷者続出と復興進展の不十分により今後の行方は不明確。 1900年以後の米国の国内政策、対外政策、対外的な戦争・武力行使に関連する重要な事象。 1900年7月、米国は、日本、ロシア、英国、フランス、イタリア、ドイツ、オーストリアとともに清に侵攻。 1901年9月、米国は、日本、ロシア、英国、フランス、イタリア、ドイツ、オーストリアとともに 清と和平条約を締約し撤退。 1901年9月、マッキンリー大統領暗殺、ルーズベルト副大統領が大統領に就任。 1902年9月、米国はコロンビア領のパナマに侵攻。 1903年11月、パナマ独立、米国政府はパナマを国家として承認。 1903年11月、米国はパナマとパナマ運河の建設・管理運営・警察・軍事権を米国が行使する条約を締約。 1905年9月、米国政府は日露戦争の和平を調停、日本とロシアはポーツマス講和条約を締約。 1906年9月、米国はキューバに侵攻。 1907年3月、米国はホンジュラスに侵攻。 1909年1月、米国はキューバから撤退。 1909年11月、米国はニカラグアに侵攻。 1911年3月、米国はホンジュラスから撤退。 1912年9月、米国はドミニカ共和国に侵攻。 1913年9月、パナマ運河完成。 1914年1月、米国はパナマから撤退。 1914年7月、第一次世界大戦開始。 1915年7月、米国はハイチに侵攻。 1917年4月、米国議会はドイツに対して戦線布告。 1917年3月、米国はキューバに侵攻。 1917年12月、米国議会はアルコール入り飲料の製造・販売を禁止する合衆国憲法修正第18条を可決。 1918年8月、米国は、日本、英国、フランスとともにロシアのシベリアに侵攻。 1918年11月、第一次世界大戦終了。 1919年1月、合衆国に加盟する州のうち、四分の三以上の州が合衆国憲法修正第18条を批准し発効。 1919年6月、ベルサイユ講和条約締約、 米国政府は日本政府が提案した人種差別撤廃条項に反対し、条文化を阻止した。 1920年1月、ベルサイユ講和条約発効。 1920年3月、League of Nations 設立、米国は議会が署名せず非加盟。 1920年8月、米国は、英国、フランスとともにロシアのシベリアから撤退。 1922年2月、ワシントン海軍軍縮条約締約。 1922年2月、米国はキューバから撤退。 1923年8月、ハーディング大統領が病死、クーリッジ副大統領が大統領に就任。 1924年2月、米国はホンジュラスに侵攻。 1924年3月、米国はホンジュラスから撤退。 1924年7月、米国議会は移民・帰化法に、移民希望者の出身国別受け入れ制限、 日本人の移民受け入れ数をゼロにする、第13条C項の移民制限規定の追加を可決、 クーリッジ大統領が署名し成立。 1929年10月、ニューヨーク証券取引所の株価が暴落、恐慌になり、恐慌は世界の市場経済国に波及。 1930年4月、ロンドン海軍軍縮条約締約。 1930年6月、米国議会は、米国への輸入品に高率関税を課す保護貿易政策法案である スムート・ホーレー法を可決、フーバー大統領が署名し成立した。 1933年1月、米国はニカラグアから撤退。 1933年12月、米国議会は合衆国憲法修正第18条の廃止を可決、四分の三以上の州が批准し発効。 1934年10月、米国はドミニカ共和国から撤退。 1934年8月、米国はハイチから撤退。 1940年7月、日本がフランス領インドシナ植民地北部に軍を進駐させたことに対して、 米国政府は日本への石油・鉄の輸出を制限した。 1941年7月、日本がフランス領インドシナ植民地南部に軍を進駐させたことに対して、 米国政府は日本への石油輸出を禁止、日本の在米資産を接収した。 1941年11月、米国政府は日本政府に対して、 東アジアにおける対外権益の放棄を求める交渉案(ハルノート)を提案。 1941年12月、日本の真珠湾攻撃、米国議会は日本、ドイツに宣戦布告。 1942年2月、米国政府は日系人を強制収容所に収監した。 1945年2月、ヤルタ会談で、ルーズベルト大統領は、スターリン書記長に対して、 エストニア、ラトビア、リトアニア、モルドバのソ連への併合、 ドイツとポーランドの国境を西へ移動、ポーランドとソ連の国境を西へ移動、 ドイツの米英仏ソによる分割占領・統治・体制変革・戦争指導者の処罰、 東ドイツ、ポーランド、ハンガリー、チェコスロバキア、ブルガリア、ルーマニア、 アルバニアに、ソ連の傀儡の共産党政権を樹立しソ連の勢力圏にすること、 ソ連の対日参戦を要請、南サハリン、千島列島のソ連への帰属変更などを密約した。 1945年3月~8月、米国は日本の市街地の一般市民と民家を標的にして、 標的地域全体を焼夷弾で攻撃することによる焼き尽くし、皆殺し作戦を遂行、 東京、大阪、横浜、名古屋、その他の多くの都市で非戦闘員の市民を大量虐殺。 1945年4月、ルーズベルト大統領が病死、トルーマン副大統領が大統領に就任。 1945年8月、米国は広島、長崎に原爆投下、非戦闘員の市民を大量虐殺。 1945年8月、日本はポツダム宣言を受諾し連合国に降伏、日米戦争と第二次世界大戦終了。 1945年9月、朝鮮半島北部をソ連が占領、南部を米国が占領。 1945年10月、United Nations 設立。 1946年4月、連合国による極東軍事裁判開始。 1946年9月~1947年9月、GHQは日本の大企業が軍国主義に協力したと認識し、 軍国主義の復活を予防するために、大企業を分割する財閥解体を遂行。 1946年11月、GHQは日本の軍国主義の復活を予防するために日本国憲法を制定。 1947年5月、日本国憲法施行。 1947年11月、米国政府は、国連総会において、 パレスチナをユダヤ人居住区とパレスチナ人居住区に分割し、 エルサレムは国連の管理とするパレスチナ分割決議を支援。 1948年5月、米国政府はイスラエルの建国を支援、イスラエルを国家として承認。 1948年5月、エジプト、レバノン、シリア、ヨルダン、イラクはイスラエル建国を容認できないとして、 イスラエルに宣戦布告し、第一次中東戦争が発生。 1948年2月、ソ連が占領していた朝鮮半島北部は朝鮮民主主義人民共和国として独立。 1948年8月、米国が占領していた朝鮮半島南部は大韓民国として独立。 1948年11月、連合国による極東軍事裁判終了、A級先般は死刑7人、終身刑16人、有期刑2人。 1948年12月、極東軍事裁判でA級先般として死刑判決を受けた7人の死刑執行。 1949年7月、第一次中東戦争が終了、イスラエルはバレスチナ分割決議で承認された パレスチナ人居住区の一部と西エルサレムに支配地域を拡大、 米国政府は第一次中東戦争の結果を容認。 1950年6月、北朝鮮の韓国への侵攻、朝鮮戦争発生、米国は、英国、フランスとともに朝鮮戦争に参戦。 1951年9月、ソ連と中国を除く連合国政府、日本政府はサンフランシスコ講和条約に署名。 1952年4月、サンフランシスコ講和条約発効、日本は独立を回復、日米安全保障条約締約。 1953年7月、北朝鮮、中国と米国、多国籍軍との停戦協定成立、朝鮮戦争終了。 1956年10月、第二次中東戦争開始、イスラエルはエジプト領シナイ半島を侵略。 1956年11月、英国、フランスがイスラエルに協力して参戦、 イスラエル、英国、フランスはシナイ半島、スエズ運河を占領するが、 米国政府はイスラエル、英国、フランスに対して、 シナイ半島、スエズ運河のエジプトへの返還、侵略軍の全面撤退を勧告、 イスラエル、英国、フランスは米国政府の勧告を受け入れて撤退、第二次中東戦争終了。 1958年6月、米国はレバノンを空爆。 1959年5月、米国はパナマに侵攻。 1961年1月、米国はキューバと国交断絶。 1961年1月、米国は南ベトナムに空軍と軍事顧問団を派遣。 1961年4月、米国政府はキューバのカストロ政権を転覆させようとして、 亡命キューバ人を組織化し、武器と資金を与えてキューバに侵攻させたが、 キューバ軍の反撃により作戦は失敗した。 1961年4月、米国政府はキューバとの貿易を禁止。 1962年2月、米国は南ベトナムに軍事援助司令部を設置。 1962年10月、ソ連がキューバに米国を標的にするミサイル基地を建設、 米国政府はキューバを海上封鎖し、ソ連にミサイル基地の撤去を要求、 ソ連がミサイル基地を撤去しない場合は武力行使によるミサイル基地の破壊を通告、 ソ連は米ソ全面戦争を回避するため、ミサイル基地を撤去した。 1963年11月、ケネディ大統領暗殺、ジョンソン副大統領が大統領に就任。 1964年7月、米国議会は公民権法を可決、ジョンソン大統領が署名。 1964年8月、米国議会は北ベトナムに対する宣戦布告を可決、 米国は北ベトナムの海軍基地に対する攻撃を開始。 1965年2月、米軍は北ベトナムに対する空爆を開始。 1965年3月、米軍は南ベトナムに対する陸軍・海兵隊の投入を開始。 1965年4月、米国はドミニカ共和国に侵攻。 1966年7月、米国はドミニカ共和国から撤退。 1967年6月、イスラエルはエジプト、シリア、ヨルダン、イラクを侵略、第三次中東戦争開始。 イスラエルは東エルサレム、ヨルダン川西岸全域、ガザ地区、ゴラン高原を占領、 米国政府はイスラエルの占領を容認、国連安保理におけるイスラエル非難、 占領地の返還要求決議に拒否権を行使。 1968年6月、小笠原諸島の日本への返還。 1970年4月、米国はカンボジアに侵攻。 1970年6月、米国はカンボジアから撤退。 1970年6月、第三次中東戦争終了。 1971年2月、米国はラオスに侵攻。 1971年8月、ニクソン大統領は$と金の兌換停止。 1971年12月、ニクソン大統領は$と他国通貨との為替レートを切り下げ、1$=360¥→308¥に変更。 1970年11月選挙 上院 民主54>44共和 下院 民主255>180共和 1972年2月、ニクソン大統領は中国を訪問、毛沢東主席と会談、 米中共同声明で米国政府は中華人民共和国政府を承認。 1972年5月、米国政府とソ連政府は第一次戦略兵器制限条約(SALT1)を締結、 米国の大陸間弾道ミサイルを1000基、潜水艦発射弾道ミサイルを710基、 ソ連の大陸間弾道ミサイルを1410基、潜水艦発射弾道ミサイルを950基、 に制限することを規定した。 1972年5月、米国政府とソ連政府は大陸間弾道ミサイル迎撃ミサイル制限条約(ABM条約) を締結、大陸間弾道ミサイル迎撃ミサイルの配備基地を首都ともう一か所の二か所に 制限することを規定した。 1972年6月、沖縄諸島の日本への返還。 1972年10月、米国議会とソ連議会は大陸間弾道ミサイル迎撃ミサイル制限条約(ABM条約) を批准し条約は発効した。 1973年1月、米国、北ベトナム、南ベトナム、南ベトナム臨時革命政府の和平協定締約。 1973年2月、米国はラオスから撤退。 1973年3月、米国はベトナムから撤退。 1973年3月、ニクソン大統領は外国為替を変動相場制に転換。 1973年10月、エジプト、シリアはイスラエルに侵攻、第四次中東戦争開始、 エジプトはシナイ半島を奪還、シリアはゴラン高原を奪還したが、 イスラエルは反撃してシナイ半島、ゴラン高原を再び占領、 イスラエルはシナイ半島からさらにエジプト領内、ゴラン高原からさらにシリア領内へ侵攻するが、 ニクソン大統領とソ連のブレジネフ書記長の停戦調停により、第四次中東戦争終了。 1974年7月、米国政府とソ連政府は大陸間弾道ミサイル迎撃ミサイルの配備基地を 一か所に制限する大陸間弾道ミサイル迎撃ミサイル制限条約(ABM条約)の議定書を締結した。 1974年8月、ニクソン大統領はウォーターゲート事件で、上院がニクソン大統領の弾劾訴追をめざし、 上院議員の三分の二以上が賛成して大統領を罷免されると判断したので、罷免される前に辞職した。 1975年4月、レバノン内戦開始。 1976年6月、シリアは内戦下のレバノンに侵攻。 1978年3月、イスラエルは内戦下のレバノンに侵攻。 1978年9月、カーター大統領の和平調停により、エジプトとイスラエルは相互承認、国交を樹立。 1979年1月、米中国交樹立。 1979年2月、イランのイスラム革命体制樹立。 1979年6月、米国政府とソ連政府は第二次戦略兵器制限条約(SALT2)を締結、 核弾頭の運搬手段である大陸間弾道ミサイル、潜水艦発射弾道ミサイル、爆撃機の数量制限、 核弾頭の複数弾頭化の制限を規定した。 米国議会はソ連のアフガニスタン侵攻を理由に批准せず条約は発効しなかった。 1979年11月、イランの米国大使館占拠、人質監禁事件発生、米国政府はイランと国交断絶。 1980年4月、米国政府はイランに対して経済制裁発動。 続く ↓
お礼
>政府は政治、経済、軍事、その他の様々な手段で外交政策を遂行するが、 >政策の遂行・政策目的に実現のために、個々の政治的手段の長所短所・利害損得を、 >多様な観点、多様な時間単位で考察し、最も有効性・実効性が高い手段を採用する。 >米国がイラクに対して武力を行使したから、北朝鮮に対してもなぜ武力を行使しないのか、 >という問いは、個々の国に対する政策や制約条件の多様性を無視して単純化した考え方で、 >政策判断としては一般的な考え方ではない。個人や法人が他者との関係において、 >誰に対しても同じ姿勢で対応するわけではないのと同じことです。 それでもいいですけど、その場合きちんと周りに説明しないと「イラク戦争の名目はうそでした。」、と捉えられてもしょうがないですね。 >米国政府は北朝鮮に対して軍事力を行使する意思は無いと表明しています。 それをなぜなのか政府がきちんと説明しないと、殆んどの人は納得しないでしょう。 >以下は米国が関与した体制変革の事例、方法、結果の一部抜粋である。 アメリカが戦争大好きだということは、わかりました。ただ、イラク戦争で国連の採決を無視して、今回は国連の採決を優先するという態度がころっと変わる政策にたいしてきちんと政府からの説明が聞きたいですよね。
- kb-nike
- ベストアンサー率36% (72/200)
アメリカのイラク侵攻を支持していませんが…。 イラクを攻撃したのは、名目的には、専制政治反対と大量破壊兵器(核兵器)拡散防止ですが、隠された動機として、イスラエルの安全保障と、石油権益の支配、そして副次的に軍事産業と大統領関係者の利益発生のためでしょう。 これらの条件を「北」に当てはめると、攻撃の動機として、専制体制の打破と核拡散防止が残ります。 日本の安全保障については、イスラエルと比べれば、戦争開始するほどの動機とはならないでしょう。 核拡散防止もご都合主義で、インド、パキスタンの例を見れば、絶対的の命題ではないでしょう。 専制体制反対もアラブにはそのような国は他にもあることを考えればどこまで本気か分かりません。 「北」に関しては、中国を宗主国とみなして、中国にコントロールさせるつもり、と思われます。 アメリカが直接「北」を攻撃することは無いと思います。 攻撃する気があれば、とっくに、「休戦中」の「朝鮮戦争」を再開しているのではないでしょうか。 アメリカにとっては、当分、兵器の更新・戦術の実験も必要ないでしょうし、戦争してまで「北」を韓国に取り返してやるほど、韓国とも親密でもないし、なんのメリットもないのでは、と思います。
お礼
なるほど。 この回答を読んで、ますますイラク戦争を支持した人の弁明が聞きたくなりました。 特に小泉総一郎氏の弁明が聞きたいです。
- ssawhnaf
- ベストアンサー率8% (2/23)
アメリカは第二次世界大戦が終わってすぐに 独立した朝鮮が平和な国家建設に取り組んでいたのに 軍需産業の金儲けのために朝鮮に戦争を仕掛け朝鮮人を500万人も殺した。 イラクやアフガンで戦争してるから北朝鮮を攻撃しないというのは間違い。 戦争で経営が成り立つ軍需産業に支配されたアメリカは戦争の口実を 次々に作って必ず北朝鮮に戦争を仕掛けます。 アメリカは軍需産業に依存して経済が成り立つ軍産複合体に支配された国で 戦争と搾取をしなければ成り立たない国で世界各国と共生できない国です。 アメリカの歴史は口実をデッチ上げて戦争をしかける戦争の連続の歴史です。 イラク戦争の理由にした大量破壊兵器もデッチ上げのウソだったように アメリカが言っていることは全部ウソというのは世界の常識です。 9.11もアメリカが戦争をするための自作自演だったことが暴かれてます。 世界の軍拡競争もアメリカが軍拡をするからでアメリカのせいです。 軍拡競争や戦争や搾取をなくすためにはアメリカを打倒しなければなりません。 世界各国が国連中心主義で平和と共生を守ってきたのに アメリカとイギリスとイスラエルと日本だけが国連を無視して戦争と搾取をしてます。 軍拡競争と戦争をなくして世界平和のため、搾取をなくして世界の共生のためには アメリカと軍需産業とグローバリズムを打倒しなければならないという考えから 世界各地で反アメリカ戦線が作られ大部分の国が反アメリカ戦線に参加してます。 NHKスペシャルベネズエラ革命、ラテンアメリカの反米で紹介したように 中南米ではベネズエラ、ヨーロッパはEU、アフリカはAU 中東はイラン、アジアは中国がリーダーになって反アメリカ戦線を作って アメリカの戦争や搾取にNOを突きつけアメリカ打倒のために戦ってます。 アメリカとイギリスとイスラエルと日本は世界各国の市民から 平和と人権を侵害し世界と共生できない国と評価され軽蔑され孤立してます。 このままでは日本はアメリカとイギリスとイスラエルと道連れで滅びます。 日本はアメリカ盲従をやめ世界の反アメリカ戦線に参加すべきです。 日本は世界各国と協力して人類の敵悪魔アメリカ打倒に立ち上がるべきです。
お礼
>イラク戦争の理由にした大量破壊兵器もデッチ上げのウソだったようにアメリカが言っていることは全部ウソというのは世界の常識です。 それを受けて、イラク戦争を支持した人、小泉前首相のコメントを日本のマスコミは聞きだそうとしないのでしょうか? >日本は世界各国と協力して人類の敵悪魔アメリカ打倒に立ち上がるべきです。 まぁ、MicorosoftやInternetはアメリカ発祥なので一概に人類の敵と言ってしまうのはどうかと思いますが、間違いを犯していたらみんなで指摘してあげないとだめでしょう。 日本のジャーナリストにそれを率先してやってほしいのですけど無理なのでしょうか?
- cse_ri2
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まあ、戦費について言えば、アメリカ政府が国債を発行して、それを日本が買い上げるという手があるので、致命的な問題ではありません。 むしろ問題なのは、No.5の回答でも触れていますが、国連での手続き上の問題と展開可能な軍事力の問題です。 アメリカは形だけとはいえ、国際法に基づく根拠がないと大規模な軍隊を動かすことはしません。 核関連施設のピンポイント空爆くらいは、ごり押しでしてしまうでしょうが。 あと軍事的な問題では、アメリカに非協力的な韓国の現政権が存続する限り、やはり実力行使は難しいと思いますよ。 もっともこちらについても、国連事務総長を通じて、最低限の義務だけは果たすよう圧力を掛ける手が残っていますが。 どちらにしても、内外の情勢を総合的に判断すると、早期の軍事力行使はありえないでしょう。 北朝鮮が更なる核実験を繰り返したり、また自分から手を出すという事態になれば、話は別ですが。
お礼
>アメリカは形だけとはいえ、国際法に基づく根拠がないと大規模な軍隊を動かすことはしません。 イラクのときは国連で否決されたにもかかわらずごり押しでやりましたよね。 本当に「大量破壊兵器」がよくないと思っていたら北朝鮮に対しての武力行使をイラクのときと同じように国連に促すはずです。 それをしない限り、先の戦争の理由は単なる口実だったと受け止められても仕方がないですね。
- sudacyu
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現状では、アメリカに戦力的にも国家予算でも大規模戦争に訴える能力がありません。 戦力については、皆さんご指摘の通りですし、お金について言えば、クリントン政権時代に大幅な黒字で国債を減らした国家財政が、イラク・アフガニスタン・テロ対策に多額の費用を取られ、ニューオリンズの台風被害の復旧に予算不足を生じるほどです。 現在は年間50兆円を越える赤字になっていて、日本の二倍以上の経済規模とはいえ北朝鮮と戦争を起こすと、経済が耐えられなくなります。 アメリカにとって、ピンポイントの金正日個人に対する電撃攻撃という選択肢は残っていますが。
お礼
予算の都合ということですか。 だとしてもアメリカのお金さえあれば攻めるぞ、という姿勢が見えてこなければ、先の戦争での名目が丸つぶれですね。
- nacam
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色々な理由は有りますが、現在アメリカには北朝鮮に攻撃をかける戦力が有りません。 現在のアメリカ軍は、イラクやアフガニスタン駐留のため、予備戦力が無く、ブッシュさんとしては、北朝鮮よりもイラン攻撃を予定していますから、イラン攻撃の準備も必要で、とても北朝鮮にかまっていられません。 また最近アメリカの裏庭であった中南米の動きも不穏で、反アメリカ勢力が著しく台頭してきており、それにも備える必要が有り、北朝鮮に戦力を回す余力が全く有りません。 本来のブッシュ氏周辺の予定では、アフガニスタンを攻撃し、タリバンを潰し、選挙を行えば、安定化するので、その後イラクのフセインを倒し、イランのアフマシネジャドを倒し、シリアのアサドを続けて倒す予定でした。 ところが、アフガニスタンでさえ安定化せず、戦力を貼り付けたままイラクを攻撃し、混乱はさらに極まったため、イラン攻撃もできなくなっています。 さらに北朝鮮の場合は、中国の存在があり、中国国境にアメリカ軍が展開する事は、中国としては、絶対に受け入れる事はできません。 最悪米中戦争の危険性も有ります。
お礼
>色々な理由は有りますが、現在アメリカには北朝鮮に攻撃をかける戦力が有りません。 では替わりに国連に戦争を促すことはしないのでしょうか? >本来のブッシュ氏周辺の予定では、アフガニスタンを攻撃し、タリバンを潰し、選挙を行えば、安定化するので、その後イラクのフセインを倒し、イランのアフマシネジャドを倒し、シリアのアサドを続けて倒す予定でした。 アメリカが戦争大好きなのはよくわかりました。ただ、その戦争の理由が大量破壊兵器保持の阻止で、納得できるのでしょうか。 たしか、フセインを捕まえたころからその理由が「民主主義をひろめるため」とかになってましたよね。そしたらなおさら、中国、ロシアと戦わざるを得ないと思うのですけどどうなっているのでしょうか。 北朝鮮に対して武力行使をしないといってしまうのようだと、今までやってきたことに対して説明をつけられないと思います。イラク戦争は間違っていた、アメリカは認めているのでしょうか。
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アメリカにとっては、北朝鮮よりも中国の出方の方が重要でしょう。 アメリカは中国と戦争なんてしたくないし、 中国も北朝鮮を潰されてしまったら、大勢の難民が押し寄せてきて経済が混乱してしまいます。
お礼
>アメリカにとっては、北朝鮮よりも中国の出方の方が重要でしょう。 >アメリカは中国と戦争なんてしたくないし、 ということはやっぱり、イラク戦争の理由は単なる口実だった、ということでしょうか? >中国も北朝鮮を潰されてしまったら、大勢の難民が押し寄せてきて経済が混乱してしまいます。 イラク戦争のときは難民の話など聞いたこともありませんでした。 とにかくイラク戦争を支持した人のコメントが聞きたいです。
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お礼
なるほど。そういうことでしたか。 #3のお礼に書いた例え話ですと、K君の孤児院を経営している新興宗教は世界的に活動しているなマフィアとつながりがあった、というような感じでしょうか。 もしおっしゃることが事実だとしたら、中国とロシアの後ろ盾があれば核保有してもいいという風に聞こえますね。 よくよく考えたら、中国、ロシアになぜアメリカは宣戦布告しないのでしょうか?大量破壊兵器もってますよ。それができない、ということはやはりイラク戦争の名目は単なる口実だったということですね。 では、イラク戦争を支持した人たちはそれに対してどう思っているのでしょうか?何らかの弁明が聞きたいです。