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三国志について
蜀の軍師で諸葛亮孔明ていたじゃないですか。 その息子は魏に攻められたときあっさり死んだイメージがあるんですけど、 頭はよくなかったんですか? それと孔明が残した書物はあるんですか? あるならその内容を知る方法も教えてください。
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諸葛亮の息子は諸葛瞻ですね。 参考URLに詳しいです。 また孔明の著作に『諸葛氏集』なるものがあったことが『三国志』の中に見えます。 その目録は以下の通りです。 開府作牧第一 權制第二 南征第三 北出第四 計算第五 訓・第六 綜覈上第七 綜覈下第八 雜言上第九 雜言下第十 貴和第十一 兵要第十二 傳運第十三 與孫權書第十四 與諸葛瑾書第十五 與孟達書第十六 廢李平第十七 法檢上第十八 法檢下第十九 科令上第二十 科令下第二十一 軍令上第二十二 軍令中第二十三 軍令下第二十四 以上24篇、104112字だそうです… こちらは全文は現代に伝わっていないのではないかと思います。 また別に三国志の撰者である陳寿のもので『諸葛亮集』というものもあります。 この中の孔明自身の著作と思われるものは日本語に翻訳されているようです。 中林史朗『諸葛孔明語録』(明徳出版社、1986年)207p、2233円 を参照してみてください。
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- shoyosi
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現代に残っている文で有名なのは、他の人が指摘している様に、やはり「前出師表」です。出師の表とは、出陣にあたって皇帝にささげる上表文です。劉備の三顧の礼により召し出された諸葛亮が北伐に際し、後主劉禅にささげた『出師の表』は、彼の至誠の心をあますところなく披瀝した名文としてあまりにも有名で、読んで流さない者はいないといわれています。 原文 http://www.cnd.org/BIG5/Classics/Prose/Before_Expedition.b5.html 日本語訳 http://www3.justnet.ne.jp/~gotengo/suisi.htm この日本語訳も難しいですが、ちゃんとしたものは、「文章軌範」という漢文の名文集に収められています。この中でも有名な文ですので、漢文のちょっとした本には解説つきで載っています。また、三国志の該当個所にも、載っています。
お礼
わざわざありがとうございます。 さっそく「文章軌範」というのを探して読んでみたいと思います。
- bourbon
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諸葛瞻(しょかつせん)字は思遠(しえん)が孔明の子ですが、261年に行軍護衛将軍に任ぜられるが、その後、宦官の黄皓が権力を握ったために病と偽り家に引きこもる。 その後、蜀の滅亡寸前になって劉禅に召し出され、諸葛瞻の子である諸葛尚と魏軍を迎え撃つが援軍を待ちきれずに自害した。ということで頭が良かったかどうかは分かりませんが、実戦での活躍はありませんので戦いの面を見るとそれほどではないように思います。しかし、学問ではもしかしたら頭が良かったかもしれません。 諸葛亮が残した書物ですが、私は読んだことはありません。まあ、出師の表は読みましたけど、あれは書物とは言わないと思いますし。三国志や孔明関係の本を読むと、それらしいことは記載されていますけれどもね。 オンラインブックショップ等で検索してみてはどうでしょうか?
- zouyuri
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孔明が残した書物で有名なのは、やはり、『出師表』でしょうね。詳しい内容については知りませんが、忠誠心あふれる名文だそうです。 『危急存亡之秋』(ききゅうそんぼうのとき)という言葉は『出師表』から出てきた言葉だそうです。
- nonkun
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確かに本を読むとあっさり死んだようですが、実際のところは蜀の武将があっさりと降伏してしまってるのに、1人で孤軍奮闘して亡くなったというようです。私としては援軍の望みもなく、兵力もないのにようやった!と言ってやりたいです。 あと、諸葛亮は実際のところは政治力(統治力)には優れていたが、軍事面での才能は取り立てて優れているわけでもなかったとの事です。それが脚色されて天才軍師になってしまったのです。 #赤壁の時の連環の計も正史には諸葛亮の名前は出てこないし。 #北伐が成功しなかったのも。。。 #そういう目で三国志を見ると確かにそうかも。と納得できるはず。
補足
僕は正史を読んでないので孔明が軍事面で凡才だというのは初耳なのですが、その場合 赤壁の戦いでの連環の計は鳳統だけの案で孔明の手柄は呉を動かしたということだけなのですか? それに魏の司馬蔚(字が間違ってるのは大目に見てください)が恐れていたのは孔明なのではないんですか?
- atsuota
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あれだけの傑物になると、どうしてもその周りはくすんでしまいます。実際どれくらいの器であったかはよくわかりませんが… それから、孔明は死の直前に自らの兵法を記した「兵法二十四編」を姜維に預け、蜀の未来を託したといわれています。 これらをより詳しく知るには、「蜀書」を読まねばならないと思います。 今のところこれくらいです…
お礼
蜀書というのは初耳なので探して読んでみたいと思います。 ありがとうございました。
お礼
大変興味深い一節をありがとうございます。 特に今回の文章はおもしろかったので、この本を手に入れたくなりました。 また他の質問ができた時にはよろしくお願いします。