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文部省唱歌の富士山

富士は日本一の山となっていますが、てっきり日本一高い山だという意味にとっていました。けれど、戦前は台湾の新高山が日本一だったのでは? 戦前は、日本一美しい山という意味だったのでしょうか? それとも、新高山は日本一を認められていなかったのでしょうか?

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  • ysk26
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回答No.3

私も興味を覚えてちょっとネット検索してみただけですが、作家の吉岡忍氏による以下のような趣旨の文章を発見しました。 ・新高山は一時、日本一の山であると国定教科書に記載された。 ・しかし昭和初期になると富士山が日本一の「名山」とされ、「国民が景仰礼讃する感情に共鳴させる」ことこそ重要と説かれた。 ・さらに真珠湾攻撃の時期の教科書では新高山の記述が消えて、富士山こそが「日本一のこの山を世界の人があふぎ見る」となり、文部省唱歌では「世界第一の神の山」と歌われるにいたった。 この内容が本当か、調査も何もしていない私には何ともいえませんが、No.1さんの回答とあわせて考えると、この時期に国や文部省が「富士は日本一の山」を強調しようという意図のもとにいろいろ動いたと考えることもできそうです。 その理由を調べていけばおもしろそうですね。 ひょっとすると歴史カテゴリーあたりに詳しい人がいたりするかもしれません。 まあ、富士山は万葉集の時代からずっと日本のシンボルとされて愛されてきましたから、それも当然関係するような気もします。 根拠のない推測ばかりで恐縮ですが、ご参考になれば。

noname#93942
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 ネット検索でそこまで調べられるものなのですね。 大昔から富士山が日本一だったから、高さ云々より富士が日本一、世界一なんだという考えですね。 真珠湾の頃って言えば「ニイタカヤマノボレ」ですね。

その他の回答 (2)

noname#192232
noname#192232
回答No.2

>あたまを雲の上に出し >四方の山を見おろして >かみなりさまを下に聞く >青空高くそびえ立ち >からだに雪の着物着て >霞のすそを遠く曳く これらの歌詞の通り,高さが日本一ではないでしょうか。 植民地当時は「内地」「外地」と区別していましたので, 日本一は「内地」だけを意味していたと思います。 内地,外地 http://artifact-jp.com/mt/archives/200401/naichi.html

noname#93942
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 確かに内地、外地で区別(差別?)はされていたんでしょう。 ん~新高山って天皇陛下じきじきに名付けたのにそれでも外地なんですね。

  • zorro
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回答No.1

昭和7年に作られた曲です。富士山が日本一です。

参考URL:
http://www.d-score.com/ar/A02011419.html
noname#93942
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 第二次世界大戦前は、台湾は日本ですけど…?