高確率で先生のミスでしょうね。
東洋におけるキリスト教の経歴を噛み砕いて若干さらっておきますと・・・
東洋におけるキリスト教・・・中国語で「景教」といわれるものですが、これは、ネストリウス派と呼ばれるキリスト教の一派です。
ローマ時代に教義が「アタナシウス派」という派閥に一応統一されます。で、他の派はいわゆる異端とされました。
で、ネストリウス派も異端とされたので、現在のトルコに逃げた上で、布教を東に東に移していきます。これが5世紀の頭。
中国の唐代には、実際に中国まで布教に来たのが確認されています。これが、中国世界におけるキリスト教の初伝来。これが7世紀の頭。
このネストリウス派キリスト教ですが、遊牧民族にも広まっており、チンギスハーンの一族及びその敵対者にも、ネストリウス派キリスト教徒がいました(遊牧民の多くいる中央アジアには、日本で言う平安末までに結構広まっていたのがわかります。これが12世紀末)。
で、景教ですが、中国にはいわゆる教会があったりもしたのですが・・・現代日本のキリスト教のような状態でして、あまり一般的な宗教にはなりませんでした。唐時代に一時期広まるのですが、これは日本で言う「流行」に近いものです。いつかは廃れるのが流行でして、唐が消えるとともにほとんどの人はこれを信仰しなくなります。
日本のキリスト教に似ていますね。日本も、17世紀頭には爆発的に広まりますが、その後(弾圧されたとはいえ)衰退して、信教の自由が確約された現代でも、それほど流行っているとはいえません。仏教も同様ですから、日本人の宗教観はその程度のものなのでしょう。
で、日本における景教ですが・・・もちろん、日本にはシルクロードを伝っていろいろな大陸文化が伝播しているので、景教が来ていた可能性は否定できません。しかし、記録には残っていませんし、まして布教活動があったとは到底考えられないので、あくまで俗説ですね。もちろん禁止されたと言う事実もないはずです(少なくとも私はそんな禁令は知りません)。
で、いわゆる「キリスト教伝来」はイエスズ会派であるザビエルの渡来とするのが一般的です。
学校はあくまで確定的な歴史を教えるものですから、この点からも「先生のミス」であることはほぼ明白かと思います。
結構難しい内容になってしまったかと思いますが・・・噛み砕いて教えて上げてください
お礼
とても判りやすい説明、ありがとぅございます。 娘も『そうだよね~』なんて、納得していました。 キリシタン大名で検索し、色々と勉強したいと思います♪