室町時代中期までは、日本の低地は開拓されていないと言って良いと思います。
河川の氾濫で人が住めるような状態ではなかったと考えてください。
室町末期の有名な河川改修に武田信玄がしたものがあります。
教科書にも載っているのではないでしょうか。
つまり、その頃から低地に人が住めるような土木技術がどうにか完成したのです。
東京、大阪、岡山、広島、などは何れも戦国時代後期以降人が住めるようになったところです。
それ以前の都市、京都、奈良、鎌倉、は内陸か山が近いところです。
武田信玄の甲府、上杉謙信の春日山、毛利元就の吉田郡山、後北条の小田原、伊達政宗の米沢、どれも山が近いところでしょう。今川義元の駿府-静岡はよく解りませんが、どこまで行っても低地という土地柄でもないと思います。
勝手な憶測ですが、低地の干拓に割と早く成功したのが織田信秀・信長ではないかと思っています。守護代の家老がのし上がった背景に、この農業生産もあったのでは無かろうかと思っています。
大阪城ですが、
よく言われるのが当時は葦が生い茂るようなところで、そこに石山本願寺があったと。本当か嘘かは知りませんが。
近畿をほぼ手中に収めた信長が、そこを拠点にしようと一向宗-本願寺と大戦争をしました。
これが秀吉の代になって大阪城となるところで、秀吉は大阪の大開発をやってのけたのです。
(で、家康は江戸の大開発を行ったと)
あなたの質問にあえて答えるなら、石山本願寺でしょうか。
しかし、それほど長い歴史はなかったのだろうと思います。
例えば平清盛は、大阪に遷都せず、福原(神戸?)に遷都しています。