来ていました。
逆に言うと、日本の伊号もドイツまで行っています。
ただしそのときに言われたのは「こんなうるさい潜水艦でよくこれましたね」で、挨拶代わりに水密などの手直しをされたらしいです。
なお、基本的にはインド洋で落ち合って、物資交換をして帰っていくことが多かったですが、Uボートの行動範囲は実際には非常に広く(マラッカを東に越えることもあった)、ドイツ降伏時に何隻か日本がそのまま接収しています。
ただし、日本近海までやってきていたのは名高いVII型やIXC型ではなく、X B型といった比較的大型のUボートが多いです。
特にX B型はドイツ降伏の際に日本へ航行中のものが2隻あり、U-219はバタビア(当時日本領)にて日本軍が接収、伊-505となっています。U-234は航行中にドイツが降伏、アメリカに投降しています。
また、IXD型は主にインド洋に展開しており、ドイツ降伏時に3隻(U-181,U-195,U-862)が日本に接収されています。
なお、U-234はMe-262をばらしたものとか、ウラン235やらを運んでいたりしていました(これらをもって3月に出向したのですが、航海中にドイツが降伏)。
また、1941年夏にはBf109が神戸にやってくるなど、技術交換は案外活発でした。
戦争開始後でも、有名なだけでこれだけ例があります。
あなたのおじいさんがどれを見たのかは知りませんが、見ていても不思議ではないです(さらには第1次大戦の戦利品として大量に手に入れています。(本当は漢数字の一に○ですが)(1)-1潜水艦とか・・・ただ、これは1930年ごろまでにすべて消えています)。
なお、Uボートはたいしたことなかった・・・という話ですが・・・
たしかにUボートは日本の潜水艦に比べると非常に小さいです(実際、接収したUボートのうち3隻は、小型、つまり2等艦である呂号に振られていますが、これでもドイツの平均からすると巨大なUボートでした。)。
しかし、完成度が非常に高く、爆音を撒き散らして潜水航行する日本潜水艦(巨大なくせに、大して潜水深度も稼げない上、なによりうるさいのは致命傷)よりははるかにすばらしい代物になっています。
これは、戦果が如実に物語っていますね。
もっとも、もともと日本の潜水艦は大型艦を目標としているので、この点では戦術思想の問題ですが・・・まあ、大きいものが良いものではない、ということです。