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心の教育

心の教育をおざなりにしてきたために、今の学校はおかしくなったという声が多いですが、そうでしょうか。 本来心の教育や情操教育の基本は家庭にあるのではないでしょうか。 親が子供を生み育て、愛情を注ぎ、微笑みかけたり、語りかけたり、一緒に遊ぶ過程において育っていくものであり人間的情緒は三歳までに育つといわれています。 「三つ子の魂百まで」のことわざがあるとおり。 その三歳までに、もし歪んだ情緒を植えつけられた子供が小学校にあがってから、いくら教師や周りの人間から、集団で「心の教育」を週に数時間受けたからと言って、それがそれほどの効果が上がるとは思えません。もちろんよっぽど熱心な先生などに当たれば少しは違うでしょうが。 そういう綺麗ごとを言うのではなく、やはり学校は「学」と名がつく限りは、しっかりと学問を修める場所であるのが理想だと思うのです。文字を覚えて学ぶ楽しさがわかれば、自分から「心」についての本を自分からどんどん読めば、また親から受けた情緒の上に子供自身の力で情操というのは育っていくのではないかと思うので、学校で時間割りに「心」ということを 盛り込んだからといって、大してかわらないと思います。それに社会全体がすさんだ社会であれば、学校だけ綺麗なモノにはなりえないと思うのですが、 こういった問題についてどのようにお考えでしょうか?

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  • lucky111
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回答No.4

おっしゃるとおりだと思います。 少し独特な考えかも知れないのですが、そもそも学校には教育の「権利と責任」があいまいになっているところがあると思います。 そのため、親が身勝手とも言える要求を突きつけたり、逆に学校が適当な教育を行う場合があると思います。 学校の教育の責任がはっきりしていれば、他の部分の教育は、家庭で「しなければならない」とわかり、親としての努力を行うのではないでしょうか。 しかしながら、教育は文字で明記するのは難しいので、最後には、教員と親との定期的な対話による信頼作りが、最も大切なことかと思います。 ただ、それとは別の問題として、家庭の経済格差の問題があります。家計に不安があれば、教育に惜しむ時間をかけずらくなるのではないでしょうか。家計の苦しい親に、「ちゃんと教育させろ」というのは、難しいと思います。さらに、能力があっても、家の経済力によって、中学以降の学校に通いづらくなるようでは、真の教育の平等とは言えないと思います。 最近は、経済の二極化が進んできたので、この傾向はますます大きくなると思われ、早いうちになんらかの政策が必要ではないかと感じる今日この頃です。

noname#20618
質問者

お礼

ありがとうございました。 今日も新聞で読みましたが、進学率自体は上がってきているので、勉強しようという子に対する奨学金制度は充実してもいいとは思います。しかし乱用すべきではないですが。おっしゃるとおり、責任の範囲ということをしっかりさせるべきだと思います。

その他の回答 (5)

  • yosimako
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回答No.6

「本来心の教育や情操教育の基本は家庭にあるのではないでしょうか。」 はその通りです。・・・しかし、その通りだからこそ危ういのです。なぜなら、生まれてくる子供は親を選べません。すると、不甲斐ない親の下に生まれた子供はどうなるのでしょうか。責任は親にあるのなら、その子はどうしたらいいのでしょう。その子が可哀想な境遇にあったなら、どう手を差し延べたらいいのでしょう。学校で教えても効果は期待できないでしょう。教育よりも、なんらかの行為によって心を少しでも豊かにさせてあげるべきだと思います。本当はそんな救いを求めているのではないでしょか。

noname#20618
質問者

お礼

ありがとうございました。 確かに世界を見れば内戦や飢えや貧困で親を失ったり、あまりの貧困さに、子供の躾もできないほど追い詰められている家庭もたくさんあります。 それはそれで、また日本の学校のあり方とは違う次元で深く考えることが大切かもしれません。 日本にも世界ほどではありませんが、不幸な子供はいますよね。そういった子への救済に向けて政府が動いたりするのは、大切だと思います。

  • tsutom06
  • ベストアンサー率20% (18/86)
回答No.5

おっしゃるとおりですとの答えばっかりなので, 天邪鬼の私が違う意見を書いときます。 家庭だけに任せるのではなく, 学校だけに任せるのでもなく, 両方でやるべきことでしょ。 心の教育とゆうのは具体的にはどうゆうことなのかよく分かりませんが, どちらでやっても, 自由な世界観とゆうのは大切にしたい。 学校での音楽や美術は必要ありませんか? 同じようなことやそれ以上のことが家庭で出来ますか?

noname#20618
質問者

お礼

ありがとうございました。 もちろん学校では、集団のルールを守るとか人の気持ちを考えて行動するなどは必要だと思います。そういったことが心の教育の一部だとは思います。 音楽、美術などの情操は大切だし、実技4科はある程度、知識と情操をの両方の面がもともと組み込まれている科目だと思います。それは国語の作文力や詩や文学を読み取る力も心という要素は大きいです。 学校と家庭では、同じことはやれないと思います。集団と個々の家庭では同じことをやっても意味合いが違ってくるし。 ただ、親の責任を放棄している人が学校でやってくれないと言ってなじるのは、おかしいと思っただけなんです。

回答No.3

 60余年前の終戦以来、米国の物質主義、消費社会に毒されてものの有り難さが薄れ、昔から親に言われ続けてきた「人様に迷惑をかけるな」「恥ずかしい真似をするな」という心の基本的なしつけが、失われたとは云わないまでも希薄になってきました。これは敗戦によって日本人としての誇りが消え、子を躾るべき立場の大人自身の心が崩壊してしまったことが原因でしょう。従って本来ならば大人たちの教育から始めなければならないわけですがそれも難しく、子供達に直接語りかける公的な場が必要となるのだと思います。本末転倒ですがそうすることによって逆に親が子供から、心の有りようについて教えられることになるのでしょうか・・・。  しかし公的な場で人を教える立場にある人の中にも心の有りようについての心得がない者も少なくないはずで、そこまで考えるとこれならという絶対的な解決策はなく、公的機関の利用やメディアを介しての呼びかけも含めてあらゆる手段を使って行動してゆくしかないと思います。  一方、なにごとによらず組織の長の影響力は大きいわけで、その意味では国の長たる首相に人格者を選ぶことも大事なポイントだと思います。

noname#20618
質問者

お礼

ありがとうございました。 学校や社会やメディアである程度、そういう呼びかけをやることは必要だとしても、それで「ウチの子の躾がなってないのは学校のせい」みたいな考えにまで走るほど極端ではまた、その言動そのものが心のすさんだ人のものであるということになるので、難しい問題ですね。おっしゃるように上に立つ人の裁量がモノを言うのだと思います。

noname#20102
noname#20102
回答No.2

私も同じ考えです。 以前、こんな議論がありました。 学校給食を廃止してしまうと、親がお弁当を作ってくれずに菓子パンを買って食べる子供が、イジメにあうので、給食は廃止しないで欲しいと、保護者の側から抗議がありました。 それに対して教育の専門家は「それは本末転倒。菓子パンを買うからイジメに遭うのではなくて、お弁当を作ってやれない家庭の方に問題があり、そちらを矯正すべき。」と回答していました。 また先日も、岡山のある小学校で、朝食として乳製品や軽食を食べさせる試みを始めたというニュースがありました。 確かに、授業前に朝食を摂っておくと脳は活性化して勉強には身が入るようです。 けれどこのニュースに対してコメンテーターは、「朝食まで学校に任せてしまって、親が楽になるのはいいけれど、すべて学校任せにして家庭の教育がおざなりになるのではないか」と危惧していました。 私もそう思います。 躾や、健康管理や、情操教育は、家庭で行うことが基本だと思います。 学校でもそれらを教育プログラムに入れることは不要だとは言いませんが、逆に学校にばかりそれを求めすぎるのは、家庭の側の責任転嫁につながると思います。

noname#20618
質問者

お礼

ありがとうございました。 近所の人ですが、教育者の家庭なのに、子供がいじめに合うとすべてを学校の責任だということで、親は学校の対応ばかりを責め、子供はますます人のせいにして、学校に行けなくなりました。 その前の保育園時代からかなり問題があった子なんだから、学校というよりほとんどが家庭の問題なのに、責任転嫁もいいところです。

回答No.1

おっしゃるとおりですね。 学校は本来読み書き算盤だけ(つまり普通の社会生活を送るに不足ない知識だけ)教えるべき場所であり、情操や、行儀や、あるいは生活文化に関することは家庭で教えるべきだと思います。本来は。 でも、戦後入ってきた「自由」とか「平等」を履き違えた人が、日本中にあふれかえりましたが、教育現場と言うのは特にその影響が強かった場所であったと思うんです。 その結果、親から子供が何か教わるのも「平等に反する」、生活文化として何か特定の行動を教わるのも「自由に反する」として、子供たちを洗脳して言った結果が「子供に教えるものを何も持たない」親たちの群れだと思うんです。自由だの平等だのばかり教わり、善悪の基準、礼儀、生活文化を教わっていない子供たちが、すでに親になってしまっていると思うんですよ、日本では。 かつて母の同僚に若い母親がいたんですが、何か気に入らないことがあると学校に怒鳴り込み、事業参観後の教師と親の懇談会では「灰皿もってこい」だの「茶入れろ」だのと教師をこき使い、スリッパで担任の頭をはたき…という、教師と親、という間柄に最低限の礼節すら守れない親が、もう実際かなりいるんです。ちなみにこの親「あんたもそろそろ持っておけ」と言って、小学校4年生の娘にコンドームをわたしてました。 そんな状況の今、「心の教育は仮定の役目」と言っていきなり家庭にバトンをわたして、まともに教育できる家庭がどれほどあるでしょうか? 残念ながら、今、心の教育が出来る親から育てなければならない状況に立ち至っていると思います。それを考えると、やっぱり公教育でそういうことをやるしかないのかなあ、と思います。

noname#20618
質問者

お礼

ありがとうございました。 具体的な貴重なご意見感謝いたします。 人の親である教師がまた平気でセクハラをする時代、どこも心の教育は難しいですよね。

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