• 締切済み

空母「信濃」についての疑問

空母「信濃」について疑問に思っていることがあります。 以前購入した本に、空母「信濃」は 「他空母機の補給を主とする中継基地艦である」 と書かれていました。 またミリタリー系のサイトをいくつか見てもそのように書かれていた為そう信じていました。 ですが、昨日本屋で立ち読みした本には、 「信濃は最終的には通常空母として完成した。他空母機の補給艦というわけではない。」 のようなことが書いてあったため、「信濃」がどういう艦であるのかわからなくなっています。 どちらが本当なのでしょうか? また各空母ごとに、どれくらい爆弾・魚雷を積んでいるかということもご存知ならばご教授お願いします。

みんなの回答

回答No.12

追伸 >ということはやはり27ktでは不足であるということでしょうか? 改装空母の中では最も活躍した飛鷹型航空母艦の最高速度は25.5Ktでした。それから比べれば、極端に低いというわけではないでしょう。 航空母艦の求められる速力、飛行甲板の長さ、幅等は、航空機の性能の向上と大型化に伴い、より早く、より広くなっていきました。 しかし、運用上、定期的にドック入りさせての整備が必要ですし、港湾設備の関係で、運用に支障をきたす恐れも多分にあります。 つまり限界値は、現在のアメリカ海軍の航空母艦の数値ではないでしょうか? 帝國海軍において、最も理想に近いものは、翔鶴級であると思います。 基準として、速度33kt以上、飛行甲板の長さは250m以上は必要であったと思います。 実質的に帝國海軍で大戦中に建造できた正規空母は、大鳳と雲龍級のみでしたが、雲龍級も機関の製造が間に合わず他の艦艇のものを流用した艦もあり、30Kt出せない艦もありました。 理想と現実、というところですね。

  • VFR
  • ベストアンサー率25% (62/248)
回答No.11

下の方が既に書かれていますが、空母にとって速度が重要な理由は主に2点。 1.艦隊行動に支障が出る もっとも遅い艦に艦隊速度を合わせなければならない。加賀ですけれども、実際に速度の遅さから艦隊の足を引っ張っていたのは確かのようです。 2.離着艦性能に支障が出る 特に大戦後期に登場した新型機は高速であるが故に失速速度も高いため離着艦速度も高いです。そのため、遅い、あるいは飛行甲板の長さが不足した空母では運用できなかったようです。たとえば隼鷹型は低速であるが故に新型機は不可。その他の改造空母も不可。大鳳型のような大型で高速の正規空母でなければ運用できなかったのです。

REGORO
質問者

お礼

ありがとうございます。 速度はとても重要なんですね。

回答No.10

航空母艦における速度の重要性について  合成風速  風上に向かって航行することにより、相対的な風速を大きくすることができます。 風速が大きくなることにより、艦載機の発着が楽になるのです。  翼の揚力は、風速が速くなるほど大きくなります。 発艦する際、特に搭載量の大きい艦上攻撃機の場合など合成風速がないと、発艦できないのです。  着艦する際にも、合成風速は飛行甲板の相対的延長となり、着艦事故を減らすためにも有効なのです。  小型空母を日米とも多数運用していましたが、実質的に飛行機運搬艦としか運用できなかった日本と比べ、アメリカが護衛空母として対潜水艦戦等に活用できたのは、「カタパルト」があったからです。  他にも色々理由はありますが、「航空母艦」の価値は「航空機を運用できること」にあるので、特に「カタパルト」を装備できなかった帝國海軍航空母艦においては、速力は最重要の項目なのです。

REGORO
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 ということはやはり27ktでは不足であるということでしょうか? あともしよろしければで構いませんので、当時(時期によって異なると思いますが)運用上、航空母艦は速度と飛行甲板の長さが必要だと考えられたか、ご存知ならば教えていただけないでしょうか?

  • Pinhole-09
  • ベストアンサー率46% (597/1294)
回答No.9

No.5です   6のあとメールを見なかったので、波及質問は知りませんでした。   波及質問はどなたが答えても、よいものと思います。 空母の速力について簡単な説明 日本の航空艦隊(機動部隊)は空母のほか、対艦と対空防御用の巡洋艦、対空駆逐艦、対潜と半対空の駆逐艦からなり、いずれも33~35ノットの速力が出ます。  空母も艦隊行動のため、同じ速度が要求されます。  日米とも、最初から正式空母として、設計したものは皆約33ノットです。  避弾、避魚雷など、高速が有利です。 艦上機の離発着にも大きい利点がありますが、詳しい方よろしく。

REGORO
質問者

お礼

お答えいただきありがとうございます。 利点はあっても前線活動が無理である理由としてはどうも納得がいかない感じがします。

  • KITAIKKI
  • ベストアンサー率55% (462/838)
回答No.8

No4です。 空母における速度の重要性ということですが、他の回答者さんに質問されているので、マナー的に回答してよいかどうか迷っています。 もしあなたが誰でもかまわないということであれば、回答したいと思いますが、いかがでしょうか?

REGORO
質問者

お礼

どなたでも構いませんので、お願い致します。

回答No.7

追伸 資料の年代で、差が出るのは仕方がないと思います。 特に信濃の場合、その改装方針が二転三転、しかも大きく変わっていますから。 大鳳もそうですが、「洋上中継・補給基地空母」構想自体、戦況の悪化と彼我の戦力の隔絶の前に意味を成さなくなっています。 敵を知らず、我を知らずで、これで勝てたら世話ないよってところですね。 「大鳳」が計画された当時は、戦争初期で、日本軍も景気がよかった時期です。 「信濃」の改装が決定したときも、ミッドウェーで手痛い損害を受けたとはいえ、まだまだという時期でした。 その後、ソロモン諸島方面での航空自滅戦の結果、「空母は有っても搭乗員がいない」事態となります。 「アウトレンジ戦法」など、遂行不能なレベルであり、また、戦力比からも、実施できる状況になく、「重装空母」は非効率な空母と思われているのです。

  • Pinhole-09
  • ベストアンサー率46% (597/1294)
回答No.6

No.5です。   爆弾などの搭載について 「翔鶴」「瑞鶴」の搭載能力 91式魚雷45本、800、500、250、60、30キロ爆弾、各60、、60、312、528、48發です。 「蒼龍」「飛龍」「雲龍」 91式魚雷36本、800、250、60、30キロ爆弾、各72、240、360、144發です。 改装空母「隼鷹」「飛鷹」 91式魚雷27本、800、250、60キロ爆弾、各54、198、348發です。

  • Pinhole-09
  • ベストアンサー率46% (597/1294)
回答No.5

福井静夫 「日本の軍艦」の一部を転載 信濃改造の根本方針として、艦政本部長岩村中将の指示は、性能は従来の空母と一変し、洋上の移動航空基地たらしめる。   原則として格納庫を設けず、固有の攻撃機を搭載しない。   最前線に進出し、後方の空母より発艦した飛行機は本艦に着艦し、燃料、爆弾、魚雷を急速に補給して進発する。   ただし時艦防衛上の戦闘機のみ搭載し、この分の格納庫は設ける。 この根本方針には航空本部、軍令部には異論もあり、従来の空母同様攻撃機等も搭載し、その格納庫も設け、他の空母搭載機への補給も考慮したいというのである。 結果として根本方針には変わりなく、しかも用兵者の要望を満足させる設計となった。  飛行甲板は500キロ爆弾の急降下爆撃に耐えること。  速力27ノット以上  格納庫は一段とし、後方三分の一は直衛機用格納庫とし、18機収容、前部三分の二は開放式格納庫で攻撃機36機を収納する。   以上 結局中途半端な空母でした。    この速度では前線活動は無理で、  後方中継基地しか出来ず、重装甲に利点は生かせなかったでしょう。

REGORO
質問者

補足

回答ありがとうございます。 隼鷹がなんとか前線でがんばっていたり、加賀も機動部隊としてついていっていたりとか、サウスダコタが機動部隊と一緒に行動していたりするのをみると27ktでも前線活動には支障ないように見えるのですが、不足なのでしょうか? このあたり(27ktでは不足なのか)も最近の疑問の一つなので、無理といわれる理由をできれば詳しくお願いします。

  • KITAIKKI
  • ベストアンサー率55% (462/838)
回答No.4

「信濃」についてあなたが混乱されていることはよく分かります。なぜなら当時の運用者側にもかなりの混乱があったのですから。 当時まだ110という番号でしかなかった、後の「信濃」は、昭和17年6月に戦艦から空母への改造が決定しました。 その当時の改造についての何度にもわたる会議において、大筋は一応決まっていました。 つまり前年の昭和16年月7月に起工され、不沈空母と期待された「大鳳」があったからです。その結果「大鳳」は「信濃」の設計上の叩き台となりました。 まず最初に見本となったのが、「大鳳」のもつ第一級の防御力でした。 重防御空母と呼ばれた「大鳳」は他の空母が損害を蒙った場合、母艦を失った艦載機を収容することを期待されました。そのうえ収容した艦載機を再び攻撃のため発進させられるように、燃料と弾薬を余裕を持って積むことも設計思想の中に織り込まれていました。 つまり「浮かぶ航空基地」が「大鳳」の設計における最大のコンセプトでした。 そして「信濃」はこのコンセプトを、さらに進化させた形で建造することが望まれたと考えて良いと思います。つまり「浮かぶ航空基地」ではなく「浮かぶ航空要塞」ということです。 これは当時の軍艦屋である艦政本部長が強硬に主張していました。 つまり原則として格納庫を設けず、直衛戦闘機以外の搭載機は諦め、飛行甲板をこれまでになく重防御にし、敵の攻撃下でも洋上基地として踏ん張らせるという考えです。 これに対して航空屋つまり、軍令部航空本部側は大きな異論が起きました。 それは重防御は認めるが、それでもやはり従来の空母機能を持たせたいということでした。 結局日本のお家芸である、中を取るという形で改造案はようやく落ち着きました。 つまり、艦体そのものや偽装は艦政本部の意見を尊重し、艦の用兵及び運用は航空側の言い分を身と認めるいうことです。 また重防御では対砲弾、対爆弾の要求値を若干落としています。 >「信濃」がどういう艦であるのかわからなくなっています。どちらが本当なのでしょうか? つまりは、どちらも本当だったと言えるわけですね。 搭載機は予定として(なにしろ造船所から回航中に撃沈されては、飛行機の積みようがないですよね)戦闘機「烈風」18機、攻撃機「流星」18機、偵察機「彩雲」6機の、計47機を積むとされいました。 爆弾と魚雷は、800キロもしくは500キロ爆弾を54発。250キロ爆弾216発、60キロ爆弾216発となっていたようです。 残念ながら魚雷は当時、まだその積載数が確定されていなかったようです(なにしろ回航中に撃沈…、あ、さっき書きましたね(~_~;)) 物資の乏しかった当時、多くの人たちの必死の努力と犠牲の上に出来上がった艦ですが、個人的にはこの艦は失敗作だったと思います。 「大和」級のスケールに加え、いくら装甲に重量が取られたとはいえ、満載排水量が72、000トン近くもあるにもかかわらず、主要武器である艦載機が50機にも満たないというのは当時のアメリカ海軍空母と比べればあまりにも見劣りがします。 また鈍重な動きと、当時としては鈍足とも言える最大速力はやはり首をかしげざるを得ません。 結局、対費用効果を考えてみると、非常に中途半端な空母でしかなかったと思えます。

REGORO
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 「大鳳」はてっきり思想的には従来型空母に装甲飛行甲板をつけただけの艦だと思っていたのですが、「大鳳」にも補給艦としても役割があったのですね。

回答No.3

 大和型戦艦を途中で空母に作り変えた艦ですね。日本最大級の空母になるはずだったと思います。  僕が小学生~中学生当時は、「他空母機の補給を主とする中継基地艦である」という話は聞きませんでした。  浜名湖沖でUSA潜水艦に撃沈され、実戦参加せず悲しい最後を遂げた艦艇ですね。  他に赤城は、巡洋艦から二段空母、通常空母に作り変えられました。