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ボランティアをする意味

近年、企業などでも社会貢献をすることが多くなってきましたが、それをやる資格はあるんでしょうか? 特に日本の食品業界です。日本で捨てられている輸入食料の量は全世界の貧困に苦しむ人たちの食料を凌駕しています。 某ハンバーグ店など数年前まで作り置きで廃棄量がすごかった。その分で何人亡くなったのか。 しかも、企業の人たちはボランティアを善意では無く利益のためとしています。これはボランティアをすることで企業の印象が良くなり売り上げが上がるというものです。 前置きが長くなりましたが、企業がもたらすマイナス因子を少なくすることしないで、ボランティアをするのは意味が無いように思うんですがどう思いますか?

みんなの回答

  • fujinoki
  • ベストアンサー率25% (29/115)
回答No.2

>某ハンバーグ店など数年前まで作り置きで廃棄量がすごかった。 どこの店のことかは分かりませんが、数年前までということは、 今は多少なりとも改善されたわけですよね? つまり、企業が、マイナス因子を少なくすることをしているわけです。 あげあし取りするつもりはないです。善意や社会貢献など関係なく、 資本主義的な面から見ても、廃棄するのに費用がかかる昨今ですから、 その辺りは、改善されてしかるべきものでしょう。 情けは人のためならず、とも申しますし、別に欲望を原動力としていても その過程なり結果なりで人が助かっているのならそれはそれで良いんじゃないかと。

tetrarch
質問者

お礼

まず初に回答ありがとうございます。 >その過程なり結果なりで人が助かっているのならそれはそれで良いんじゃないかと。 それなりに助けていると思いますが、企業の活動により苦しむ人のが多いと思われます。

  • ucok
  • ベストアンサー率37% (4288/11421)
回答No.1

ボランティアをやる「資格」とか「意味がない」というのとは、ちょっと違うと思います。そのボランティア活動が本当に他者のためになっているのであれば、動機が不純だろうが、別のところで罪を犯していようが関係ありません。ボランティアに資格は不要です。 ただし、それとは*別に*、そのボランティア活動が本当に良い行ないであるのかを見極める必要があり(例えば、貧困国で先進国の人が活動を展開しても、その活動が貧困国の自主性を摘み取っていたら逆効果です)、また、ボランティアを*やっていようがいまいが*自分に至らない点があるかどうかを常に検討する必要があります(例えば、廃棄量の見直しとか)。一方で、社会の一員である私たちも「ボランティアをしている組織=良い組織」だと考えてはいけないわけで、ボランティアをしていようがいまいが、その組織の本質を見極める必要があります。 そもそも、ボランティアが「善意」とか「慈善」と訳されること自体に問題があります。ボランティアとは本来、「(人の役に立つことを)自発的にやる」ことであり、聖なる行ないでも何でもありません。というか、そもそもボランティアは当たり前のようにやるべきことであり、罪深ければやってはいけないとか、善人だけがやるべきことだとかいうわけではありませんし、実際、世の中のボランティア事業の大半には、何らかの形で利権が絡んでいるのではないでしょうか。大手NPOでも無駄遣いは結構ありますしね。 また、そう単純な問題でもありません。例えば、「作り置きによる廃棄」。どのメーカーのことか分からないので厳密には言えませんが、過剰に余った食料や素材を捨てずに貧困国に寄付したとしましょう。すると、その貧困国で生産された食料にお金を払って買う人は減ります。すると、その貧困国の経済が回っていきませんし、生産者は、ますます貧困に陥ります。では、どうしたらいいのか。もしかしたら、企業は金銭で寄付したり、資金を投じて貧困国で教育事業を展開したほうがいいのかもしれません。しかし、そのためには、企業が潤っていないと難しいわけで、その潤いを得るためには、作り置きをしては廃棄するという「効率の良い儲け方」をする必要が出てくるかもしれません。だから廃棄して良いのだと言っているのではありません。単純には行かない面もあるということです。 とはいえ、冒頭で申しましたように、ボランティアに資格は要らないわけで、世の中の行き届かない部分に目を向けること、あるいは消費者に目を向けさせること自体にとても意義があるのだと私は思います。そして社会が一丸となって、各ボランティア事業が良い形で行われているか検討し続けることが必要だと思います。

tetrarch
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 いろな意見があり、どれがいいかなど判断できないと思うんですが、こうした取り組みが先進国などの人たちが行っているケースが多く、押し付け部分が多いのかと思います。商品の原料を作っているのがいわゆる貧困層に多く、原料をかなり安く買い取り、流通での企業が利益ばかり出る仕組みはおかしいと思う。(コーヒーなどはいい例だと思います) だいぶボランティアと離れていってしまいましたが、こうした低賃金の国では世界銀行などから無理やりに近い状態でお金を借りて、利息だの多国籍企業の餌食にされているように思えます。 私はボランティアと大きく掲げて企業価値を上げるより、その企業の活動により多くの人たちが苦しみ事を表に出し、それに対しての対策をしたほうが良いのかと思います。いくら支援やらをしても原因を取り除かないことには意味が無いと思います。 >過剰に余った食料や素材を捨てずに貧困国に寄付したとしましょう。すると、その貧困国で生産された食料にお金を払って買う人は減ります。すると、その貧困国の経済が回っていきませんし、生産者は、ますます貧困に陥ります。では、どうしたらいいのか。 少し私の意見を大きく取ってしまったみたいですいません。私は人類の必要な食料が足りていないのではなく、あるところにはある、ないところにはないという分布の偏りを言いたかっただけです。 なんだか企業批判に変わってしまいましたが、私としては自分だけの意見でなく多方面の意見を取り入れようと質問しました。 本当に回答ありがとうございました。

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