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統合失調症の友人に対しての暴言した自分(ボーダー)

今年の1月末に統合失調症の友人が仕事を辞めて落ち込んでました。 その友人とは高校からの付き合いで友人歴も長い友人でした。 良い所と悪い所も認め合ってた友人でして、励ましの言葉を掛けてました。 時々、自分じゃなくなる時がありまして自分じゃない時は、誰とも会わないようにしてました。 何を思ったのかインターネットを使って、友人のサイトを晒して暴言を吐きました。 一番やってはいけない事なのに、何故やったのか自分でも分かりません。 一番傷つけてはいけない友人に対して一番酷い事をしました。 今は冷静なので、こーやって自分が犯した事柄が書けるのですが、一旦残忍な部分が 出てしまうと自分を抑えるのが精一杯です。 大切な友人を傷つけてしまった事で毎日が憂鬱です。 冷静な時は、自分の事や冷酷な部分や友人の事を分析出来るのですが、私自身が残忍な部分が 表に出てしまうと大切な友人達を後先考えず攻撃してしまいます。 家には猫を飼っていますが、残忍な部分が表に出てる時は近づけないようにしてます。 勢いで猫を殺してしまいそうで怖いんです。 もし、友人が私の目の前に居たら何をするのか分からないです。 自分が怖いです。 友人は二度と許さない。と言われました。 攻撃部分が抑えられない以上は、嫌われて離れた方が良かったのかも知れません。 残忍な部分が出てしまうと周りの人間は全て=敵と見なして攻撃してしまいます。 恩師に対しても酷い暴言を吐いた事があります。 謝罪しようにも売り言葉に買い言葉状態で全然解決しません。 何故あの時、友人に対して酷い事をしたのか理由が分かりません。 自分が怖いです。 このまま決別した方が友人の為にも良いのでしょうか?

みんなの回答

noname#57613
noname#57613
回答No.1

 例えば、例えばの話しなんで自分に当てはめるのは、待ってくださいね。  例えば、池田小襲撃事件で死刑を執行された宅間守は、自身の犯した行為に苦しみながらも、また、罪を重ねていたというのが書いてある本がありました。  その本のことが本当なら、僕には彼の最後の犯行へ至った気持ちが一部だけですが、わかる気がするのです。決して許されない罪であることは当然なんですけど。  結局、最後の犯行を行った後も自身の行為に苦しみもがいていたようです。  そんな宅間なので、結婚を望む女性が複数おり、獄中結婚をし、離婚したとのことです。これは女性心理のミステリーですが。  最後は、蛇足ですが、ケースはともかくです。   パターンは当てはまるのではと思いまして。    彼は、一応「反社会性人格障害」とカテゴライズされましたが、罪の意識のない宮崎勤もこれなので、鵜呑みにはできませんが、治療法は有効なものがあるのではないかと思います。  前述の本は、大泉実成「人格障害の冒険」(題名が正確でないかも、すいません。)です。  人格障害は、アメリカの精神医学会(だっけ?)の精神病診断基準のDSM(の何版かに)追記されたものです。比較的新しいカテゴリーのようです。何人でも病気にできるという評価も聞いたし、逆に今までのカテゴライズでは分別しにくかった人たちにあてはめられるという評価も聞いたことがある気がするので、確定的に捉えるのは難しいですが、また言ってしまうのですが、治療法は参考になるのではと。  知っていって質問されていたらごめんなさい。  あとは、80年代ごろから、若者が変質したというもので、   諏訪哲司「俺様化する若者たち」(これも題名は正確でないかも)  簡単に言うと、プライドが高くて、世間一般的な常識から外れた行為をしても自分に非があるとは心底思わず、そこを非難すると関係回復不能に至るまで激昂するというもの。  ちょっと違うなという感じですが、友人や恩師に対して攻撃するプロセスは似ているかなと。    あくまで参考までですので、違うなと思ったらそれでいいのです。

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