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「ちょっとぐらい負けてもいいかな」という心理

いつもお世話になります。 「ちょっとぐらい負けてもいいかな」「すこし負けてもしょうがないだろう」 こうした気持ちは、心理学ではどのように説明できるのでしょうか。 状況にもよるだろうと思いますが、ひとまずこの質問だけでお願いいたします。補足いたします。

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  • luune21
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回答No.4

 だいたいのところは、「自己評価維持方略」の一つと説明できると思います。  人間というのは、自尊心を傷つけないようにしたり、自己評価を下げないようにしたりと、自己防衛に余念のない生き物です。  テストの前には、親や友人に「最近、風邪気味でさぁ」「今度のテスト問題は鈴木先生が作るらしい、あの先生は苦手なんだよなぁ」「ワールドカップで最近寝不足なんだ」などという会話がよく飛び交います。  もちろん、これは成績が悪かった場合の予防線です。私たちは、これを親の攻撃や友人からの軽蔑をかわす目的のように思いがちです。それも確かにありますが、その一番の理由は、自分の自尊心が傷つくこと回避したいという心理機制にあるのです。  要するにいい訳や弁解を事前にしておくことで、自己評価が後で下がらないようにしているのです。  勝負ごとのときも、テストと同じように「勝つことがいいに決まっている」場合!には同様にあてはまることでしょう。  きっと、なんらかの合理化した弁解が伴っているでしょうね。事実もあるでしょうが……。  やはり「体調が悪い」「家の行事でたてこんだ」「リーダーにはなりたくないから、XXに勝たせておく」「目立ちたくない」「彼らは貧乏だからハングリー精神が旺盛」「彼らは金持ちだから自分より条件がいい」「日本はまだ歴史が浅いんだから」「彼女は美人だもん」「彼女はブリッコだし」なんてことばがオマケにつきそうです。  一般に負けることが多いわりにはプライドの高い人ほど、この機制が強いといわれています。また、逆に自己評価維持方略がまったく無いという人もいないようです。

nobchan
質問者

お礼

ありがとうございます。 非常にわかりやすい例を挙げていただき助かります。 「自己評価を前もって下げておく」のが「負けてもしょうがない」の心理なんですね。 「勝たなければならない(はず)」。なのに、実力が伴わないことを自分で知っている場合にも、 「負けてもいいか」の心理になってしまうようですね。 重ねての質問で大変申し訳ありませんが、 「勝たなければならない」「実力も多少ある」「しかし、それ以上に強力な実力を持つ人がたくさんいる」 この場合、「勝負しない」という結論になりそうなものですが、それでも繰り返し勝負に出て、 「繰り返し(事実として具体的に)負ける」人がいると思います。 こんな人の方向性を変える、例えば、「悪い方法をやめさせる」あるいは、「もっと勉強させる」、 といった方向に変えるには、どうしたらよいと思われますか? 「勝たなければならない」のですから、「勝負するしかない」のですが、 高い確率で、「また負ける」ことが明らかなとき、どうアドバイスしたらよいものか、悩んでいます。 「こんな方法もあるよ「あんな方法もあるよ」と言っても、なかなか方法が変えられないのです。 「勝負はやめとけ」とは言えません。しかし「他の方法に変える」のも難しいのです。 お時間がございましたら、お願いいたします。

その他の回答 (4)

  • luune21
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回答No.5

#4です。 >高い確率で、「また負ける」ことが明らかなとき、 >どうアドバイスしたらよいものか ありますね、そういうとき。 でも、私は、土台が「勝てない勝負はしない」という信条なので、あまり私のアドバイスはあてにならないと思います。すみません。 私の場合は、基本的には、時間の無駄だの経費の無駄だので説得しても、相手の挑戦への意気込み(または破滅への暗い情熱)が勝っていれば、それ以上説得はしないことにしています。それこそ時間の無駄だからかもしれません。 しかし、考えてみれば、人類の進歩のエネルギーの多くが冒険から発していることも事実。中止を説得できないのなら、声援で送ってあげるしかないかなぁ、という気がしてきます。 もうそうなると、ひたすら「やっちゃえ、やっちゃえ、あたって砕けたら、骨は拾ってやる」の感じのことを私はいうことにしています。「骨を拾う」とは、一杯おごるゾとか、一緒に旅行しようくらいの意味ですけどね。

nobchan
質問者

お礼

お礼が遅くなりました。ありがとうございました。 無駄な戦いも人類の進歩のため、ですか。そうかもしれませんね。 どちらかというと今まで、負けたことをフォローすると、次の戦いへの情熱に油を注ぐことになっていたと思います。 たしかに、説得してやめさせられないなら声援を送るべきかもしれません。 そう考えてみることにします。

noname#31063
noname#31063
回答No.3

すいません、私も学術的にも処世訓もわからないし、 お答え出来るものでないのにお邪魔します。 何も悪気がないのに罪を負わされた、 相手が怒ってしまった。 それは先に自分も相手に対して 知らずに失礼な悪いことをしてしまった結果で そうなっているので利害は両成敗とか既にチャラです。 だから知らずに居たよりは怒ってくれて救われて ありがとうです? 「あなたは酷いことをした」 というのは 「あなたが以前よりもっと必要です、私を理解すべき人」 という表明にもなり 自分に向けられる嫌悪は執着の一面で 相手は自力で克服する(向上心を持つ)ことからの 逃走だと感じるのです。 好戦的な人、否定的な人というのは いつも誰かに必要にされたいが困難である人 必要にされることが最も必要で 自分が払った代償以上のことを相手が償う、 犠牲にして示してくれなければ 自分の必要性が 内実からは感じ取れてないのかもしれません。 それをこちらも必要にするのが「受けて立つ心理」で 「負けるが勝ちの心理」というのは 相手の言い掛かりを認めて(戦いを拒否して)、 賢い勝者として随分時間や手間をかけて付き合うより もう責任を負いたくないし、 いっそバカになったほうが楽~。 という面倒くさがりの心理です(私だけ?)。 何も変わらないし、失ってないのに勝つ必要があるか? 勝てば損失する方が大きいのかもしれない。 色々考えると徳か得かの判断もあるようですが、 私に関しては「面倒くさい」が最大の心理です(笑)。 プライドとか自尊心の目的が 和解や友愛というものならば。 有効な施策だと思います。 それ以外は最初から 心理は応用しないで「勝ち目のない試合は望まない」が最善なのでしょうね。

nobchan
質問者

お礼

ありがとうございます。 「負けてもいいか」は、「面倒だから」という心理。なるほど、そういう感じはありますね。

回答No.2

スミマセン私も学術的に回答する資格はないので根拠は経験による洞察です。 「負けるが勝ち」っていうコトバがありますね。これは表面的、一時的には「負けて」おいても、かえって、そうすることで内面や実態、実質において勝ち側に回れる、或いは大きくメリットが望めるというようなことと自分なりに解釈していたのですが加えて「勝ちを譲ってやれる」(「譲ってやれる、というところが大事)ということ自体に、ゆとりが現れているのです。このゆとりはまた「最終勝者ならでは」の態度でもあります。 私の場合そもそも勝ち負け自体に拘りが少ないタチなので「負けるが勝ち」という処しかたも滅多にしません。或る意味たいへん傲慢というか利害に敏いゆえの処しかたでもあると思いますので。 それに「負けるが勝ち」を決め込む場合、一番多いケースは自分よりも圧倒的に幼い人ですとか弱いこと劣っていることがハッキリしている場合ではないでしょうか?考えようによっては失礼な態度にもなり得ます。 No.1のかたが仰っているように 負けることを一定予想している というのは或る面、客観的に自分を見ているわけでもありましょう、その意味では、ゆとりがあると言っていい。 しかしまた或る面では甘えに通じる。「闘わずして負けている」とも言える。ひいては自分自身をバカにしているのかもしれない。自分をバカにする人は他人にもそうし易いかもしれません。 いずれにしても真剣さに欠けた構えかたであると私個人は感じますし「勝ち」「負け」にとらわれているのであれば、たとえ「勝った」としても内実は薄っぺらな姿勢であると考えます。 つまり「大事なのは勝敗を超えたところにある」のだという哲学的深みに欠けている。 御質問での設定は、むろん状況によって、いろいろ大きく変わってくる面があることとは思いますが、自分に対しても他者に対しても「ナメた」処しかたであるという印象には変わりありません。 飽くまでも「勝敗」だけを問うているのでしたら、それはそのレベルでの問題に過ぎません。 要するに「損得計算」を、いっしょうけんめいやっている、ごくありふれた心理に過ぎない、ということです。 もっとも本当に「心理学的に」というならば自己の防衛といったような観点から、あれこれ専門用語を交えて説明はされるでしょうけれど。

nobchan
質問者

お礼

ありがとうございます。 「勝ちを譲る」態度が、勝者の態度に似ているから、「負けてもいいか」と、思ってしまうということですね。 「負けるが勝ち」とはよく聞きますが、自分より圧倒的に劣っている人に対して、 自分は「勝っている」から、「負けてあげられる」ということになるでしょうか。 客観的に自分を判定すると、「負けるのもしょうがない」というのも冷静な判断であり、 冷静な判断をすると「戦わずして負けを認めている」と。 「自分をバカにしている人」とは、自分を低く見ているということで、そこから、 「ちょっとぐらい負けても」という感情になるのですね。 「勝ち」の内実が薄いから、「負けてもしょうがない」となるのかもしれません。 「勝った結果、どうするか」という哲学が必要なのでしょうね。 >「損得計算」を一生懸命やった結果の心理 これには納得です。「負けてもしょうがない」であっても、損得勘定の結果なのですね。 「自己防衛」というあたりもぜひ知りたいのです。

  • lookfor
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回答No.1

心理学は、本格的に勉強しませんでしたが、経験的に ・負けることを一定予想している ・負けても、被害は想定内である ・しかし、勝つ可能性もある、或いは高い ・負ける悔しさを自分で先行してカバーしている 時に、自然とつぶやいていますね。 あまり、学術的ではありませんが…。

nobchan
質問者

お礼

ありがとうございます。 ・一定範囲での負けを予想している ・予想した範囲で負けている ・勝つ可能性はある ・悔しさの先取り 学術的ではないのかもしれませんが、よく分かる感じです。 ありがとうございました。