邪馬台国=九州説と記紀
邪馬台国=畿内説では、記紀に登場する
倭迹迹日百襲姫命が卑弥呼、豊鍬入姫命がトヨ、
卑弥呼の男弟が崇神天皇(個人的には崇神天皇ではないと思ってますが)
のように対応させて説明されることが多いです。
奈良県桜井市から天理市にかけて山の辺の道がありますが
その付近に倭迹迹日百襲姫命の墓(箸墓)、崇神天皇陵(行灯山古墳)もあります。
邪馬台国=九州説でも、畿内説のように記紀に登場する人物に対応させるのですか。
もしもそうなら、どのように対応させますか。
やっぱり、卑弥呼は倭迹迹日百襲姫命ですか?
また卑弥呼の墓や卑弥呼の弟の墓はどの古墳だと考えらえているのでしょうか。
※九州説の内容を質問しています。
畿内説と九州説のどちらが正しいかを問うものではありません。
ですが、余力があれば、自説などもお聞かせください。
お礼
言葉足らずでした。 葛城山付近が中心であるのは、わかるのですが、その範囲がどこまでのびているのか、が知りたいんです。 葛城山を中心に、信貴山・生駒山、吉野・・・、また平野部にいくと、高田・広陵・王寺・三宅・・・、どの範囲までか教えてください。