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日本の歴史的名演説は?
歴史的名演説というと、リンカーンとかケネディとかキング牧師が思い浮かびますが、日本において名演説とされるものをあまり聞いたことがありません。 日本の名演説とされる演説があったら教えてください。 もしその全文を掲載したサイトがあればリンクをお願いします。
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北条政子 「皆心を一つにして承るべし。これ最期の詞なり。故右大将軍朝敵を征罰して、関東を草創してよりこのかた、官位といい、俸禄といい、その恩山岳より高く、溟渤より深し、報謝の志浅からんや。しかるに今逆臣の讒により、非議の綸旨を下さる。名を惜しむ族は、早く秀康・胤義等を討ち取りて、三代将軍の遺跡を全うすべし・・・」 徳川家光 「祖父家康、父秀忠は諸侯の授けを得て将軍となったが、自分は生まれながらの将軍であるから、すべての大名方は今後は臣従の礼をとるべきだ。異存があれば直ちに国元にて一戦の準備をされよ。」 浜田国松衆議院議員 「私の発言のどこに軍を侮辱した部分があるか、事実をあげよ。速記録を調べて僕が軍隊を侮辱した言葉があったら割腹して君に謝する。なかったら君が割腹せよ。」 昭和天皇(終戦の詔) 「朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク 朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ・・・・」
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- goo-par1732
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国際舞台での名演説があります。 というよりは、世界の歴史に残る演説になる高邁な理念の演説だったのですが、なりそこなったという方が正しいかもしれません。 1919年4月のパリ講和会議での日本全権団牧野伸顕・男爵の演説です。 当時は、白人優位の世界で、西洋諸国は植民地経営で暴利を貪り、人種差別は当然のごとく行われていました。 もちろん日本人も、黄色人種として差別され続けていました。 アメリカ大統領トーマス・ウイルソンは、講和会議の場に、それまでの歴史になかった全く新しい提案を持ち込みました。世界の平和を維持する機関として、国際連盟を設立しようと言うのです。 日本はウィルソン大統領の提唱する「世界国家平等」に同調し、この会議が人種平等を提唱する好機であると判断しました。 1919年4月11日、国際連盟の規約を決する最終会議が開かれました。参加者は18人、議長は、アメリカ大統領・ウイルソンでした。冒頭、牧野は、すかさず立ち上がり「各国は、すべて平等という主義にのっとり」と言う一文を、連盟設立の趣旨をうたう前文の中に入れたいと主張しました。誰も反対はできないはずだと言うのが、日本側の読みでした。 日本案は16票中11票の圧倒的賛成を得ました。 が、英米の反対で採択されませんでした。 このような人種差別撤廃の発言を国際の場で行ったのは日本が初めであり、これは世界史上で日本が誇るに値する提案と思います。 日本の提案とその失敗は、インドネシア、インド、エジプト、チュニジアなど世界各地における独立運動を刺激しました。 昭和21年6月に作成された昭和天皇独白録において、「大東亜戦争の遠因」を、天皇は「この原因を尋ねれば、遠く第一次世界大戦后の(略)日本の主張した人種平等案は列国の容認する処とならず、黄白の差別感は依然残存し(略)」 と語っています。 さて、名演説になりそこなった訳は、その後日本はただひたすらに戦争をしかけ、植民地を求めていったからです。
お礼
その時歴史が動いたで見た記憶があります。 ただ演説とは違うような気がしますが・・・。 回答ありがとうございました。
- marines_i
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ホンダの創業者・本田宗一郎氏が、当時二輪で世界最高峰レースといわれたマン島のレースへの挑戦を社内で宣言したときの演説(文案は、経営が苦手な宗一郎氏に代わって経営を取り仕切っていた副社長・藤沢武夫氏の作と言われる)は、当時まだ零細ベンチャーとして苦しい経営を続けていたホンダの社員たちを大いに鼓舞したと言われています。 本田宗一郎 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E7%94%B0%E5%AE%97%E4%B8%80%E9%83%8E 藤沢武夫 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E6%B2%A2%E6%AD%A6%E5%A4%AB あと、これはマニアックですが、東京大学の中山信弘教授(知的財産法)が「重大な決意」をもって述べたとされる知的財産戦略本部(第6回)での意見は、個人的には名演説だと思います。この分野の学界の第一人者が、首相含めた各大臣の前で、政府の陰険な体質を痛烈に批判したこの演説は、私含めこの分野に興味を持っていた人にとっては衝撃的でした。 中山教授の演説 http://ch.kitaguni.tv/u/171/INTELLECTUAL_PROPERTY/0000039185.html 中山信弘教授 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B1%B1%E4%BF%A1%E5%BC%98
お礼
本田さんのは面白く読みました。ありがとうございました。中山教授というのはなかなかマニアックですね。
戦前ですが、政治家斉藤隆夫の有名な「反軍演説」はどうでしょうか。横暴を極める軍部に楯突いて粛軍を訴えたものです。
お礼
ありがとうございます。議員除名になった反軍演説ですね。一度全文を読んでみたいと以前から思っていました。
- choco1112
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『玉座をもって胸壁となし,詔勅をもって弾丸に代えて政敵を倒さんとするものではないか』 尾崎行雄が桂内閣弾劾演説で言った言葉です。 桂太郎は詔勅を使った議会の停会や政敵の弾圧を行っていました。 政友会の尾崎行雄は政府弾劾決議案の中でこの演説をしています。 この演説後、護憲運動は過熱し、ついには桂内閣は総辞職に追い込まれました。 以下のページのちょうど真ん中あたりに演説が掲載されています。
お礼
第一次護憲運動ですね! そういえば日本史の教科書で見た覚えがあります。 確かに比喩もいいし歯切れもいいし、なかなかの名演説ですね。 ありがとうございました。
- Houghton
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個人的には名演説だと思っています。 吉田茂、昭和32年2月、防衛大学第1回卒業式にて 「君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、歓迎されることなく自衛隊を終わるかもしれない。 きっと非難とか叱咤ばかりの一生かもしれない。御苦労だと思う。 しかし、自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。 言葉を換えれば、君達が日陰者である時のほうが、国民や日本は幸せなのだ。 どうか、耐えてもらいたい」
お礼
初めて知りました。軽軍備を押し通した吉田さんらしい言葉ですね。 確かに名演説です。 ありがとうございました。
お礼
ありがとうございます。 承久の乱のときの北条政子の演説は確かに歴史的名演説ですね。 家光のも「生まれながらの将軍」というくだりは聞いたことがありました。 浜田国松と寺内寿一の腹切り問答はただの喧嘩のような気がしますが…。 玉音放送もある種の演説かもしれませんね。 たくさん挙げていただいてありがとうございました。