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空手の型は重要?

大道塾に入門したのですが師範は型ができていないと強い打撃ができない、ということで型は大切だと言います。しかし型はあまり意味がないので教えないという所もあると聞きます。 どっちが正しいのでしょうか? キックボクシングに型はありませんが打撃が弱いという事などありませんよね?うーん、分かりません… ご回答宜しくお願い致します。

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回答No.4

アメリカで使える伝統空手と護身術を教えている者です。 型の理解が今ではほとんど言ってなくなってしまいましたね、日本では。 型の試合があると言うこと自体がおかしいのです。 ダンス競技じゃなるまいし。 少し良くなっても「一つ一つの動きには意味がある。 どんな攻撃にどうやって対応するかを型は示している」と自称師範が言っているわけです。 「まさか!」ですね。 型の動きのどこが実戦に使える動きがあると言うのだろう。 立ち方、打ち方、防ぎ方すべてまったく実用にならないものばかりです。 自由組み手を見れば明らかなことですね。 誰も空気を殴るより動く、それも、攻撃してくる相手がいるところに、腰の低いナイハンチ立ち、前屈立ちをしたら一発でやられてしまいますね。 そんなに意味のない型をなぜGは教えるの?と言うことになりますね。 何故って重要だからなんです。 自分を自由に動かすための必須項目(私たちは275,000項目があるといっています)を型の一つ一つの動きの中で教えているのです。 俗に「隠された型の秘密」なんていって紹介しているようですが、決して秘密でも何でもありません。 教えられなかった人にとって「知らなかった」事であり「偶然にも気が付いた」と言うことに過ぎないのです。 師範であればこのことを知っていなくては教えることはできません。 どう一挙一挙を「正しく」やらなくてはならない、と言うことは幼稚園生が1から100まで「正しく」言えて読めて書けるようにならなくてはいけない、と言っているだけのことなんですね。 英語であればABCを言えるかどうか、なんです。 流派としての一貫した「読み方・言い方・書き方」が型の決まりきった動きを習うことなのです。 型のひとつの動きから200-300の事を教えることができるのです。 自分を自由に物理的に、そして精神的に動かし、同時に相手も「触らずして動かす」「技」を習い自分に身につけていくわけです。 名前の付いた「技」と呼ばれているものはすべてこれらを身につけるように教えてもらえるための「土台作り」に過ぎません。 1から10までの基本的数字の理解を教えるためにはいち、に、さんと正しく発音し、順序を知り、数と言うものの理解を無意識に教える作業とまったく同じなのです。 三戦立ちが「回り方を教える」教材であったり、型の逆周り225度の回転がもたらす相手への影響、残像の利用、回転力を使った直進力などここではとても書けきれない自分の実力を磨く技を教えてくれるように作られているのです。 気合をすることでパワーを出す、なんていう解釈は本の初心者用の知識に過ぎません。 気合をして打ったパンチの腕をそのまま伸ばしたままにしておく理由はなんなのか、気合を長くすることは何のためなのか(まさか、パワーの為じゃないでしょう)、残心とはいったいなんなのか(まさか、複数の相手と戦う「戦場で」残心という隙を奨励するのでしょうか)、これらすべて+274,980項目を型から習うのです。 型ができない、ということは100まで数えられないということであり、あいうえおが言えない、ABCの26文字をすらすら言えない、大文字小文字の区別ができない、ということに過ぎないわけですね。 誰が最初の数字は「いち」と発音して横ボーを引いた文字を使うと決めたのでしょうか。 知る必要のないことです。 いちと発音できることで算数の先生が次のことを教えられるように有無を言わせないで教え込んでいるのです。 型を習うことで次なる事を死ぬまで習い続けることができるわけです。 それだけ大切な土台作りだのです。 しかし、このことを知らない、教えられたことがない、昇級・昇段テストや試合の為に型の動きを教える・習うでは武道が泣きます。 私からしてみれば、日本の武道界は一年中涙の梅雨です。 表面から見ると、型はまったく意味を成さないものと見えます。 しかし、上のことをちゃんと教えられていれば、型という「教材」なしでは武道を教えることができないことを身につけることができるわけです。 有無を言わせない実力はここから来るのです。 宮本武蔵の五輪の書や中国の武備志がどうにでも解釈できるように書かれているのは、武道を教えられる師だけがちゃんと理解できるように書かれているのですね。 つまり、土台ができていない、基礎ができていなければとても理解できないようにできた書物であるということでもあります。 型から教えるという方法をとった日本の武道が決して唯一正しいというわけではありません。 しかし、これだけ体系付けられた武道教本としての「口伝」はそれなりにすばらしいものであるのです。 なんでもアリで教える私の道場は日本の四大伝統空手のひとつとして充分実戦に使えまた他の人間との戦いではなく自分との戦いにも使える武道として私は誇りを持って私たちの流派は「人を生かす」ために作られた昔からの流派である、といえる自信を持っています。 これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。

neotoujyou
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 師範をされているそうで、そういった方にご回答を頂けて幸いです。まだまだピンとこない点も多いですが、上級の経験者のおっしゃる事ですのでぜひ型をつくって行こうかと思います。 丁寧なご回答ありがとうございました。

その他の回答 (6)

回答No.7

Gです。 そうでしたね。 芦原会館の型もより実戦に近づけようとする努力は見られますね。 故芦原先生からは一瞬ともいえるご教授によっていろいろな面で私に影響を与えてくれました。

回答No.6

大道塾ですね?あなたがおっしゃる「型」は伝統型(ナイハンチ、パッサイなど)ではなくファイティングポーズからはじまるコンビネーションの組み合わせのような型のことですね? それならば通常のコンビネーション練習だけでもかまわないと思いますが。

neotoujyou
質問者

お礼

いえ前屈立ちなど、伝統的?なモノだと思います。 ありがとうございました。

回答No.5

強い打撃ができないということは、ないと思います。しかし、型がうまい人は、組み手が強いです。(全日本の組み手の選手は、小さいとき型のチャンピオンだったひとが多いです。)

neotoujyou
質問者

お礼

ありがとうございます。良い知識になりました!

  • voices
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回答No.3

 neotoujyouさんこう考えてはいかがでしょうか? 『その門派の特徴を身につける』為って。  キックボクシングの試合をみて解ると思いますが、双方とも 同じ流派の人が試合をしているってすぐわかるじゃないですか?  それに型は基本で行っている突き・体重移動等の用法が 盛り込まれているので知っていて損は無いと思いますよ。  でも型のみにとらわれて型至上主義にならないように。 型至上主義の人が余りにも多すぎるために『型はあまり 意味がないので教えない』って所が出来たのも事実です。

neotoujyou
質問者

お礼

なるほど!型にとらわれすぎないよう気をつけます。 ご回答ありがとうございます!!

noname#20493
noname#20493
回答No.2

 型は重要ですね。  型の意味はその武術の一番効果的な動きを覚えるためのものなのでそれが出来なければ表面だけ同じに見える別の武術になってしまいます。  ですが、型は実戦に置いてはそのまま使う事が出来ません。これは型の目的が覚えるためのもので、そのためにわざと動きを大きく解りやすくしているためでです。  型のない武術でも型が全く無いという訳ではありません。素人が見てもムエタイやキックボクシング、ボクシングなど見分けがつきますよね。  つまり形があるから見分けがつくのです。  これらの格闘技の場合、その形を覚えるための型が無いだけです。つまりいきなり実戦で使える形を教えるので型が無いのです。  それに型が無いと言っても練習などでベテランの動きをまねたりしますからそれが型の代わりと言ってもいいですね。

neotoujyou
質問者

お礼

なるほど、そうですね。たしかにボクシング等で鏡の前のフォーム作りは空手の型を作るものと同様なのかもしれません。ありがとうございます。

  • poyo-poyo
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回答No.1

実践で強くなろうとしたら、力だけでなく、理屈にかなった技(型)が重要です。体格や基礎体力のある人は、力任せでもそれなりに強いといえますが、それなりのところまでしか強くなれません。突きの時、ひじを上げすぎないとか、振りかぶらないとか、これも型によって育成される重要な要素です。 キックやシュートでは型はありませんが、大道塾は空手なので、型によって基本を学ぶのでしょう。 あなたが、ある程度力と技(型)を自分の自然な動きとして身に付けたときには、力自慢や体格自慢のシロートを見ても、たいてい勝てるイメージ(どこをどんな風にせめてとか)が頭に浮かびますよ。

neotoujyou
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。型を練習しみっちり基礎を仕込もうかと思います。