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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:極真空手でのこと)

極真空手でのこと

このQ&Aのポイント
  • 極真空手とは、フルコンタクトの形式で行われる空手の流派です。しかし、伝統派の空手とも異なり、闘志や体力を鍛えることが主な目的とされています。
  • 極真空手の魅力は、精神と体の鍛錬にあると言えます。道場での練習では、相手にダメージを与えたり、バット折りや瓦割りといった特訓も行われます。
  • しかし、極真空手の道場には角質や派閥といった問題も存在します。一部の先輩が優越感を持ち、挨拶や敬意を求める態度を取ることがあり、これが道場の雰囲気を悪化させる原因となっています。

質問者が選んだベストアンサー

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  • gadovoa
  • ベストアンサー率28% (835/2909)
回答No.3

>どの流派も割合は違えど武道と格闘技の要素はあるのでしょうか? その通り。武道と格闘技の要素があります。 ってか武道であって格闘技ですけど。 今はスポーツ化してますけどね。 あと嫌なやつは古今東西どこにでもいます。 >年下だろうが先輩には媚びへつらえろ、ビールも両手でつげ」と怒る方が居て。 こんなのがいい例ですよね。 こんなやつは要りませんね。 昔の先輩は尊敬を勝ち取ったものです。 人格でも実力でも。

ryuga1987
質問者

補足

ありがとうございます。 やはり、苦手だなっていう場合は上手く付き合うしかないのでしょうか? 一緒に愚痴を言い合える方はいますし、同じく入ったかたたちは意見も合いますし。 でもその細かく言う方も根は優しいんです。体を張って根気よく教えてくださいますし(´・_・`)

その他の回答 (2)

  • shorinji36
  • ベストアンサー率17% (406/2382)
回答No.2

>こっちもお金払ってるし、今はぺこぺこする時代じゃないよ。その考えを押し付けるのもおかしい この考え方は間違っています。道場はスポーツクラブではありません。 師範とは師弟関係が結ばれますし、先輩とは先輩・後輩の関係が結ばれます。 空手は縦社会です。1日でも入門が早ければ年下といえども先輩なわけです。

ryuga1987
質問者

お礼

ありがとうございます。なるほど、そういうことなのですね・・・

回答No.1

何を言いたいのか分からないと言いたいところですが、お悩みの様子は良く分かります。 参考になればと思うところがありますので、一言だけ申し上げます。 まず、一端フルコンに入りますと、伝統派への転向は相当に大変です。 ご覧になったことがあるなら、理解できましょうが、フルコン系は直接相手にダメージを与えに行きますが、伝統派は、ダメージを与えようというのではなく、一瞬でも速くの当てっこなんです。メーホーなど着けていますから、上段も、中段も、速く当てた方に旗が上がります。だから、速いんです。 メンホーの無い時代でしたら、一応、寸止めルールということですから、口から血が出るような当て方をすると「反則」を取られましたが、今は、まあ、当てて好いんです。当てる積りで行って当てなければ、旗が揚がりません。しかも、昔から、中段に関しては、思いっ切り入れるというのが基本でした。中段は、入れても反則を取らないのが伝統派でした。腹に入れられて苦しんでいたら、嗤われました。 もう、今の伝統派は、伝統派とは言えません。 打突後の「残心」姿勢も碌にとっていません。まさに、こちらもキックボクシング化しています。 ですが、まあ、「スポーツ志向」に走るには、それなりの理由もあるのですね。 と言いますのは、私らの時代には、聞こえて来るだけでも、稽古中に、年間に数人の死人が出ていたのですね。死人を出した道場は、半年とか、一年間、組み手を一切やらずに、自粛するということになっていました。だから、外を通るだけで、ああ、また誰か死んだなと分かるわけです。そういう乱暴者の集まりが伝統派でした。大学の体育会系空手部は勿論、伝統派で、一人残らず前歯がありませんでした。前歯などあると、組み手を避けて巻き藁ばっかり突いている弱い奴ということになって、後輩にも舐められちゃうんですね。 そういう殺伐とした伝統派空手が横行していた時代に、大山先生が、「極真」を創設したのです。「極真」の第一回オープントーナメントの観戦招待状がたまたま私にも届きまして、それで、興味本位にいそいそと出かけました。 明るかったです。殺伐とした雰囲気が無かったですね。顔面に当てられても、怒りを表すでもなく、淡々と、体格の大きい外国人選手から「反則勝ち」を拾っていく選手さえいました。 驚きました。伝統派では、考えられないことでした。伝統派の大学空手試合会場では、顔面に当てられますと、応援部(団)による「返せ、返せ」の大合唱が必ず湧き上がりまして、きちんと相手の顔面に「当て返す」技術が必要でした。さもないと、もう一度続けざまに当てられますと、「反則勝ち」になってしまいまして、伝統派の空手部員にとっては、これが最大の屈辱であったわけです。後輩にも馬鹿にされますから、たいていは退部することを余儀なくされます。従って、四年生まで残っている部員というのは、何時でも、顔面にガツンと入れられる技術を持っていたということになります。 いやでしょう。こんな空手。でも、そういう空手しかなかった時代も、昔はあったんですよ。 その時は、ああ、こういうのが武道なんだなあと信じていましたね。

ryuga1987
質問者

お礼

ありがとうございます。まさか、そんな時代があったとは知りませんでした(^^;) 人によって定義も違えば、いろいろあるのですね。 参考になりました。もう少し自分でも冷静に考えてみることにします。