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学生が国際ボランティアをする際の意識
今大学3年生で小さなNGOのユースグループに所属しています。去年の夏スタディツアーという名目でスリランカに学生30人で一ヶ月ほど滞在し、文化交流やホームステイ先の村での井戸掘り等をしてきました。 行く前は海外に滞在してボランティアをするという事で期待していましたが、 実際ステイした村が結構裕福で、自分達が井戸を提供する必要があったのか? もっと必要としている人たちがいたのでは? 自分は向こうの人から色々学んだが、私は向こうの人の役に立ったのか? といった疑問が次から次に湧いてきてしまって… 自分には専門知識等は無く、津波被害に遭った人たちの精神的なケアなども出来ず、ただただ行っただけなのではと思っています。 今年もツアーに参加する予定なのですが、不安だらけです。周りの友達や心理学の先生からは、「専門的なことができないなら、向こうの人(特に精神的に傷の深い子供)を楽しませるということだけに意識を置いて、ゲーム等を考えてみてはどうか?そうすることがケアにもなるのでは?」と言われていますが、果たしてそれだけで良いのでしょうか?と言ってもそれ以上の事は思い浮かばないのですが…自己満足のような気もしてしまって そんな半端ならかえって行かないほうがいいのでは?と思ったり、考えが次から次に浮かんで悪循環してしまって… 国際ボランティアなどをされる方は、どのような意識をお持ちでしょうか?経験談からアドバイス頂けると嬉しいです。 もちろん「こんな考え方はどう?」といったご意見も大歓迎です。
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スタディツアーは、団体の活動を知るのに有効ですし、海外の現状を知る手だてにもなりますが、所詮ツアーでありあなたはお客様です。スタディツアーで真のボランティアを期待するのはムリでしょう。滞在する村もそれなりでないと、訪問者に食事や宿を提供するのも難しいです。また、スリランカで一番困っている村は政治的に捨てられている状態なので、訪問は許可されないと思います。 現地の人に役立つかどうかと問われると、現金が落ちるので有り難くは思われるでしょうし、また皆さんとの交流をそれなりに楽しんでいらっしゃるのではないでしょうか?全く無駄だということはないと思います。 あなたの思いとツアー内容が乖離していて、一度参加されてどんな感じか良くご存じなのに不安だらけと仰るなら、参加を見合わせるのも一つの手です。割り切れるなら参加して楽しまれれば良いと思います。あなたが得ることは多いでしょう。 時々、現地でボランティアがしたいという問い合わせを受けますが、現地の言葉どころか英語すら話せず、なんの専門知識もなく、雑用で良いと言われて戸惑うことがあります。雑用は現地の方でも出来ますし、無料奉仕されると仕事を奪うことにもなります。専門知識がなく満足行くボランティアがしたいというのは矛盾します。 現地で本格的なボランティアがしたければ、国際NGOのスタッフになるか、自分でNGOを立ち上げで活動するかしかないでしょう。ただ、国内で事務所のお手伝いをするのも立派なボランティアです。
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- makibishi
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滞在一ヶ月でしかも学生さんが途上国でどれだけの役に立てるか。 考えるだけで無駄ではないでしょうか。どれだけのスキルをお持ちの方が集まっていらっしゃるのか分かりませんが出来る事なんてほとんど 無いという考えから入っては如何でしょう。国の国際援助だって様々な 専門家を多大な予算を使って何十年と行っているにも関わらず途上国は未だに途上国です。出来る事をやって、問題意識を持って帰るそして 次に繋げ理解を広める。何事にも言えますが文化、風習も違う所での 活動は一朝一夕には変わりません。参加者個々人は満足をするために 行くのではなくこれからの自分に対するテーマを見付けに行く心構えが あればいいのでは無いでしょうか。
- fujinoki
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ほかの回答にもありますが、 この質問の内容というか、疑問、悩みというのは、スタディツアーでの 経験があったればこそ生まれたものですよね? ですから、かなり有意義な経験をされたのではないかと、私は思うのです。 もう一点。ゲーム等で子供を楽しませる。それだけで良いのかと 問われるならば、私は、それだけでも良いと思います。 もちろん、それ以上の何かができると言うならば、あれですが、 それがあなたのベストならば、それで良いんじゃないですかね。 ともかく、活動内容もそりゃ重要ですが、心意気が大切だと思うのです。 先人も「若いときの経験(苦労)は買ってでもしろ」と言ってますし、 深く考えることも重要ですが、行動原理は単純な方が良いかもしれません。 まあ、そんな事言う私は、先に頭だけで考えちゃうタイプですけどもw
- fountainofs
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途上地域に長く仕事で住んでいるので、日本人の『ボランティア』への関心を、現地の視点から眺めている自分に気付くときがあります。 書かれていることはよくわかります。日本人の学生が途上国に行っても、すぐに現地の人たちの役に立てるとは考えにくいですね。たっぷりお金を現地で落とせる『ボランティア』以外は、与える以上に、与えられていることが多いように思います。 被災地などで本当に困っている人たちに現地で直接支援を提供するには、技術、経験、組織をして予算が必要。現地入りするスタッフのための後方支援(交通、輸送、安全と健康の確保、資金の供給方法、スタッフの食糧供給---物資不足の現地に食べ物持たずにいったら迷惑でしょ?)、どこで何が必要かを知る情報収集力、等々。大手の国際NGOとか日本ではJICAの緊急援助隊など、プロの出番です。各国政府・軍の部隊との共同作業や調整も生じます。 以上は組織面の話ですが、そうした組織が現場に送りこむスタッフはそれなりの技術のある人です。医療、建設、外国語での渉外、現地事情の専門家、、、。 だから、災害被災地での支援というのは、個人ベースや小グループで取り組むには向かないジャンルかも。 「日本人が井戸を掘るよりも、その旅費で井戸を掘らせて賃金を支払ったほうが現地の人にはよいのではないか」と考えるのが、現地の視角です。 一般に、個人や小グループが取り組みやすいのは、小規模でも気長にこつこつやることで誰かの役に立てる分野だと思います。たとえば貧困家庭の子供の教育・進学の支援とか。現地に行くことだけが国際協力ではなく、自分が稼いだお金をそういうプログラムに寄付するのも有意義な貢献です。 ただ、「ボランティア体験」のためのスタディ・ツアーには意味があります。それは質問者さんが自らを啓発できるという価値です。書いておられる内容は、まさに前回の旅行で得られた体験的感覚であって、そういうまっとうな疑問、視野を持てるようになったのだから、スタデイ・ツアーは成功していると思います。 >国際ボランティアなどをされる方は、どのような意識をお持ちでしょうか? >経験談からアドバイス頂けると嬉しいです。 途上国で国際協力に関与した経験がありますが、現代の国際協力は慈善とは違います。一方的にこちらが「助ける」「教える」という意識はやっているうちにだんだん無くなって、こちらが教わることも多くなります。もちろんこちらは専門知識・技術を教えているのですが、それ以外のところで give and take の関係・意識がなんとなくできてくる。だから、威張ることもへりくだることも無く、「こっちはこれをあなたに与えてるんだから、あなたは●●をきちんとやってくれ(or我々のために●●をしてくれ)」なんていう話が多くなりますね。相手だって乞食じゃないしね。 そういう「国際感覚」が肌で感じられるようなスタディ・ツアーだといいですね。 とにかく色々見てきて考えるのはいいと思います。
お礼
回答ありがとうございます。今年はツアーの企画に携わる側なので意識が宙ぶらりんで困っていたところです。やはり私にはgive and takeのgiveができていないのです。去年自分が得た良い体験を今年のメンバーにも…とは思っているのですがやはり私自身も満足行くツアーにしたいとは思っていて… もう一度行って、自分のボランティアに対する考え方をもう一度見つめなおそうと思います
- Chuck_GOO
- ベストアンサー率64% (1018/1586)
・・・何か、すごく良い問題意識をお持ちになっていらっしゃるような感を受けます。 こういってしまえば身も蓋もない部分ありますが、 ボランティア(に限らず、およそどんな仕事)は、自分のモチベーションを維持向上させるための「思い」が必要となります。 そして場合によっては、その「思い」は、現実をどこかで諦めたり、曲解したり、もしくは”あるところから先は自身の責任ではない”と線引きすることによって、維持向上できることも少なくありません。 特にボランティアは、そのモチベーションの源泉が「自らの力を使って、人に役立ちたい」というところからスタートしているだけに、「思い」における「理念」の側面がより大きいものかもしれません。 しかし逆に、「人間はどんな環境であれ、自身の力で生きていくのが原則だ」とした場合、ボランティアの存在というのは”特別”(Extra)なものであって、ボランティアなしには成り立たないコミュニティは逆に正常でない、ということも出来るかと思います。つまり、「ボランティアの存在意義やなすべき役割は、常に流動的。従って、不要なところからは一刻も早く去るべき/必要なところがあればそこにいって可能なことをしっかりすべき、というなかで常に揺らいでいる存在」という事もできます。 また人間は本来、(その程度やベクトルの差異こそあれ)「欲深い存在」ということも忘れてはならないことかもしれません。ボランティア行為でさえ、そういった「欲深さ」(金銭面に限らず、名誉etc.)に基づいていることもあるでしょうし、また行為を受ける側にも同様の意識(ex.ただでやってくれるんだったら、そこにただ乗りしよう!)が存在することはあるでしょう。。。 こういった揺らぎや現実の中で、 自らの「思い」に折り合いをつけたり、また「思い」を限定化・先鋭化することでモチベーションを維持向上させているのが、 ボランティア行為に自らの時間の多くを割いている人々の少なからぬ部分ではないかと思います。。。 今年については、「行かない」という答えもあるでしょうし、 行くのであれば、しっかりした具体的問題意識をもって行き、その問題意識に対する答えを見出してくる、という課題を自らに課していくのがよいのではないか、と思います。。。 いずれにしろボランティア(に限らず世の中の多くの仕事)は、様々な問題や困難、矛盾を内在しているものです。 そしてそれらを生み出しているのも、またボランティア(や数多くの仕事)を提供し、また受容している人間そのものであり、 それらを改善可能なのもまた人間そのものです・・・。 そんなことを考え、また具体的に感じながら、ボランティアの場、そして通常の学業や友達との遊びの場、そして家族との時間などを過ごされていかれるのがよいのではないか、と思います。。。 以上長くなりましたが、どこか部分的にでももしご参考いただけるようなところあれば幸いです。。。
お礼
>行くのであれば、しっかりした具体的問題意識をもって行き、その問題意識に対する答えを見出してくる、という課題を自らに課していくのがよいのではないか、と思います。 丁寧な回答本当にありがとうございます。そうですね。答えを見出す為に行くというのも一つの選択肢だと思います。まずはこの芽生えた考えを放棄せずに、とことん向き合ってみようと思います。
お礼
>専門知識が無く満足行くボランティアがしたいというのは矛盾します。 そうですね、その通りだと思います。やはり人の為に何かをするならある程度力が伴わないといけないということですね。ただやはり私が得る事は多いので行こうと考えてはいる状況です。このツアーは企画に学生が携われるというメリットもありますので…