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マリー・アントワネットのフランスでのイメージ

カテゴリーが違うかもしれませんが、歴史に詳しい方も多いと思いますので・・。 フランス革命で断頭台の露と散ったマリー・アントワネットですが、日本国内では豪奢で国民の反感を買ったというイメージがある一方、単純に世間に疎かったというか、ちょっと可愛そうな人だという印象を抱く人も多いのではないかと思います。 オーストリアから来たとか、パンがないのなら菓子をと言ったとか、虚実取り混ぜていろいろ反感を買ったのだとは思いますが、現在ではどういう印象を持って一般的フランス国民は見ているのでしょうか? それと、夫のルイ16世については、どうでしょうか? 贅沢なかみさんを持ってしまって苦労した夫という感じでしょうか? よろしくお願いします。

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noname#107878
noname#107878
回答No.1

 わたくしはフランス史にはまったく詳しくはありませんが、ちょっと現地で耳にしたことや書物から得た印象からこの二人について書きたくなりましたのでお許しを・・・・。  ルイ16世・・・・・この方は政治にはあまり興味が無く、議会でもアクビに居眠りといった感じであったというのが定説です。  国政はもとより、夜毎のパーティーにも興味はなく、ダンスすらも上手には出来ず、ただひたすら趣味の錠前作りや石工、狩猟に没頭していたとか。  錠前作りなどは手伝いの少年まで雇っていたし、私室はほとんど金工細工の工房、そのために黒く汚れた爪を日頃から王妃マリーが非難していたとも。こうしたことは当時の女官長だったマダム・カンパンが手記に書き込んでいますが、これが後々の彼のイメージになったようです。    ともあれ、このマダム・カンパンという人物、かなり評価は低く、当時とてお喋りカンパンとして有名だったと言います。  まして、事実はそうひどいものでもなかったようです。まず16世は大変な読書家で博識で、いろいろな分野にわたって専門知識も人並み優れて豊富であったとか。  しかも、人の話には十分耳を傾け、よく考える人柄であったし、かなり広い分野にわたって的確なアドバイスを与えられる、そこにも彼一流のものがあった、それがどうやら事実のようです。  つまり、王としての実力はけっして不足してはいなかったということでしょう。しかし、彼の時代には国政も行政も、そのほとんどすべてが事実上王の権限や権力の及ばないところに移ってしまっていた、つまりルイ16世にしてみれば、すでに王として国政に手を出すすべもない状況に押しやられていた、それが革命を目の前にした実情であったように思います。  一方、マリー・アントワネット・・・・・「パンがないのならお菓子を食べれば・・・・」という有名な一言がありますが、これもどうやら後世に作られたものではないかと聞いています。  庶民のことはなにも知らない「お姫様育ち」であったように伝えられていますが、ある面たしかにそうであったとも言えましょう。それでもなお、一方で慈善や庶民の生活改善といった面での活動の実績も少なからず垣間見えます。そうした事実を知る限り、単なる無知なお姫様上がりのお妃とも言えないような気がしてならないし、たしかに可哀そうとも言いたくなるところがあります。  とにかく、彼ら夫妻にとってはあまりにも時代が不利になっていたようです。もともとフランスは、今でもそうですが、貧富の差が極端に激しいお国柄、一部の実権を握った者が王政の無力さを謳い上げ、無能であまりにも封建的な王政こそが極度の貧困の原因だと民衆の蜂起を煽った、そしてその際にこうしたゴシップが流された・・・・・どうやらわたくし自身はそう思わざるを得ないと感じています。  世が世なら、彼ら夫妻はきっと穏健派の指導者として良い国政を敷いたと思います。  マリーが16世のもとに嫁いだ日にパリ市は彼女に歓迎の意を込めて「市民の鍵」を贈っていますが、のちにあの華麗なベルサイユ宮殿から市内の老朽化したチュイルリ宮殿(現在のチュイルリ公園の位置にあった)に彼らを移した際にもパリ市はふたたび「市民の鍵」を贈っています。この二度目の「市民の鍵」がいったい何を意味していたのか・・・・・今これを調べているところです。

noname#20467
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 お詳しくないとのことでしたが、史実からの考察、とても詳しく教えていただきました。 王妃が、慈善等にも関心があったというのは知りませんでした。フランスへ嫁いだことは、もともとフランスと犬猿の仲であったオーストリア政府の外交革命として知られていますから、フランス市民にとっても、マリーに対する期待も大きかったのかもしれませんね。期待があるが故に、裏切られたと思うと、怒りも大きいでしょうし、そういう難しい位置で嫁いできたことが裏目にでてしまったのかもしれません。 どういう人物であったかというまだいろいろ評価が分かれるところもあるのかもしれませんが、お書きくださったことが知識としてフランス国民にも広まっていれば、現在では、かつてのような悪女のようなイメージはかなり消えてきているということになるのでしょうね。