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どうも他の方々の回答を見ますと、牢屋の格子のイメージが強いように思いますが、これは現代で言う「ショーウィンド」と考えた方がすっきりします。 格子の中に並ぶ女性は 座敷持ち→部屋持ち→新造 の順に並び、同格ですと1ヶ月の稼ぎが多い女性が上位に並びます。 太夫と呼ばれるクラスの女性はここには並びません。 お客さんは格子越しに遊女の品定めをして指名をしてお店に入るという仕組みです。 格子は籬(まがき)と呼ばれ、遊女が並ぶことを張見世とか見世と呼びます。 遊女屋は妓楼と呼ばれ、2階建てが基本になり、お客の接待は2階に上がってやります。 高級店は大見世と呼ばれて3階建てもあり、庭もあって高級料亭の雰囲気でした。 警備は吉原ですと、町全体が9mの堀(お歯黒溝)で囲まれ、町の入り口の大門には十手者が詰めており、朝6時(明け六つ)開門、夜10時(暮れ四つ)閉門で、塀の中は地回り(やくざ)が治安を担当してますから、比較的安全だったようです。
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- code1134
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私も(牢屋と迄行かぬにせよ)若干負のイメージだったのですが(NO5さんの)ショーウィンドと言う表現でスッキリし、氷解しました。 (オランダもそうなのでしょうが)ドイツでは"飾り窓の女=娼婦"の意があり、娼婦達も自分達が言わば商品だと割切り、ビジネスに徹しているから、じめじめした感じや罪悪感が一切ない(のだろう)との、記述が某文献にあったのを私は思い出しました。 後は木造(の日本)と石造り(のオランダやドイツetc)が醸し出す差ではないでしょうか?
回答とは関係ありませんが、私の参考URLを見て、カラー写真と錯覚しませんでしたか。 この頃はカラーなどない時代で、これは調色写真といって、白黒写真に顔料で色を塗ったものです。 明治初期でもカラー写真と見まがうような写真がありますよ。 こういった格子は「格子見世」と呼びます。 この浮世絵も http://www.0105.jp/~mizuki/shinyosiwara.jpg
- ok2ok
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主な理由は3つかと思います。 1)遊女に逃げられないように。遊女は人身売買あるいはそれに準ずる境遇で売られてきている場合が多いので、逃げられないようにする必要があります。もっとも、吉原のような公認の遊興エリアでは、町全体が堀でかこまれ、出入り口が限定され、町に出入りできる時間が限定されています。(もちろん、門番があり、詰め所があります) 2)セキュリティ対策。遊女にのぼせて遊女を連れ出そうとしたり、不正侵入しようとしたりする男もいるので、そういうのが入り込めないように出入りできる場所を限定します。 3)非日常の演出。外と中を区切ることで、非日常空間であることを客に演出し、あやしい雰囲気を醸し出します。
お礼
なるほど。すっきりしました
http://www5.inforyoma.or.jp/~appli/bakumatu/yosihara.htm これを見ると分かりますが、こうやって遊女が顔を見せてお客さんを誘っていたからです。
- ipa222
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このころの商店は皆格子が入っています。 ガラスがありませんので、閉鎖するなら障子か雨戸になります。 開けるときはフルオープン。 だから、防犯上も格子が必要なのです。
お礼
分かりやすい説明でありがとうございます