なぜ創造主を信じることができるのか?
キリスト教の方でも例えばエホバの証人のような方たちは、この宇宙や人間は、知性を持った存在が創造したものであると考えておられるようです。しかも、そのような方々は、単に宗教上心の平安のために信じているとか、信じた方が幸せだからというのではなく、創造主の存在は絶対的な真実であると考えておられるようです。そういう人たちにお聞きしたいと思っていることがあります。
私はこのような考えは矛盾を内包した考えであるように思えてなりません。どこに矛盾を感じているかと申しますと、この世を知性を持つ存在が作ったのだとしたら、そのような知性を持っているような存在はどうしてできたのか、ということを説明できないからです。
よく聞く説明は、そういう存在は最初から無条件に存在していてそれを信じるのだ、ということですが、これは私は次のような理由で納得できません。このたとえは創造論の説明でよくされるたとえなのですが、時計があったらそれは時計職人が作ったに違いない、という話がありますが、同じようにこの世を創造するような存在は時計などよりはるかに複雑な存在です。そのようなものが最初に無条件に存在したと仮定できるのなら、創造主が作ったのではなく、宇宙や人間だっていきなり出来たと考えてもおかしくありません。私の直感的な理解では(これは多くの理性的な判断力を持つ人も同じような理解であると信じるのですが)ある程度以上に複雑で合目的に作られた仕掛けは、いきなるできあがるということは絶対になく、誰かが作るか進化によってしかできることは無いというものです。この私の直感的を信じるならば、そのような創造主が存在できないということになります。
実際にそのような創造主を信じておられる方がたに、私の感じている矛盾をどう解決するのかをお聞きしたいと思います。