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パプスブルク家について
パプスブルク家について気になり質問させていただきます マリーアントワネットの出身家で有名なパプスブルク家ですが、面長な顔に特徴あるツンとした唇とあります。一番気になるのがマリーアントワネットは美女では無かったというのは本当なのでしょうか!? フランスでは美しい王妃と言われていますが当時の美的感覚はおかしかったのでしょうか?
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- プラチナ エンゼル(@platina-angel)
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こんにちは! マリー・アントワネットは絶世の美女ではなかった、なんてご回答してしまったので、 こういうことになっているのでしょうか(^^)? マリー・アントワネットよりも、デュ・バリー伯爵夫人が絶世の美女だったのです。 肖像画より、蝋人形(当時作られた物)が素晴らしくきれいです。 ロンドンのマダム・タッソーで当時作られた蝋人形を見ました。 マリー・アントワネットはルイ16世と王子王女たちと一緒にいる姿で。 デュ・バリー伯爵夫人は、カウチでお昼寝をしている姿で「眠れる森の美女」という サブタイトルが。 素晴らしく美しかったです。 性格も実は伯爵夫人の方が良かったそうです。 下町で苦労した彼女は、愛妾になってからも、15世王にお供して行った先で、 貧しい家族(罪人?)を見ました。 「この者たちをお許しいただけるまで、ここから動きません!」 としゃがみこんで、ルイ15世に懇願したそうです。 下町育ちで、時々下町言葉で15世を「エッチなおじいちゃん!」のように呼んだりして、 いわゆるきれいで女らしい可愛い女だったと言われています。 少しマリリン・モンローを連想してしまうのですけど。 マリー・アントワネットは、生まれながらの王族(皇女)で、人を人とも思わなかった傾向が強く、 だから貴族達を敵に回したそうです。 革命後、善意で協力してくれた人間を、早くしろ、ノロマ、やり方が甘い、のように 罵倒して、命を掛けて助けようとした善意の協力者を唖然とさせたそうです。 美人と言えば、「ベルばら」にも出てくるポリニャック伯爵(侯爵?)夫人も かなりの美形だったそうです。 当時の肖像画は美化して描く物でしたから、鵜呑みになさるのは危険?です。 エリザベート皇后をご存知でしょうか? バイエルンの公女でハプスブルク家に嫁いだ19世紀ヨーロッパ最高の美女、と言われる方です。 写真が残っておりますので、どれほどスタイルがよく、きれいだったか良く分かります。 http://www5a.biglobe.ne.jp/~french/cham/marie/ http://www.onyx.dti.ne.jp/~sissi/sissi-pict/sissi-gallery01.htm エリザベートは、個性的でしたが、庶民に優しい民主的な皇后だったそうで、 シシィという愛称は、それまではなかったそうですが(エリザベート皇后のみの愛称)、 彼女にあやかって、今ではシシィという女の子の名前が多いそうです。 本当はリシィで、それが訛ったか何かしたそうです。 歴史書でもないのですが、下記の本に、実に興味深いマリー・アントワネットについての 分析が載っています。 http://www.mm-labo.com/ambookreview/asin/4122038383.html 不美人ではありませんが、彼女の王子と王女の教育係をしていた婦人が、 アントワネットの真実の姿を一番よく伝えている、と言った肖像画があり、 これがロンドンの蝋人形にも、そっくりそのままなのです!! 他の結構きれいな肖像画は、相当美化しているようです。 美しく描く画家を好んで採用したからだと思います。 (ネット上では見つかりませんね、ごめんなさい) 本当はご覧いただければ分かると思いますが、艶やかな感じでもなく、清楚でもなく、 白人の品の良い、美女でも不美人(ブス)でもない、お顔と全身像です。 (巨乳、だったそうですけど、エリザベート皇后のようなモデル体型でもない、お体…) マリア・テレジアの母は、色の白い女性で、夫のカール皇帝から「色白のリースル」と 呼ばれていたそうです。 それが、テレジアに受け継がれ、テレジアは例外的にハプスブルク家らしくない顔立ちなのだそうです。 ロートリンゲン公(アントワネットの父)の血が入ったのに、アントワネットは 「馬面」とされていて、長男のヨーゼフ(割と美男だったそうです)や五女のマリア・エリザベートの ように美しくなかったようで、実は母テレジアからは、『最愛の娘』ではなく、その他大勢扱いされていたとのこと。 最愛の唯一の子は次女のマリア・クリスティーネで、テレジアは政略結婚の道具にしたくなくて、 身分の低い大佐(だったかな?)と身分違いの恋をしていたクリスティーネを 自分の手元に置いておく為に、その大佐の(確か)身分を上げてやり、 宮殿から近い所に屋敷を与えたのです。 政略結婚の道具にしなかったのは、9人?(16人産んで、夭折せずに育った9人)の 子供達のうちクリスティーネだけで、テレジアの死後、長男のヨーゼフに仕返し?の為に、クリスティーネ夫妻は、遠くに追いやられたそうです。
他の方もお答えのように「美醜」なんて主観の問題ですし、現代の感覚と異なっているからという理由で「当時の美的感覚はおかしかったのでしょうか?」というのは、意味のないことだと思います。 例えば、今の日本で「美女」といわれている女性は、洋の東西、時代の古今を問わず、「美女」として評価をされるでしょうか? 案外、近い将来、「えーっ、当時はあんな顔を『美女』って言っていたの?」となってしまうかもしれません。 もっと簡単に考えれば、あなたが好きなタイプの顔立ちを万人が好むか-といえばそうではないと言い切れるのではないでしょうか。 マリーアントワネットについては、 http://de.wikipedia.org/wiki/Marie_Antoinette このサイト(ドイツ語ページですみません。ドイツ語ページが一番マリー・アントワネットの肖像画像が多かったので)の中ほど、少し下あたりのビジェ・ルブランによる肖像画が一番有名かと思いますが、これを見て、美しいと思うかそうは思わないか…。 私にとっては、あまり好みの顔立ちではありませんが。 マリー・アントワネットはともかく、私は、その母親であるマリア・テレジアの少女の頃の肖像 http://de.wikipedia.org/wiki/Maria_Theresia (こちらもドイツ語ページですみません。やはり一番肖像画像が多かったので) こちらのサイトの一番上の肖像を見ると「これで15歳?美人だなぁ。」と思いますね。 年齢が上がってからの肖像は、見る影もありませんけれど…。 #3さんが仰っている「王族などに対し正直に美人じゃないと言ったりして首を飛ばされたい人がいるとは思えませんね。」については、実際、ロシアの女帝・エリザヴェータがそうですよね。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%B6%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%82%BF_%28%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%9A%87%E5%B8%9D%29 エリザヴェータの前で他の女性の容姿を誉めようものなら、牢屋送り、流刑になったらしいですから。 誉めた人も誉められた女性もですよ。
時代によって美人の基準が違うので当時は美人と言われたかもしれません。 それに、王族などに対し正直に美人じゃないと言ったりして首を飛ばされたい人がいるとは思えませんね。 あと、有名な所ではクレオパトラはブスだったらしいです(エジプト人の間では公然の事実)。それが美女といわれるのは、シーザーを筆頭にローマの権力者がつぎつぎに惚れたから美人じゃなければ体裁が悪いということで美人にされたみたいです。
- caesar-x2
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ハプスブルク家の人間には 特徴的な顔をしていて、 その面長で小さくツンとした唇は 男女ともにみられます。 マリー・アントワネットは 子供のときは天使のようでしたが、 ハプスブルク顔はいわゆる童顔で 大人になってからは普通に綺麗な容姿。 顔だけをみるなら驚くほどは美しくはないものの 人間の容姿は衣服や身のこなしなども 重要になってくるので、 若い頃の限って言えば、 十分の美しい王妃だったといえるでしょう。 ただし子供を生んでからは太ったので、 後半の容貌は人並みのおばちゃんです。 ま、美しいか美しくないかは 主観的な問題ですから、 どうとでも言える訳で、 美的感覚の絶対的基準はないということを 理解するべきでしょうね。
- Tacosan
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今の我々の美的感覚と当時の人々の美的感覚は違うかもしれませんが, それを「おかしい」と表現するのはいかがなものかと. 所詮主観的なものでしかないんですから, 当時の人々が「美しい」と思うのであれば我々が口出しするようなことでもないでしょう.