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見ただけで吐く寸前までいくのは何故?

人間がおぞましいと感じるもの、大変気持ち悪いと感じるものを見た時、とっさに本当に吐きそうになるのは何故なのでしょうか? 目から入った情報だけで、身体の何処に作用して吐き気をもよおしているのでしょうか? 詳しい方ご回答お願いします。

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  • ruehas
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回答No.2

こんにちは。 視覚刺激に伴う「嘔吐反射」は、ほとんどが生後に体験・学習された「判断基準」に基づく「条件反射」です。つまり、自分にとって何がおぞましいかは生まれたあとに獲得された価値観であり、「視覚に伴う嘔吐反射」は、その価値観に基づいて選択される「学習行動」ということになります。 反応の基準は個人的な体験による「個人的価値観」や、生まれた社会の慣習に従う「文化的価値観」として培われたものであり、子供のころから知らず知らずのうちに積み重ねられてきた体験に基づいて無意識に発生します。例えば、残虐な映画を見ておぞましいと思うのは、我々がそのような文化的価値観を持つ社会に生まれ育ったからです。私はゴキブリが大嫌いですが、ヘビがダメだというひともいます。このような個人差のあるものは「本能行動」ではなく、ほとんどが「学習行動」です。 質問者さんがおぞましいと思われることには、何らかの体験があります。ですが、その体験は大脳皮質だけではなく、大脳辺縁系という無意識の領域にも学習されており、「YES・NO」といった単純な判断だけは即座に下せるようになっています。ですから、大脳皮質で理由を思い出せなかったり、体験そのものを忘れてしまっていても、反応は構わず発生してしまいます。 このような体験を生後環境に適応するための基準として学習し、判断を下しているのは「大脳辺縁系」に属する「偏桃体」です。 「偏桃体」には身体内外の全ての感覚情報が入力されていおり、それに対する「有益・有害」といった価値判断が下されることによって「情動」が発生します。ここで発生する情動は「快情動」と「不快情動」の二種類だけで、それに伴って「接近行動」か「回避行動」のどちらかが選択されます。従いましてこの場合、嘔吐反射というのは視覚情報によって発生した不快情動に伴う回避行動ということになります。 このように、情動というのは感覚器官から得られた身体内外の環境の変化に伴って発生するものです。このため、我々は生得的にパターンの定められた本能行動だけではなく、与えられた状況に対応した多彩な学習行動を選択することがきるわけです。 嘔吐反射や、情動の種類といったものは生得的な機能です。ですが、何に対して情動を発生させるか、つまり、自分にとって何がおぞましいのかといった「判断基準」は生後の体験によって学習されたものです。ですから、それに伴って選択されるものは、全てが条件反射による学習行動ということになります。 嘔吐反射というのは、本来「無条件反射」であり、本能行動に類するものです。このような反応を起こすための、生得的に定められた刺激を「無条件刺激」といいます。 嘔吐反射の原因刺激には、「異物・毒物の混入」「消化器官・体調の不良」「触覚(咽仏やボディ・ブロウ)」「平均感覚の混乱(ジェット・コースターなど)」が考えられます。ほとんどが「内臓感覚」ですが、「異物・毒物」は、味覚・臭覚といった「外性感覚」によっても判定されます。そして、嘔吐反射というのは自律反応ですので、視覚情報も含め、ほとんどの外性感覚は身体の自律神経系を司る「視床下部」を経由して投射されます。 従いまして、視覚による不快情動は、大脳辺縁系・偏桃体からまず「視床下部」に出力され、ここから「嘔吐中枢」もしくは内臓器官に投射されているということになります。嘔吐中枢に直接の連絡がなくとも、内臓器官に生理的変化が発生すれば「体調異常」として嘔吐中枢は反応します。 このように、味覚や臭覚と同様に、嘔吐中枢、もしくは内臓器官への投射経路は、元々視覚にもあるということですね。では次ぎに、それが無条件刺激であるかどうかです。 生得的に定められた無条件刺激というのは解釈がたいへん面倒です。特定が困難な上に、一度でも体験してしまいますと中々学習と切り離せなくなってしまうんですね。 それはともかく、無条件刺激には以下のようなものが挙げられます。 「性欲・食欲といった本能的な欲求に関わるもの」 「強過ぎる五感」 「元々心地良い刺激???」 「身体の不調」 臭覚や味覚であるならば、異臭や苦味などは嘔吐反射の無条件刺激であるかも知れません。ですが、比較的嘔吐反射に関係の近い味覚や臭覚でも、無条件刺激としての要素は全体のほんの僅かでしかありません。何故ならば、遺伝子のプログラムによって予め決定しておける範囲というのは、本質的で重要な部分に限られてしまうからですね。このため、我々動物は味覚や臭覚を駆使し、臭いを憶え、毒物を噛み分けて、生み落とされた環境の中から自分に食べられるものを見付け出さなければなりません。それが、動物が生きてゆくための術であり、情動とはこのためにあります。 視覚における無条件刺激は、色や形、状況といった要素によるものですよね。以前、このサイトの回答で、グジャグジャと密集するものは本能的な嫌悪刺激であるというのを目にしたことがあります。これは知りませんでしたね。 ですが、最も重要なことは、このような外性感覚は大脳辺縁系を経由しているため、それは直接の自律反応を引き起こすものではなく、情動を発生させる刺激であるということです。つまり、それは偏桃体で発生する「快情動」か「不快情動」のどちらかでしかないのですから、それが嘔吐反射を発生させるためには、偏桃体を出るとき、もしくは視床下部を経由するときに「これはゲロですよ~」といった信号に書き換えられなければならないということです。ですが、悩ましいことに、このメカニズムはまだほとんど解明されていないんです。 偏桃体に発生する情動は、自律神経系や運動神経系に出力されることによって様々な「情動性身体反応」を引き起こします。それが、やがて喜怒哀楽といった具体的な「感情」に発展するわけなのですが、何が悩ましいかといいますれば、このメカニズムが解明されな限り、我々には何故こんなにも多彩で豊かな感情を発生させることができるのかということが説明できないということなんです。本当に悩ましいです。 偏桃体からの出力が「ゲロ信号」として嘔吐中枢に送られるためには、そのための経路と共に、神経伝達の「選択的反応特性」というものが必要になると思います。これは、神経ネットワーク同士のやり取りが、特定の信号パターンだけに反応する、もしくは反応しやすくなるということです。これによって信号は意味を持ち、異なった経路に分岐してゆきます。 このようなものが生まれながらにして備わっているのが無条件反射です。ですが、選択的反応特性というのは、信号のやり取りが繰り返されることによって反応が強化されることは十分に考えられます。つまり、生後の学習による効果は、ここでも免れることはできないということですね。 といったようなことですので、視覚刺激に伴う嘔吐反射は、ほとんどが生後の体験・学習に基づく条件反射であり、そのメカニズムは味覚・臭覚といった外性感覚によるものと同じということになります。そして、それは我々の偏桃体の中に知らず知らずのうちに獲得された「個人的価値観」や「文化的価値観」に基づく、深層的で無意識な反応ということになると思います。 それから、たいへん失礼ですが、#1さんのご回答には幾つか間違いがございますので訂正させて頂きます。 ご紹介頂きました反応経路はたいへんきちんとした知識に基づくもので、これは間違いではありませんが、そこに「視床下部」というものをひとつ加えて頂きたいと思います。そして、大脳辺縁系以下、自律神経系への出力経路は、恐らく「求心性神経」ではなく、「遠心性神経」ということになるのではないでしょうか。 それから、大脳辺縁系が下せるのは、自分にとっての「有益・有害」といった判断だけであり、それは生後学習によって獲得されるものです。そして、「それが何であるか」といった大脳皮質での「認知」が成される前に、反応は起こっていまうというのが原則ですね。 大脳辺縁系は、どちらかといえば学習的な判断を下すために発達した哺乳類以上の中枢です。本能的な判断は大脳辺縁系ではなく、主に「脳幹以下、脊髄まで」の、爬虫類以前に獲得された中枢で行なわれています。 そして、これは学習行動に類する条件反射ですから、何がおぞましいかは、「個人差」「お国柄」「時代の違い」といったものが必ずあります。ですから、太古の原始人はそうではなかったかも知れない、というのが、やはり正しい考え方ではないかと思います。 #1さんのご認識が必ずしもそのようなものではないというのは、注意深いご説明からも推察はできますのですが、以上は比較的重要なポイントですので、宜しくご容赦下さい。

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その他の回答 (4)

  • Ganymede
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回答No.5

もし、奇特な専門家がここを通りかかれば、私の回答にも誰それにも誤りを見つけて、二、三人喝破されちゃうのでしょうね……トホホ。しかし、このサイトでは他者批判や議論が勃発すると、「両成敗」でゴッソリ削除されたりもするようです。ANo.2 の末尾のように他人の回答を批判した時点で、削除対象になったケースも見かけました。 さて、最初に批判された側の私としては、ANo.1 の拙文を詳しく再説明する必要も感じます。まあ、ボチボチ書き足してみました。 1.嘔吐中枢は延髄にある 嘔吐反射について正しく知るには、次の URL などをご覧ください。 神戸大 解剖学講義ノート(寺島俊雄教授) http://www.lib.kobe-u.ac.jp/products/anatomy/kiso/chap12.pdf >(84ページ)図16 視床下部は自律神経系の最高中枢 > 視床下部 → 脳幹自律神経中枢(呼吸中枢、循環中枢など) → 自律神経系 → 標的器官(腺、平滑筋、心筋) 神経病学ノート(立川察理医師。すべて典拠を付している) http://akimichi.homeunix.net/~emile/aki/html/pdf/neurology-note.pdf >(65~66ページ)4.5 自律神経中枢 典拠: 標準生理学4 版[150, p.376] > 概念 > 脊髄および脳幹は自律神経系の第1次中枢であり、これはさらに上位の視床下部や > 大脳辺縁系などによる調節を受ける。ただし交感神経の場合は脊髄が第1次中枢であり、 > 脳幹が上位の中枢となる。 > 内臓性の制御は比較的単純な反射であるため脊髄もしくは脳幹で行なわれるが、 > 体温や血糖などのより複雑な調節は視床下部がその中枢となる。 > 分類(中略) > 脳幹の自律神経中枢 > 循環中枢、呼吸中枢、嘔吐中枢、嚥下中枢、排尿中枢 > 視床下部 > 体温調節中枢、血糖調節中枢、水分調節中枢 >(69ページ)嘔吐反射 vomiting reflex > 典拠: PharmacologyLippincott [27, p.242] , 典拠: Harrison11 [12, p.174] , > 典拠: 医科生理学展望[36, p.227] , 典拠: 標準生理学3 版[149, p.632] > 概念 > 嘔吐とは、胃腸管の内容物が口外に強制的に吐き出される反射的運動である。 > 嘔吐反射は延髄で統合される内臓反射である。 『世界大百科事典』(平凡社)より「嘔吐」 (東健彦 執筆、信州大学医学部長から順天堂大学理事長) > 嘔吐反射の中枢 (嘔吐中枢) は延髄網様体のなかにある。 (引用終わり) このように、嘔吐反射の中枢は延髄(の網様体)にあります。つまり、 (嘔吐反射に関して)「視覚による不快情動は、(中略)『視床下部』に出力され、ここから『嘔吐中枢』もしくは内臓器官に投射されている」 と記述すると、誤りです。ご質問者は、どうぞ正しい知識を身に付けてくださいませ。 あるかたは、「視床下部は自律神経系の中枢」という初歩知識(それ自体は正しい)を仕入れて、「自律神経系は何でも視床下部が中枢だ、延髄って何さ」とでもご理解なさったのか、その調子で多くの質問に回答して来られたようです。もう少しだけ詳しく勉強なさってから講釈してくださると、助かります。 2.求心性と遠心性 http://akimichi.homeunix.net/~emile/aki/html/pdf/neurology-note.pdf >(64ページ)4.3 自律神経反射 > 典拠: 標準生理学4 版[150, p.381] , 典拠: 最新内科学大全:末梢・自律神経疾患[76,p.239] > 分類 > 中枢神経系を介するもの(中略) > 体性-内臓反射 > 体性感覚神経を求心路とし、自律神経を遠心路とする反射である。 > 対光反射・唾液分泌反射・体温調節反射などがこれに該当する。 http://www.lib.kobe-u.ac.jp/products/anatomy/keitou/chap18.pdf >(267ページ)「体性」とは体性機能(動物機能)に関係していること。 > 具体的に体性機能とは、視覚、(中略)などの体性感覚と、(中略)のこと。 『世界大百科事典』(平凡社)より「嘔吐」 > 激しい感情の動揺 (情動) によっても嘔吐が起こるが,これは間脳と > 辺縁系から嘔吐中枢に至る求心性神経があるためであろう。 (引用終わり) ご質問の「視覚による嘔吐反射」は、体性-内臓反射のようです。嘔吐中枢たる延髄に行くまでが求心路で、そこから出て行くのが遠心路です。 あるかたは、「自律神経系は遠心性のみ」という基礎知識(それ自体は正しい)を仕入れ、それ以上勉強する気はない模様でした。 しかし、大脳、間脳(視床下部は間脳の一部)、延髄などは中枢神経系に属することもまた、基礎知識です。つまり、視床下部は組織的には中枢神経系の一部であり、機能的には自律神経系の(最高)中枢です。延髄も同様です。よって、視床下部から延髄へ行く間は、組織的にはまだ自律神経ではなく、「自律神経系は遠心性のみ」の適用を受けないのです。 これに対し、「分かった、その間は組織的には求心性だが機能的には遠心性だな」などと、訳の分からない誤解をする人がいるとしたら、勘弁してください……。知覚を中枢へ伝えるのが求心性であり、中枢から信号を出して身体各所を運動させるのが遠心性です。 なお、嘔吐反射の順路には何種類もあって、「視覚による嘔吐反射」以外は、むしろ内臓-内臓反射です。その内臓-内臓反射について説明しているかたもいましたが、このご質問には関係ないですね。 (続く)

sparkleglitter
質問者

お礼

皆様、大変詳しくご回答していただき、ありがとうございました。 参考になります。

noname#25799
noname#25799
回答No.4

すみません。ずぶの素人が出てくる幕でない雰囲気が漂っているのですが、なんとなくそそられるので、迷答させてください。 私も気持ち悪いものを見て気持ち悪くなったことがありますが(この気持ち悪いってどちらが本来的な使い方なんでしょうね)、これって注射してもらって気持ち悪くなったときにすごく似ている気がしました。病気で気持ち悪くなるときは「病気で悔しい・気持ち悪くならないで」という思いもあるのですが、「気持ち悪い」が先行して「気持ち的な抵抗もできない」という感じです。 注射で気持ち悪くなったときには医者には「迷走神経反射」だと言われました。ひょっとしたら、気持ち悪いものを見たときにも迷走神経反射が起こっているのかも知れません。 参考URLには血管迷走神経反射の説明として「強い痛みや精神的ショック、 ストレスが誘因となって自律神経のバランスがくずれ、抹消血管の抵抗が減少し血液が心臓に戻らなくなり、 血圧低下となり脳血流が低下して意識がなくなります。この際徐脈、冷や汗を伴います。」とあります。このショックというのに該当するのではないかと思います。 自律神経のバランスが崩れるのですから、本来生物にとって不利な気もしますが、もっと極端な危険が迫っているときにはかえって気を失った方がいいのかも知れません。 最近読んだ本、桐島洋子さんの「聡明な女は料理がうまい」には手術中食欲をそそられる外科医の話が挿入されているのですが、慣れることはできるかも。

参考URL:
http://member.webdoctor.ne.jp/cgi-bin/WebObjects/101adef4170.woa/wa/read/1029015dfd8/?past=wdp
  • Ganymede
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回答No.3

ANo.1 で拙答を差し上げた者です。 さて、私が「一般人」「素人ですが」と申すのは、謙遜ではなしに文字通りそうなのですが、この Q&A サイトでときどき見かけるのは、文章から察するところ専門家(または隣接分野の専門家)らしいのに、謙遜して「一般人」と自称する人たちです。したがって、「どんな人:一般人、自信:自信なし」と名乗っていらっしゃっても、「実は専門家が回答してるのかも?」と思いつつ、私は他のかたの回答を読ませてもらっています。 しかし、残念ながらまだここには、そういう方が登場してないようですね。それでは、「ANo.1 の拙文では筆を省きすぎたか?」と思い始めた私が、乏しい知識を付け加えておきます……。 ■ 視床下部は間脳の一部である。大脳辺縁系の偏桃体を、おおまかに「大脳辺縁系」と書くに留めたら、視床下部についても「間脳」と書いておくのが、記述のバランスというものである。それとも、視床下部が間脳に属することを知らないの……。 ■ 「求心性」、「遠心性」の意味から説明しなければなるまいか……トホホ。大脳辺縁系・間脳から嘔吐中枢へ行くのは、求心性神経である。嘔吐中枢へのいわば入力までで、私は記述を留めたわけである。仮に嘔吐中枢からの「出力」を書くとすれば、その後のことだ。 ■ “視覚による不快情動は、大脳辺縁系・偏桃体からまず「視床下部」に出力され、ここから「嘔吐中枢」もしくは内臓器官に投射されているということになります。” 何ですと? 視覚 → 大脳辺縁系(の偏桃体)、間脳(の視床下部)。ここまでは良い。その後、 【延髄の嘔吐中枢を(経る場合と、)経ないで「内臓器官に投射されている」場合がある】? もし、 【視覚 → 大脳辺縁系(の偏桃体)、間脳(の視床下部)→ 内臓器官】(途中で延髄の嘔吐中枢は経ない) という意味でお書きになっているのだとしたら、大変興味深いので、その出典をお示しくださいませ。念を押しておきますが、お書きになっている通り、「視覚による不快情動」についてです。 ■ “大脳皮質での「認知」が成される前に、反応は起こっていまうというのが原則ですね。” ?!……「見る」ことができるのは、大脳皮質の視覚野であり、「見る」とは、「大脳皮質の視覚野で認知すること」です。大脳辺縁系・間脳は、「見る」ことができません。さて、sparkleglitter さんのご質問は「見ただけで吐く」についてであり、「見る前」、すなわち “大脳皮質での「認知」が成される前” の吐き気については、お聞きになっていません。 言うまでもなく、吐き気が起こる順路は数種類ありますが、sparkleglitter さんのご質問に対応する神経伝達順路は、何種類もありますか? 私は、視覚情報に起因する吐き気について、対応する順路を ANo.1 で示しました。なお、これは、吐き気としては基本的ではない方ですね。基本的じゃないからこそ、sparkleglitter さんは疑問を感じてご質問なさったのだと思います。 ■ (「大量には共食いしない」について)“太古の原始人はそうではなかったかも知れない、というのが、やはり正しい考え方ではないかと思います。” ??さてこの人は、無条件反射・条件反射の知識だけでものを言っているのでしょうか……。人類学その他では、古今東西のカニバリズムの研究が進んでいます。また、太古のゴミ捨て場なども発掘して、当時の人類が何を食べていたか、学者たちは追究しています。私はこの分野についても素人知識で申し訳ありませんが、研究の成果によると「太古の人類も、大量には共食いしていなかった」とみられています。 まあ、太古を直に見てきた現代人はいないから、「かも知れない」を付ければ、何でも言えるのでしょうか? 私としては、吐き気の仕組みだけでなく、「ここから先は、私の想像が加わりますが」と断りつつも、複数分野の素人知識を思い出しつつ、ANo.1 を書いたのですが。知ってることをあまり書き並べると、このようにむやみに長くなりますから、ANo.1 では根拠の一部を省きましたけど。 ■ 「本能」という言葉は、今日では厳密な学問用語としてはほとんど用いられなくなっている。20世紀に入って、生理学、心理学、動物行動学が発展し、「本能」の内容は極めて多義的になった。今日では科学的な文献では「本能」や「本能行動」という表現を避けるようになっている。(『世界大百科事典』平凡社による)。 さて、ANo.1 の拙文をご覧ください。私が「本能」という語を使ったのは、「ここから先は、私の想像が加わりますが、」と断った後でした。それも、「本能」に「的」まで付けています。そう、「私の想像が加わりますが」以前の記述は別としても、それ以降もう私は科学的に厳密な記述を目指してはいないわけです。この辺の機微は、(高校レベル以上の生物をかじった人には)常識と思っていたのですが……。 ところが、「本能行動」、「本能的」という言葉を盛んに使って、何やら科学的な話をしているつもりの人がいますね。まあ、有名な「パブロフの犬」は20世紀初頭の研究だし、20世紀(前半?)的知識をご説明になっているのでしょうが、今は21世紀ですね。その記述、今日では「浮いて」しまっているようにお見受けするのですが。素人向け入門書からでも、写したんでしょうか? ■ 私は ANo.1 の拙文において、「人倫道徳以前の太古の人類も、大量には共食いしていなかったとみられる」という知見に着目しました。これは、人類学その他において、20世紀後半以降通説になってきたことです。20世紀前半くらいまでは、まだ人種的偏見などが強くて、「これこれの特定の人種は人食い人種である」、そして「我が国には人食いの歴史など無い」と力説したりする学者まで、いたのです……。 さあ、私の駄文も長くなってきたので、端折って結論を書き、終わりにします。 無理にカニバリズムに話を持って行かなくても良さそうなものだが、端的な例として挙げます。 それは、なぜ「見ただけで吐く」(寸前までいく)のか?という sparkleglitter さんのご質問に、私なりに何とか答えを提出したいからです。ありがた迷惑でしょうか……。 さて、「見ただけ」ということは、まだ対象に直接は触れてない、口には入れてないわけです。「有害」であり、「不快」であり、「回避行動」するというなら、飛びのけばいいじゃありませんか。なぜ、「飛びのく」反射ではなく、「嘔吐」反射が起きるのでしょうか? そこで、「ここから先は、私の想像が加わりますが」、「食べてはならない」からでは? と考えてみたのです。吐き気がしなけりゃ、肉(刺身)を前にして食欲がわく可能性がありますね。ヒトというのは、同種同士大量に殺し合う種ですよ(これは大昔から行われていたことが、他殺の形跡のある人骨の出土などにより分かっている)。となると、「肉食のため」に大殺戮するまで、あと一歩ですね。 しかし、人類学・考古学などの知見によれば、人類はその危うい一線を(ほとんど)越えませんでした。(飢饉や呪術的な理由による)少量のカニバリズムは、あちこちであったけれども。 それ(視覚情報に起因する嘔吐反射)に対し、後天的な学習による反射である、「個人」「お国柄」「時代」によって、それぞれさまざまだと説明するだけでは、一見科学的なようで、実質的にほとんど何も答えていません。それでは、なぜ大半の個人・大半の地域・大半の時代・大半の文化に共通して、(例えば惨殺死体を見ただけで)大半のヒトに嘔吐反射がおきるのか、説明がつかないではありませんか。 そこで私は、(ありがた迷惑でしょうが)無い知恵を絞って考察しました。まず ANo.1 の拙文に記したような、神経伝達の順路があることですね。人体(のハード)がそのように「配線」されてないと、あとからソフトを入れても難しいですから。 そして、「本能的」という、今日では非学術的な言葉を1回だけ用いてまで、想像を交えて私が書きたかったこと。それは、 「この反射は、ア・プリオリ(先験的)そのものとは言えない」。 「しかし、一人一人が後天的に学習したから、だけでは説明がつかない」。 ということです。上で『世界大百科事典』から引用したように、「本能」の範囲が曖昧なら、後天的な学習にも、境界の曖昧なところがあるでしょう。誰かさんのように、無条件反射と条件反射との古典的な区別を言い立てるよりも(両者を「中々」「切り離せなくなってしまうんですね」と言いつつ、だらだら説明するよりも)、私たち人間の内部で息づく「興味深い符合」に思いを馳せてみるのは、いかがでしょうか。

  • Ganymede
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回答No.1

私は素人ですが……。グロテスクなものを見て反射的に吐き気を催すのは、次のような順路によるそうです。 眼球の網膜 → 視神経 → 大脳皮質の視覚野(ここで視覚として認知される) → 大脳辺縁系(ここで情動が発生)、間脳も密接に関係 → 求心性神経 → 延髄の嘔吐中枢(ここが嘔吐反射の中枢) 目から入った情報に対し、「これは何々だ」と認知しただけでは、吐き気につながりません。それを大脳辺縁系で判断し、激しい感情の動揺(情動)が発生して、吐き気を覚えるケースがあるわけです。例えば、惨殺死体を見た時などにそうなると聞きます。 それにしても、なぜ大脳辺縁系・間脳が、よりによって嘔吐中枢につながるように、人体はデザインされたのでしょうか? ここから先は、私の想像が加わりますが、「食べてはならない」という根源的なタブーと、吐き気とが、符合している場合があるように思われます。 大脳辺縁系は、別名「古い脳」とも呼ばれ、かなり本能的にものを判断する所です。したがって、惨殺死体に嘔吐を催すのは、おそらく根源的な習性であり、太古の原始人もそうだったと考えられます。 逆に、もし吐き気を感じなければ、代わりに食欲を感じ、原始人は他人の死体を貴重な蛋白源として食べることになったかも知れないのです。 ヒトは、同種同士殺し合うことにかけては、生物の中でも最悪の種です。しかし、(大脳辺縁系・間脳が嘔吐中枢につながっていて)反射的に吐き気を感じる仕組みだったからこそ、ヒトは大量殺戮はしても、「大量に共食いする」という地獄は、かろうじて免れてきたのだと考えられないでしょうか? 人倫道徳の成立の、はるか前から。 信心深い人に言わせれば、そのように人体がデザインされたのは、神の恩寵であったと言うかもしれません(私は信仰がありませんが)。ただし付け加えますと、少量の共食いは、カニバリズムとしてあちこちで起こったと言われています。

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