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学校で 〔国会=立法〕 って習ったのに、なんで!?

学校で国会は立法を担当していると習いましたが、実際にテレビ報道で観る国会の議論は、ライブドア自殺・牛肉、はたまた政治家の女遊びなどで、立法に関することはあまり観ません。学校の教科書にかかれたことは、正しくないのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

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noname#127088
noname#127088
回答No.4

 おっしゃるとおり国会は立法機関ですが、法律を制定するためには動機や必要性などを議論しなくてはなりません。たとえばマンションの構造偽装問題をきっかけに建築基準法などの見直しをする場合には、マンションの構造偽装がどのような法律の不備で起こったのか、それをどうすればいいのかといった議論が必要です。また、はたして立法機関として現在の国会が妥当であるか、行政機関を管理する内閣に問題はないかという議論も行われます。  とはいえ、本来は立法府として行うべき議論が、いつの間にか政党のかけひきに使われているのも事実です。そんな様子を見たtabocadoさんが疑問を持つのは当然だろうと思います。これは国会を運営する与党だけの責任ではなく、さまざまな問題を与党攻撃の材料に使う野党の責任も大きいと言えますし、政治に無関心な私たち国民の責任であるとも言えるでしょう。そもそも政党政治は政党間の争いに終始しやすいシステムなので、こうなるのはしかたがないと思いますが、もう少しきちんとやらなければないけませんね。  なお、国会はあくまでも立法機関なので、実際に昨年末の第163回特別国会でも多くの法律が成立していますし、そのための議論も行われています。もちろん議論が十分であったかどうかは問われますが、これらの法案は新聞や政府公報などで説明されていますから、一度ご覧になってはいかがでしょうか。こんな法律が成立していたのか、と驚かれると思いますよ。

参考URL:
http://www.gov-online.go.jp/theme/11_horitsu/horitsu_163.html

その他の回答 (10)

  • sgi1962
  • ベストアンサー率12% (46/367)
回答No.11

国会は唯一の立法機関なのですが 実際は行政機関の官僚が作っていることがほとんどです。 知識レベルでは世界一といわれる日本の官僚が、考案しています。 本来ならば「議員立法」で、日本のすべての法律は 決められるべきなのですが、プロである官僚にはかないません。 したがって、日本は厳密には三権分立の国ではないのです。議員内閣制をとっていますから言うまでもないことではありますが、、。

  • d-y
  • ベストアンサー率46% (1528/3312)
回答No.10

国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。(憲法第41条) 立法は国会の最も重要な仕事ですが、国会のしごとは法律を作ることだけではありません。 国権の最高機関として、そのほかにもいろいろ仕事をしています。 子供向けで失礼かもしれませんが、参議院のサイトに分かりやすい説明がありましたので、リンクします。 http://www.sangiin.go.jp/japanese/kids/kagai/j2.html

参考URL:
http://www.sangiin.go.jp/japanese/kids/kagai/j2.html
回答No.9

立法府の仕事は立法と他の権力作用の監視です。 国政調査権があるので行政のやっていることを特に監視します。 立法については発案→審議→決定という過程を経て成立しますが、大抵の法律は内閣の閣僚により作成されています。

  • bigskul
  • ベストアンサー率29% (36/123)
回答No.8

立法の仕事をやっているのは全てとは言いませんがかなりの部分が政府です。 政治家の仕事はおしゃべりをして人脈を作り合意を取り付けてその法律を成立させるための裏付けを作る事です。 政治家本人とは言わんでもせめてそのスタッフくらいはまともな仕事をしてもらいたいですが法案は政府(官僚とも言い換えられる)が殆ど作ってるのが実情です。 「閣法」、「議員立法」などのキーワードで検索してみてください。

  • h2go
  • ベストアンサー率19% (123/632)
回答No.7

三権分立です。 これは国会が立法だけを担うのではなく、行政や司法をチェックする機能があるということです。 質問の事例はこのチェック機能の部分のみを取り上げた「テレビ映像」から生まれる疑問ですよね。

  • orpheius
  • ベストアンサー率43% (29/66)
回答No.6

テレビに出てくる画面はこの世の情報のすべてではありません。 国会での議論は立法に必要な情報の整理や政治的責任の追及などにあり、現行上の問題点を探るためにやっています。基本的に政治家が女と遊ぼうが変態的な趣味を持とうが政治的責任とは別の話です(背任や汚職は別です)。 現代社会は社会からのあらゆる要求や問題に可能な限り応えていくために行政国家という形態を取る場合がほとんどです。政治家があらゆる領域で社会のため必要な処理をしている例は北朝鮮以外に知りません。社会のあらゆる領域の問題に対処するため、立法に必要な情報を集め整理し法案を形作るためには各官庁や政党スタッフの力が欠かせません。政治家が行うのはそれが社会状況に照らし妥当かどうかを判断するため、技術的なもの以外の議論です。自民党は汚職ばかりだと言われますが(一面の真実ではありますが)それを言い始めたらどの政党も脛に傷ばかりです。 国会は国権の最高機関であり(憲法41条)、唯一の立法機関です(同。ただし73条などの例外あり)。また予算委員会などの審議は国政調査(同63条)としての側面もあるため一見関係のないようなことも話し合っています。関係ないように見えますが先に上げた現在の問題点などを法執行の責任組織である内閣を追及しているわけです。委員会制を採用しているわが国では各委員会での議論が国会での立法のメインでありそこで具体化されていきます。民主党vs自民党の論戦と見えるのは、予算委員会では内閣対国会という構図であり、責任内閣制を採用する国では当たり前の風景です。 なぜ議員が立法案を出さなくなったかは、福祉国家、行政国家というキーワードで探してみてください。中学校で習うような内容は簡単かつ理念型ないし19世紀の立法の形であるため現在の立法状況をそのまま当てはめることは困難です。

  • aozola
  • ベストアンサー率12% (72/563)
回答No.5

国会の仕事といっても、立法だけではなく、予算を組んだりするので、単純にこうだとはいえません、また、実際の所、法律は役所の方が作ることが多く、政治家はあまり作らないようなところがあります、実際の所は儀礼的に法案を通す事は多いようです。 こうなったのは、昔の自民党と社会党の時代の頃に、自民党はずーっと与党だったので腐敗をしていて、利権をあさる事ばかり考えて、政治を役人任せにした事と、その腐敗対する責任要求を野党の社会党がしていたのですが、その実、社会党といえば、反対ばかりして、対案を出す事もまともにできないような党だったため、何となく今のような癖がついてしまったようです。 で、それを変えれるかというとこれも難しい、いまの民主党は対案を出せる党ですが、小泉首相は、人を悪く言って自分を正当化する天才のような所があるので、下手に対案を出すとそれを利用されてしまうので、民主党としても対案は出せないので、ひたすら叩くしかないわけで、法律の話し合いにならないのですね、 だから、いままでそういう習慣があまりなかった、のと、自分が正しい一点張りの小泉政権では、話し合いができない、だから今でも言い合いばかりしているように、私には見えます。

  • ipa222
  • ベストアンサー率20% (903/4455)
回答No.3

テレビ中継するのは,ほんの一部の審議だけです。 予算委員会以外にもたくさん委員会があって,いろいろ審議しています。 是非国会のHPを見て,インターネットで審議を見たり,議事録を見たりすれば,概要が理解できると思います。

  • oshiete-q
  • ベストアンサー率33% (813/2428)
回答No.2

表面に見えるものだけで物事を判断するべきではないですよ。 何かを決める場合、まずそれを決めるのにふさわしくない人物がいれば当然そういった人間は排除しなければなりません。また法律をはじめ規則を決める時は、「なぜそうなったのか?」「問題点はどこか?」「現行のシステムでは対応できないのか?」などあらゆる角度から検証する必要があります。ただ単に新しい規則を作るだけでは、世の中「がんじがらめ」になってしまって、生活しづらくなってしまいます。それらのためには、一見意味のないような事柄でも議論を尽くす必要があります。

  • kikuzu
  • ベストアンサー率34% (80/231)
回答No.1

国家議員に立法能力がない、という話ならわかりますが、テレビ報道で見た程度のことからの推測ですか。 せめて、衆議院と参議院のサイトくらいは見てきましょうね。 法律という形式での法規範を定立できる機関は国会以外にありません。 これだけでも、国会が立法を担当しているのは明らかではないでしょうか。

tabocado
質問者

補足

そこら辺は十分に分かっているつもりですが、現実問題として法律に関する議論に割ける時間が少なくなって、国会外で誰かが書いたものが形式的・儀礼的審査で通過してしまうことは無いのだろうかということです。