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議院内閣制と三権分立について
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=228861 で 「官邸」について質問した者です。その後 こども図書室で本を数冊借りて読み、大人向けの図書室で「あたらしい憲法のはなし」(戦後間もない文部省作成の教科書。「民主主義」もありますね。)を読みました。 「あたらしい・・」に内閣について書かれていました。 ============= このようにこんどの憲法では、内閣は国会とむすびついて、国会の直接の力で動かされることになっており、国会の政党の勢力の変化で、かわってゆくのです。つまり内閣は、国会の支配の下にあることになりますから、これを「議院内閣制度」とよんでいます。民主主義と、政党内閣と、議院内閣とは、ふかい関係があるのです。 ============= 「国会の支配の下にある」って言うくだりが 「三権分立」とうまく理解できません。 こういうところが 「政治ってわかりにくい」って感じちゃいます。 政治の仕組みについて、わかりやすい本などありましたら 紹介してください。 あと、三省堂の新明解って辞書で「政治」ってひくと 「住みやすい社会を作るために、当局者が立法・司法・行政の諸機関を通じて国民の生活を指導したり取り締まったりすること。」 って定義しています。少なくとも今の日本では こんな意味で「政治」って言葉が使われていないと感じます。特に「政治家」って言葉は・・・。
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ご感想を書いていただきありがとうございました。 芦部先生の憲法の本は、本当に高度です。でも、専門書なのになぜかベストセラーになったこともある不思議な本です。 国について考えることは、難しいことだと思います。戦後兵役について帰還して研究生活に入った人が、自分たちに死を命じた国とはいったい何だったのか、という疑問から憲法を専攻するようになったことが多いとも聞きました。 ちなみに、戦前の傀儡国家である満州国は、国籍法がなかったために満州国民の存在しない「国家?」だったそうです。 何か私の趣味に、つきあって下さったようで申し訳ないようなありがたいような感じです。 sinjiroさんにまたいろいろ教えていただくことがあると思います。その節は、よろしくお願いします。
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- h13124
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芦部先生の本を読まれたのですね。 実は、あなたが仰ってる所を読んでいただきたかったのです。 中学や高校までは、憲法の制度はこうなっているとしか教えられません。憲法に基づいて、法律ができます。その法律は、自由を束縛するものであり、仕方なしに従っていると感じます。 でも、憲法は、権力者の権限を制限するところに近代立憲主義の憲法としての意義があります。ここでは、内閣総理大臣や国会議員が、憲法の限界に縛られています。国民は、憲法を通じて、国家機関の権限乱用を防止するという能動的な立場に立ちます。 また、是非ご感想をお聞かせください。
補足
遅くなりました。 連休中に仕事が入り 芦部さんの本が読めませんでした。さすがに 「憲法」は厚くて内容も難しく 読み進むのが大変でした。わからないところは 2,3度読むようにしてましたら こんなに時間が掛かってしまいました。他に 同時進行で他の本も読みました。 歴史(背景)無しでは 理解できないことがわかりました。現代のことばかりではなく 歴史を知らないとわかりづらい部分もあるのですよね。歴史は学生時代大嫌いでした。でも わからないと だめですね。 法律はたくさんあって 読むのは大変ですが、憲法は100条程度なので 議論するネタとしては 面白いものと思います。気軽に 「ケンポー」って感じで 話せるような日本になると楽しいですよね。 学生(高校生)のときにこういう方面に興味を持たせてくれる授業があったら人生変わってたかなぁって思う 日々です。 ========================= こどもが「有事法案」について話してきました。憲法のことと照らし合わせて話すことができました。親としてこどもより知っていたので助かりました。 この件は 新聞は読んでいても 憲法をしらないと 答えられなかったです。また いくら憲法で「平和」をうたっていても 平和とはなにか などの意見を自分なりにもっていないと説明もできないと実感しました。 また「国」って概念が ムズカシイですね。(国民でない 国 ってなんだろう??)
- h13124
- ベストアンサー率29% (172/591)
松下さんの本を読まれたのですね。 実は、憲法の政治の制度(国民主権や三権分立等です。)については、憲法学的に考察するのと政治学的に考察するのでは、違いがあります。 憲法的に考察すると、「こうあるべきである」と考えます。ドイツ語でsollenだったでしょうか。国会は、国民の意思を反映すべきであるという風に考えます。 政治学的な考察では、「このようになっている」と考えます。ドイツ語で、seinだったでしょうか。例えば、国民主権は、全くのフィクションであるとか考えます。 あなたのお尋ねに対しては、憲法的な考察の立場から、私の考えを述べました。 義務教育の件については、全く同感です。国民が1日10分政治のことを考えるようにするのが重要かと思います。政治のことばかり考えて、何事も政治的に例えば芸術も政治的な価値で決まるというのは、おかしいと思います。反対に全く政治に関心を持たず、ワイドショーだけというのもおかしいでしょう。
補足
ありがとうございます。 ドイツ語は 第二外国語で とりましたが 忘れてます。 o O ○ この本でビックリしたのは、「高校までの内容」と「大学からの内容」が異なると書かれていた事です。 もちろん 政治的なことばかり考えていてもダメだと思います。バランスがありますのもね。政治をどうやるか とか もっと みなで一緒に考えないとなんで 税金を納めているのか わからなくなっちゃいますよね。 税金は 募金じゃないんですものね。
- h13124
- ベストアンサー率29% (172/591)
またまた、続きです。 先日紹介した松下さんの本は、私も読もうと思っていて、実はまだ読んでいないのです。このような本を紹介したのは、無責任と反省しております。松下さんの本を紹介したのは、彼の文章が読みやすいと感じたからです。 「国会が民意の反映」という機能を果たしているかというのは、選挙制度に関わります。国民が主権者でありながら、選挙制度を通じてのみ国政に関与できるのは、あまりに制限されているという意見もあります。この価値観から、小泉首相の首相公選制が、一定の支持を得られたようです。しかし、危険な面もあります。 いま、現実には、選挙による国政関与を問題にするとき選挙制度が、重要になってきます。というわけでやはり憲法の制度は、各制度が独立して存在するのではなく、他の制度との関係も考えることが重要かと思います。 そこで、おすすめは、芦辺信喜の「憲法」(岩波書店)です。これは、もともと放送大学のテキストとして作られたのが、加筆され、刊行されたものです。わかりやすく、しかも平明に説明されています。もし、もう少し詳しく憲法を知りたいというのでしたら、これが、一番よいと思います。
お礼
松下氏の本、読みました。 慣れない言葉の本なので 毎日 40ページくらいが限界(飽きちゃう)で1週間で読みきりました。(何度か読まないと頭に入りませんけど・・・) 「国会」のあり方 = 「民意の反映の仕方」など 書いてあり なんとなくわかりました。けど、机上の理論のようにしか思えない点もありました。 民主主義を やってゆくには、みんなが「気にして 考えて 行動する」しかないんだと思います。例えば お金が無いと生活できないから 多くの人は お金のことを日々気にしているように。そういう風に フツーに 日常的に 考えて行けるようにしなければ 「一部の人の政治」になっちゃうんですね。(それが 今までの日本??) 会社の人とは「政治」の話なんかできないし(これが変なんだろうけど)、学生の時の友達は 「政治」に興味ないし(自分も無かった)。家内くらいです、話し相手になるのは。o O ○ でも 話すには ある程度の知識や話合いの仕方(松下氏の本に「政治家の育成」とありましたが、レベルこそ違え 民全員が自分のことと意識しないと・・・)を知らなければなりません。 最近 思うのですが、義務教育って「ゆとり」「勉強ができるように」とかではなくて『民主主義を考えるようにできるようにする』に徹底すればいいのになぁと思います。算数だって理科だって 論理思考のためには必要なのですから。でも 民主主義がはびこると (今の日本の)国政がヤバイいので やらないかなぁ??
補足
わざわざ ありがとうございます。 皆さまのご紹介の本を 借りまして 読み始めております。 現在 1冊目ですが、松下さんの著書を読んでおります。 文体は平易なのですが、用語が今まで 見たことも聞いたことも無いものが多く読み進む歩調は ものすごく遅いのですが 興味津々です。 最近 政治が身近に考えられるようになってきました。
- h13124
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また、続きです。 三権分立の自由主義的なところも重要だし、議院内閣制の民主的なところも重要でしょう。実際、憲法には、両者が規定されています。一見調和しにくいように見える場合、何らかの解釈というか修正をして、調和をはかります。ここのところは、実はかなり難し以下もしれません。更に、私にも分からないのは、何も問題がないように書かれてしまうことです。ぼやかしていると言えるかもしれません。 政治の仕組みについての本かどうか分かりませんが、松下圭一「政治 行政の考え方」(岩波新書 新赤版552)をあげておきます。政治に関する本は、多いのですが、あるのは、大体政治史か政治家についての本です。あなたのお知りになりたいのは、憲法の規定がどのように政治の世界で運用されているかと言うことでしょう。これに答えられる本は少ないとおもいます。 あと、中山 千夏「国会という所」(岩波新書 黄337)もおもしろいかもしれません。
補足
ご回答ありがとうございます。 「矛盾」を「今はこれがベストだと思うけど これを より良くしてゆきましょう」と書いてないのは 不思議ですよね。「話し合ってより良くしてゆく」と言うのが民主主義だと思うのですが・・・。 なんで 自分達の決めたことが 「絶対に正しい」と思っちゃう(思わなければならない??)でしょうね? 科学では 後世にその理論が覆されたり 修正されたりするのは 当然だし。それの修正とかで 理論を打ち立てた科学者が傷つくとも思えないですし・・・。(いろいろあるんでしょうけど) そーなんです。政治の本って 「私の履歴書」みたいなのが多いんで あまり手が伸びなかったんですよ。是非 紹介の本 探して読んでみます。 でも 「政治」に限らず なんでも 「人そのもの」なのかなぁ ってとも思います。 ============= ここで ご回答された方々って 政治とか法律とかを専攻されているのでしょうか? それとも 「フツーのおとな」って 皆さんくらい 詳しいんでしょうか??
- aminouchi
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#1のh13124さんの説明がかなり妥当であるとおもうのですが、ある程度三権についての歴史の話を大雑把にしてから、ご質問に答えたいと思います。 昔はほとんどの国に王様がいたことはご存知だと思います。その王がどのように権力を握ったかについては今は不問としますが、王が支配権を持ちその臣下・人民たちを支配する権力を統治権と呼びます。しかし、王様は統治権を持つと言っても支配されている側の同意がなければ、すぐにその座から追われてしまいます。で、この時に議会(基本的にヨーロッパで起こった制度)を通して人民たちの同意を受けるわけです。(あ、基本的に政治とは税の徴収とその分配の仕組みだと私は考えています。)ここで王の持っていた立法権は、次第に議会の同意を得なければ通用しないようになり、後には議会が立法権を持つようになります。 さて、統治権を持つ王は自分で政治を行ってもよい訳ですが、自分の家来の中から適当なものを大臣に任命して自分の代わりをさせても良いわけです。ただ、注意しないといけないのは代理の方が権力を持って自分が王位から追われることもあるということですが、そうして任命した大臣たちのまとめ役が総理大臣(首相)であり、その集団を内閣といいます。 ここまで、くだくだと述べて来たのは、三権のうちの内閣(行政)と議会(立法)の成立の由来の違いを知ってもらうためです。裁判権についても、もとは王が持っていましたが、これも専門家にまかせるようになり、公平性という見地から裁判所は独立していきます。 さて、内閣はもともとは王の任命したものでしたから議会とは何の関係もありません。しかし、イギリスにおいて議会の中から首相を選ぶということが始まり、この方が政治がスムーズにいくということが判りました。これが議院内閣制の始まりです。 現代世界では日本やイギリスのように、王(天皇)が形式的にせよいる国とアメリカやフランスのように世襲の王がいない共和制の国とがあります。が、後者では実は選挙によって行政を行う王を選んでいます。それがつまり大統領です。共和制国家では王(大統領)も議会も選挙で選ばれ、それぞれの役割を果たしますから互いに抑制し合う関係であることは分かり易いですが、前者の君主制国家ではその成り立ちの中で、内閣を議会の中から選びます。現代では首相は多数党の指導者が就任することが多いわけですが、これは議会の協力を得やすくし、行政をスムーズに行うという意味があることはお判りであると思います。 結局、本来は王の代理として議会と対立関係にあったはずの首相や内閣が現在では議会の中から選ばれることになり、「国会の支配の下」にあることになります。ただ、内閣は旧来は王の持っていた議会解散権を継承しており、自分の執政方針が議会と対立したときに、これを使って主権者たる国民の意思を直接に問うことができます。 長々と書いてきましたが、政治制度が現在あるような形になるにはそれなりの過程があったわけで、その理解無くして、現にある形の意味を問い、答えるというのでは充分な答えにはならないと思います。また、三権につきましても果たして三権に何と何とを考えるか、また三権で充分であるかなどの問題は残っております。さらに言えば「民主主義」が最善の制度であるかどうかにさえ疑問を差し挟むことができます。今あるものは完成されたものではなく、さらに良い制度があるならばそちらに向けて変革していかなければならないと私は思っております。 最後になりますが、一つの参考書として 長谷川三千子「民主主義とは何なのか」文春新書 をあげておきす。
お礼
長谷川さんの本を読みました。 最初は 平易な文章で読みやすいと思ったのですが、途中 歴史になりかなり速度が遅くなりました。 アメリカの独立憲法の矛盾点(創造主が出てくるくだり)については なるほどなぁと思いました。 民主主義がベストな政治手法であるか という 疑問の以前に 民主主義はなんなのか?を考えていない人が(私を含めて)ほとんどだと思います。 「人が人を治める」「みんな平等」には 自己矛盾をはらんでいて当然かなとも思います。(あまりよくわかってないんですけど)
補足
ご回答ありがとうございます。 えっ 更に苦手な「歴史」も読まねばならないのですね・・・。 なんとなくチョー概要がわかったので 読んでみます。(でも すぐにめげちゃうカモ~) 「基本的に政治とは税の徴収とその分配の仕組みだと私は考えています」には 目からうろこです。すばらしいです。 本も紹介もありがとうございます。探してみます。 ========== 「歴史」はわかんない。「政治」はわかんない。とか 言ってられないんですよね。なんでも 関わって「自分」がいるのだから・・。「学校の授業」「学問」みたいに捉えるんじゃなくて たとえば 「星をみて なんとなく宇宙物理学」みたいな感じで歴史や政治も知らんと。これを学生の時に気づいていたら 人生変わっていたと思います。o O ○
- h13124
- ベストアンサー率29% (172/591)
補足です。 三権分立は、言葉の本来の意味からは、三権平等になりそうです。しかし、国民主権を考えると国会が優位であることは、否定できないと思います。後は、どのくらい権力分立の趣旨を貫徹するかだと思います。 国会は、国民の代表者で構成されるのだから、国会は、民主的であり、国会の優位性を強調し、国会の民主的コントロールを重視する立場に立つと、むしろ議院内閣制を基本とします。内閣は、国会に服従する立場であると考えるわけです。 それに対して、いやいやそうではなく、国会も独走して危ない存在であると考えると、やはり、三権分立を重視する立場になると思います。内閣による国会に対する抑制を期待するわけです。 新しい教科書の話の中の「国会の支配の下にある」というのは、議院内閣制を重視する立場といえるでしょう。特に三権分立との関係を考えて書かれたものではないでしょう。 このような点は、定評ある学者の書いた分厚い体系者といわれるものでも、ほとんどふれていません。何となく三権分立と議院内閣制が出てくる程度です。 なお、遙か昔大学の憲法の先生が、三権分立と議院内閣制は、違うといわれていました。やはり、矛盾するのかもしれません。そこで、両者の調和をはかる解釈をするのに苦労するわけだと思います。普通は、議会の多数派が、内閣を組織するので、矛盾はあまりでないのですが、与党が分裂した場合等解散権の限界などの問題でこの矛盾が吹き出てくると思います。 蛇足になりますが、自由主義と民主主義も以前は矛盾すると政治学上考えられてきました。自由を貫くと平等では無くなります。民主主義は、平等を根拠とします。この矛盾もよく分からない理屈付けで矛盾しないと今では考えられるようになっています。 全く答えになっていなくて、申し訳ありません。少しでも、参考になれば幸いです。
補足
ご回答ありがとうございます。 国会のみが「国民に直接選ばれている」のだから 民意が反映されているということなのですよね。みなさんの解説で もう一度 本を読み直して それが確認できました。何故 「三権分立との考え方とは 矛盾するけれども 現状では これがベスト」とか「三権分立とは 以下の考え方で矛盾しません」などの説明が無いのかなぁと思います。(「分厚い本」には あるのかもしれませんが・・・) たぶん 「国会(議員)が民意の鏡」なら 私は疑問なんかもたないのかも知れません。でも 民意の鏡と感じられないので「三権分立」の言葉とおり「三権平等」でなくてはいけないと感じちゃうんだと思います。 人間の営みを「ひとこと」で表すのは ムリがあるんだと思います。 でも 「ひとこと」で表すのはわかり易いし 悪いことではないと思います。 矛盾は矛盾として認めて、それを少しでも打開できる方向に持って行けるのが人間だと思います。誰も威張ることなく・・・。
- jelliclecats
- ベストアンサー率60% (18/30)
こんばんは。 やっぱ、夜中に書くと過激な表現になりますね。改めて先の回答を読むとこっぱずかしくて冷や汗ものです。不思議なもので夜中に書くと過激になっちゃうんでうすよね。なんでだろ。 さて、なんで政治や憲法に矛盾があるのかってことについて、いくつか補足しておきます。今回もできるだけ分かりやすく書いてみます。 僕は、憲法には2つの価値観があると考えているんです。ひとつは超メジャーです。それは「制限規範としての憲法」つまり、権力を制限して国民の人権を守ろうという価値観。そして、もうひとつは、あまり語られることは無いのですが「権力による国民支配の道具としての憲法」です。ちなみに、聖徳太子の17条の憲法はこちらの価値観にたった憲法です。 最近の憲法は、前者の価値観が強調されすぎているような感じがします。貴方がお読みになった「あたらしい憲法のはなし」にもこのことが強調されていたはずです(ちなみに僕も持っています)。そして、あまりに強調されているため前者の価値観のほうが憲法の本質であると思いがちになるんです。しかし、長い歴史の中で前者の価値観は、ほんの200年ちょっと前にできた新参者に過ぎません。新参者はしょせん新参者でしかないと思うのです。つまり、憲法の本質は後者の価値観のはずなんです。しかし、これをあえて本質は前者であると言う。これこそ憲法学が根本的に抱えている矛盾であり、その矛盾を矛盾でないというために難解な議論にならざるを得ないのではないかと思うのです。 これを例えて言うなら、子供に対して「嘘をついてはいけない」と教えるのに似ていると思うんですね。分別のある大人なら嘘をつくことは、人間関係の上でも、仕事の上でも、円滑に事を進めるために必要であるということを知っています。理想と現実にギャップがあることも知っています。実際、数え切れないくらいの嘘をつきます。でも、だからといって、僕は、子供に対して「嘘をついていい」と教えることには賛成しません。ほとんどの親もそう思うでしょう。それは、嘘はついてはいけないと思いながら嘘をつくことと、嘘をついていいと思いながら嘘をつくことには、大きな違いがあることを知っているからだと思います。 結局、憲法や政治もこれと同じではないかと思うんですね。 僕が前に書いた権力の順番は、現実の順番の意味で書きました。これは憲法の後者の価値観つまり「国民支配の道具」としての価値観からの順番です。事実、裁判所は他の権力と同等ではなくずっと下にあります。だから、違憲判決をしたがらないんです。また、国民支配の道具なのですから、国民がいなくて当然です。これに対して、理想は違いますよね。理想である「人権保障」としての価値観からすれば、図は違うものになります。中心は国民で、その周りに国会、内閣、裁判所が三角形でつながっている図です。三権は対等です。勉強されたということですから見たことがあるはずです。 実際に勉強されたということなので分かると思いますが、憲法や政治の理想と現実には大きなギャップがあります。だからといって「嘘はついていい」と開き直ってはいけないように、憲法は理想に過ぎないんだといって、理想に近づけることを放棄してはいけないような気がするのです。だからこそ、矛盾があると知りつつも、難解にならざるを得ないと知りつつも、現実を理想に近づけようとしているんだと思うんですね。 何かの映画で耳に残っているフレーズがあるんです。「完璧な人なんて1人もいない。でも完璧になろうとする努力をする人は魅力にあふれている」ってフレーズです。また、憲法の前文には「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」っていうフレーズがあります。伝えたいことはどちらも同じではないかと思ってやみません。 長くなりました。分かりにくいですね。ポイントもずれたような気もします。 こんなものでもご参考にしていただければ幸いです。 あっ、あと最後のご質問に対してちょっとだけ。 子供に難しいことを教えることはとても大変です。本当に理解していないと子供にもわかるような言葉で説明できませんからね。でも、それができる大人はとてもステキだと思います。そんな大人になれるようお互いにがんばりましょう。
補足
ご回答ありがとうございます。 あなたほど明確ではありませんが、私も ウスウスそう感じています。 「国」って言う存在が 「守ってくれる」「縛られる(支配下にある)」の二面性を持っていると感じています。と言うか「組織」であれば 「数などでちから」があるのでしょうが、「個々のメンバー全員がまったく同じ意見」ではないので 「あれはいいけど これは我慢」みたいな「妥協」みたいなものが絶対に必要だと思ってます。「多数決」と同時に「少数意見を大事にする」ことなので 矛盾を 人間の智恵で(「妥協」ではなくて)カバーして行くものだと思っています。(逆にそれができるのが人間だと思っています。) 私が感じているのはこの程度です。「勉強」って書いたのはまずかったかも。 小学生向けの本を読んだ程度です。私は「理系だから」なんて理由で政治とかに関心も興味もありませんでした。でも こどもが産まれて 行政が身近になり(学校にあがり更に身近になった) いろいろと考えていると 「政治を知らないことがいけなかったんだ」と思い 小さい頃の分からやり直していると言うところです。 (法務の専門書など読めないですよ。) 以前にも書いたのですが、私も 憲法の前文の最後のところ「国家の名誉にかけて・・・」のフレーズですが、これUSの人たちが国歌を斉唱するときとかの気持ちかと思ってました。でも違うんですよね。でも 日本もそのひとつだったんですよね。本当は「国家の名誉」でなくて「国民の名誉にかけて」だったらサイコーなんですけどね。 最後に「義務」教育は 「国家繁栄のためにある」「民主主義を実行できる大人を育む」の二面性があるのだと最近 思い始めています。こどもたちに「なんで勉強しなければならないの」の問いに 「民主主義・・」と説明しておりますが、高校生くらいになったら「国家繁栄のためでもある」ことも伝えたいです。(義務教育おわっちゃってますけどね) 全然 質問と違う内容になっちゃいましたね。ゴメンナサイ。
- jelliclecats
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こんばんわ。 最近はこういった質問に答えるようなことは無かったのですが、今日は突然書きたくなっちゃいました。とりあえず法律用語は抜きにしてわかりやすく説明してみます。 > 「国会の支配の下にある」って言うくだりが 「三権分立」とうまく理解できません。 理解できなくて当然です。通常の語彙感覚からすれば矛盾しているんですから。これを理解できるという輩は「嘘つき」か「馬鹿」か「法律家」のどれかです。 普通の語彙感覚からすれば、「三権分立」は三つの権力が対等の立場で別れていると考えるのが普通です。しかし、「議院内閣制」は内閣が国会の支配下にあるというのです。対等の立場であるはずなのに、内閣は国会の支配下にあるというのですから、矛盾以外の何物でもありません。小学生でも分かる理屈です。大人のあなたが分からないというのも当然でしょう。 なんでこんなに分けがわからないかというと、本来、対等でないものを「対等だ」と言ってしまったことにあるんです。素直に「対等でない」と言えばよいのですが、「国民の自由と権利を守るための制度が三権分立である」というとっても聴き心地の良いフレーズが使えなくなっちゃいますからね。それはしたくない。で結局、矛盾した概念を矛盾していないと強弁するために「理念としてのモデル」だの「議院内閣制の本質論」だの「原則と例外」だの分けのわからない法律論が出てくるわけです。矛盾したものを矛盾していないと強弁するための理論ですから、分からなくて当然なんです。 いわゆるモデルとしての三権分立は対等ですが、日本での権力構造は次のように書いたほうが正しそうです。少なくとも三権が対等であるとは、どうひいき目にみても言えません。 権力をもっている順に… 財閥系を含む巨大グループ企業のオーナーたち。 ↓ 彼らの親戚である政治家(自民党) ↓ 高級官僚 ↓ 内閣 ↓ ↓ ↓ 野党 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 裁判所 まあ、こんな感じです。 でもこんな現実を指摘することよりも、難しい法律論を振り回して煙に巻いたほうが普通の人には有り難がられるんですよね。法律家として一人前になれるのはまだまだ先のようです
補足
最近 ご回答されてない中 ありがとうございます。 単純にしか理解できない 小学生と同じノーミソの私なので 仕方ないですね。 でも、やはり 矛盾があるようですね。 人間のやることですから、「全部論理的に割り切れていない」とも思います。 小学生に「とりあえず わかりやすく」嘘を教えているって とこでしょうか?? (なんか ガテンが行きませんが・・・) で 申し訳ないのですが 「権力順位図」の中に 憲ポーで 主権と言われている「国民」がないのですが どこかにお忘れでしょうか?? 是非 コメントをお願いいたしまする。 あと 厳しいコメントを戴きそうですが、私のようなレベルの政治の理解では いわゆる「世間知らず」でありましょうか??また 「青臭い」とか・・・。 お手柔らかにお願い致します。
- h13124
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いかに書くのは、あくまで私の見解です。 三権分立は、立法権 行政権 司法権の三権を相互に権力の行使を監視し摩擦を生じさせることにより、権力の乱用を防止する機能を有する制度です。これは、近代市民国家ができたときに、それまでの旧体制が絶対王政の元権力を乱用したことに対して、権力に対する不信感が根底にあります。 これに対して、議院内閣制は、国会と内閣の協同を重視します。これは、現代国家では、国家の果たす役割が増え、(たとえば福祉の分野などがそうですが。)それに応ずるための効率的な制度としての機能を果たすためのものです。 すると三権分立と議院内閣制とは、調和しにくいものといえます。この点今の憲法の解釈として、自由主義的に三権分立を基本と考えると、議院内閣制も三権分立に沿うように考えられます。具体的には、内閣は、国会の解散権を持つのですが、それは、三権分立の相互抑制と言う観点からすると、何らの事油を問わず、解散できることになりやすいです。あくまで、国会と内閣は、相互抑制の均衡関係を基本にするからです。他方、内閣は、行政権の行使に対し国会に責任を負うことで均衡を図っています。 これに対して、現代社会では、国民から選ばれた国会議員で構成する国会が優位に立ち、内閣は、国会に対して責任を負うことを本質とする見解があります。これは、議院内閣制を重視し、三権分立を少し変容する立場です。この見解には、前述したように国家の果たす役割の増大に伴う国家権力の効率的な運営を重視する考えが基本にあると思います。国会の解散権については、この考えでは、内閣の不信任決議案が可決した場合等憲法に解散事由が決められている時のみに、内閣は、国会を解散するという考えになりやすいと思います。もっともこの考えを採る人も国会の解散権について、このように限定する人は、少数です。 少し話が細かくなりました。お尋ねの「国会の支配の下にある」というのは、国会が国権の最高機関とされることによると思います。国民が主権者であり、その国民が選んだ国会議員で構成される国会は、主権者に一番近い立場にいるからです。このことから国会は、国権の最高機関といわれています。ただ、この最高機関性は、具体的に意味を持つのかというと単なる政治的美称にすぎないと言う見解も強く、内閣が国会の支配の下にあるといってもそれだけで内閣が国会に絶対服従する立場にあることを意味するわけではないと思います。 結局、国会と内閣の関係は、議院内閣制と三権分立のどちらを重視するかによって異なる考えになると思います。 全く細かいことばかりを書いて、お尋ねには答えていないようです。この点に関しては、ほとんど書かれている本を知りません。長々と書いてごめんなさいね。
補足
ご回答ありがとうございます。 小学生のこどもの勉強をみながら、親の私も勉強中です。(今更ですが) 「すると三権分立と議院内閣制とは、調和しにくいものといえます。」とのコメント。私の生半可な知識でも 同じように感じております。それで この質問となったのであります。 三権分立 というのは 三権平等とは 違うのでしょうか?? もちろん 「絶対服従」って わけではないとは思います。 小学校レベルの教科書に書いてある 社会の知識では まともに理解できないと言うことでしょうか?? すみません。質問になっちゃいまして・・・。
お礼
そろそろ 〆ます。 みまさま ありがとうございました。 酒飲みながら フツーに喧嘩などせずに 「こんな音楽がいいんだよぉ」みたいに気軽に、少しエキサイトして「阪神がぁぁ」くらいで こういう話ができる相手が欲しいもんです。会社の人やご近所ではなかなかむずかしいです。 ネット上でくらいしかできないなぁ。
補足
ありがとうございます。 芦部さんの本って専門書の類なのですか・・。理系の私が 小学生向けの本から始めて3ヶ月くらいで そんなものを読んじゃうなんて・・。ってことは 内容は理解できなくて良いのですね。(安心) 昨日 「国」ってなんですか?? って goo で質問したら たくさん書き込みがありました。私の理解度が低いので ついて行けなかったのですが 「国」って抽象的すぎてわかりづらいです。 私くらいなのかも知れませんが、「自分の意志を大事にしなければ」と考えながら はっきりとわからない「国」の中でとらわれているとしたら とても自分が情けなくなります。 議院内閣制から興味を持った憲法ですが、「国」(「個人」に対する「国」??)が何かを自分の中でまとめるのがしばらくのテーマのような気がしてきました。 図書館の芦部さんの本がある棚の本を少しずつ読んで行こうと思います。 (いろんな意見の本を読まないと・・・) また わからないことがたくさん出てきますので そしたら gooで 質問します。 よろしかったら その時も お付き合い願います。