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「老後」なんてなければいいのに
と思ったことはありませんか? もしも40歳位で死ぬことができたら(寿命が縮むなり、安楽死を認めるなりして)、辛い正社員の仕事を続けなくてもいいし、無理に結婚なんかする必要もない。 もう疲れてしまいました。「老後」のためにやりたくもない仕事を探すことに。したくもない結婚のために出会いを求めることに。もっと「今」を楽しもうと思ったこともあるけれど、「悲惨な老後への恐怖」が頭を離れてくれないのです。 人生ってこんな風に「老後」に支配されるものなのかなあ。40で死ねると分かったら、残りの10年はやりたいことを思う存分やって幸せに生きられるのに。 もちろん長生きしたい人はすればいい。でも「老後」をなくすことではじめて楽になれる人間もいる。こんなことを考えてしまう私は病気でしょうか。
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病気ではありません。私も同じ考えです。私は44ですからあなたの考えるターニングポイントは過ぎています。結婚もしていないし、10年間フリーで好きな仕事をしていました。健康ですし10歳以上若く見られます。毎週騎士の甲冑を着てバトルをしアメリカ遠征もしました。年々友人が増えフィンランドまで知り合いが出来ました。年賀状は友人だけで130通、仕事関係はその1割にもありません。 もし、結婚して家庭があれば時間もお金も100%自分の思うようには使えません。私がいま充実していると感じる裏には結婚をしなかったという理由が一番大きいでしょう。一人は身が軽くいつでも好きなことが出来ます。アパートに戻っても寂しいと言う事はありません。様々な骨董品に囲まれ満足です。食事も一人ですが(いわゆる孤食というやつです)長年そうなので全然寂しくありません。食器も掃除も一人でさっさとします。もし、これが誰かと一緒であったら飯の炊き方とか掃除の仕方など些細なことがきになり、口に出すかあるいはずっと我慢することになるでしょう。 次に老後の事ですが、私のターニングポイントは60才とみています。 精神、健康、経済、仕事この4つを考えただけでも、若いときとは条件が変わってきます。老後とはこれらがマイナスに傾くことです。長く生きると言う事は多くのリスクも負うことです。痴呆や生活に差し障りのある身体的障害。強い人はそれを克服しますし、それが良いことと「一般的には」いわれます。 多くの人は厳正に老いを考えていません。老い方は人それぞれです。長生きが幸せかどうかわかりません。長生きしても寝たまま10年、経済的負担はあなたの懐だけではなく家族にも重くのしかかり天井を見たままの生活は贔屓目に見ても大学の講義よりも退屈でしょう。 また、老後の経済的問題は文字通り死活問題になります。もらえる年金で生活は出来ません。体が悪くなれば誰かの介助が必要です。自殺しても老衰であっても人の世話=迷惑はおなじです。むしろ、きっぱりと自身でをつけるほうが周囲の負担も少ないのです。 アリとキリギリスですが寓話の中では老後を見据えて地道な生き方をするアリが「正し」くキリギリスは愚か者とされます。私はキリギリスを選びました。私ならこの寓話をこのように変えます。キリギリスはアリを頼らず最後までバイオリンを弾いて飢え死にしました。 一時、生前葬というのがはやりました。私はこれをターニングポイントの1年前に行なうつもりです。 私は臓器バンクに全て登録しました。標本か解剖用の献体でもよかったのですが。
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- anchan1
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私は30代既婚者ですが、両親の姿をみて貴女のようなことをわが身で思いました。(年寄りっ子なので早く介護が来た、更に自営業だったのと離婚してるのであっちもこっちもで大変・・・) 更に他人から頼られまくって疲れた時期もありました。 人間、先が見えない時(希望的観測もない)、期限設定がないものが一番恐いのです。 すみません、回答になってしませんね。 ですが、言いたいことは・・・・決して病気じゃないと思いますよ。 同じように思い悩んでいるものもいるということです。 >もちろん長生きしたい人はすればいい。でも「老後」をなくすことではじめて楽になれる人間もいる。 私はこの考えに同意です。 長生きすればいいものではない、精一杯本人らしく生きればいい。 ですが本人がどう思うと ”寿命”というものがあるのでそこが難しいところですね。 ※ちなみにNo.7,8さんの意見になるほどと思いました。
お礼
回答ありがとうございます。 介護のこともこんな風に考えてしまう一因でした。伯母が祖母の介護のために10年以上自分を犠牲にせざるを得なかったので。今の社会システム(経済や家族のあり方など)では全ての人間が寿命を全うするには無理がある。そんな中で「長生きへの恐怖」が人が自分らしく生きることの障害となるのなら、それを放棄するという選択肢もあっていいのではないかと思うのです。もちろん「生への本能」がなかなかそれを実行させてはくれないかもしれませんが、多くの人の精神安定剤にはなるような気がします。現実的でないのは百も承知ですが…。
- ri-zyu
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苦しいのは貴女だけじゃないから。 ゆっくり あせらず あなたの歩幅で 少しずつ 歩いていきましょう。 大丈夫何とかなるよ。
お礼
優しい励まし、ありがとうございます。 そういう風に自らを鼓舞して辛い人生を歩んできたけれど、もう本当にダメみたい…。私ほど苦しい人なんていないと思う。すみません、こんなところでしか弱音を吐けなくて。
- ri-zyu
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こんにちは。 悩やまなれば成らない事だけ悩んでください。 あなた悩まなくていいとこまで悩んでいるよ。 仕事の事悩んだらいいじゃないですか、生活しなければなりませんからとことん悩めば。 結婚30歳位だったら少しは考えますよね。別に30ならまだ深刻にに悩まなくても(わたしの知人で40歳で医者になった人がいるよ)あまりに30だから結婚て、決めすぎで、悩みすぎ。 まだ30でしょ老後考えるの早いよ。年取るまで生きてるとは限らないじゃないですか。 先の事は誰にもわからないよ。 悩むべき事だけ悩みましょう。
お礼
回答ありがとうございます。 女が一生続けられる仕事なんてこれから就くのは無理だと思いますし、結婚に逃げようにも重度の男嫌いが治らないのでどうしようもなく…。あと数年のうちにどちらかをどうにかしない限り、私の老後はホームレスだと思うと怖くて怖くて何も手につかないのです。それまで生きてるとは限らないけれど、丈夫だからきっと死ねないだろうな。
動物は好きですか? 老いたらどうしよう、死んだらどうしよう、という風に、考えながら生きているでしょうか? 植物はどうでしょう。 老いたらどうしよう、枯れたらどうしよう、と思って、冬に葉を落とし、春に芽吹き、夏に花咲き、秋に実るのでしょうか? この世は何が起こるかわかりません。わかりませんが、どう生きるのかは、分かり得ることです。 同じくこの世についても、どう在るのかは、分かり得ることです。 地球も太陽の周りをぐるぐる回っていますが、それがずっと、という訳ではありません。 太陽も、銀河系を回っていますが、それもずっとじゃない。 あなたも、地球や太陽と同じように生きていますが、ずっとじゃない。 ずっとじゃないが、地球も、太陽も、周っています。植物も季節を巡っているし、動物も、毎日を巡っています。 ずっとではないが、そうなのです。 あなたもそうではないでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。 確かにこの世は何が起こるかわかりません。でもこの現代社会ではかなりの確率で長生きしてしまうし、「備え」がなければ悲惨な老後が待っていることは間違いない。動植物のように、動けなくなったら自然に土に還っていけるとしたらどんなに気が楽でしょうね。
<老いを持ち出すは「敗北の論理」> 「老いの負の側面」について悩むことは、全く、無意味な思索です。 皆、生まれた瞬間から老いという不治の病にかかっているようなものです。 病状が進行すれば、ボケも始まります。 病状が進行すれば、足腰も弱ります。 これは、自然の摂理です。 ***** ただし、質問者の論理は常識的ではありません。 40歳で死ぬことが判っている人生は死刑囚並の人生です。 通常の人間は、そう思うでしょう。 ***** それに、質問者の論理には飛躍があります。 目の前の現実から逃避する厭世的な見方を表明されています。 そのことと、「老いの負の側面」との間には何の論理的な関係を見ることができません。 ***** 「どうせ、あくせく働いても、いずれは老後が待っている。」 「結局は、老後の安定のために働いているのではないか?」 「日々の生活のため、老後の安定のため、皆様は、どちらに軸足を置いていますか?」 という質問であれば、多少、論理が明確になるのですが... 例え、こういう質問であっても、論理の飛躍は明らかです。 ***** ここで、「馬鹿な質問をしやがって!」という回答を得れば、カチンとくるでしょう。 いずれにしろ、質問者の老後への思いは、目の前の現実との関わりの反映でしかありません。 目の前の現実との処し方を、老後を持ち出すことで様々に合理化する試みは、「敗北の論理」以外の何物でもありません。 現実と向き合うことを勧めておきます。
お礼
回答ありがとうございます。 自然の摂理としての「老い」そのものに悩んでいるのではありません。今の日本の現状として貯蓄や家族のない人には「悲惨な老後」が待っているのは確かであり、それを避けるために心身を病むまで働いたり好きでもない相手と結婚する人は少なくないはず。そんな生活に疲れて、「悲惨な老後」が必ず避けられるとしたら(つまり安楽死などが認められたら)どんなに安心だろうと考えても不思議ではないと思うのです。確かに現実逃避の面があることは認めますが。
- Elim03
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いや、正しい価値観だと思いますよ。現時点では。 現役時代にはつらくても、老後には無条件でバラ色の未来が待っている・・・と思わせるのは、ある意味、政府の義務です。 それによって、誰もが無目的に過剰に貯蓄する必要性がなくなり、全体としての消費支出が増加し、消費税を上昇させても困る人間も事実上居なくなり、税の増収によって福祉予算を増やすことができ、これによって老人層の支出も増え、経済が活性化する・・・というのは、初歩的な経済学を知っていれば、誰にでもわかることです。 一粒の経済学者である現総務大臣さんが、これを知らないはずがありません。 ところが、これまでの歴代政権は、現行の年金改革については多数の老人層の反対票を恐れ、消費税の増税については現役世代の反対票を恐れ、結局問題を先送りにしたまま、不安要素をあおるばかりです。 これは、民主主義最大の欠点ですので(暴君の登場を抑制出来るが、bestな善政も行われない。)、政権自体の責任とも言えませんが、困ったことです。 なので、老後の貯蓄や年金支給額にこだわらねばならないが為に、現役世代が限界を超えて無理をしなければならなくなるのも、困った現象です。 完全な福祉国家の形態へ移行するまでは、この問題はなくなりませんし、それまではあなたのような考えに陥る人が増えるのも当然で、あなたが病気なのではありません。 病気なのは、日本國です。
お礼
回答ありがとうございます。 メンタルな視点でばかり考えていたので新鮮なご意見でした。私個人の問題はもちろんありますが、言われてみれば社会の問題でもあるんですよね。バラ色とまでは行かなくても全ての国民に人間らしい老後が保障されれば、もっと明るく行動的になれるのは私だけではないと思います。
- timeup
- ベストアンサー率30% (3827/12654)
>でも「老後」をなくすことではじめて楽になれる人間もいる ⇒自然のままの生活なら、せいぜい30年です。文明的な環境にいるから其処から寿命が延びるのです。 山の中へでも入り、野菜でも作って生活すればその程度で死ねます。 今、地方の不動産は安いところは沢山ありますから、探してみるとよいですよ。 インターのそばでも田舎だと、本人でも迷う程度の大きさで都会のマンションの数分の一の値段の土地もあります。 そこで、その山の木を切って、小屋を作れば暮らせますしね。 >こんなことを考えてしまう私は病気でしょうか。 長生きが幸せなのかどうかは、人次第ですし、そういう考え方も合ってもよいとは思いますが、 いろいろ考える前に、一回病院で内分泌系統の検査を受けてみるのがよいですよ。 ほんのひとつ二つの内分泌の異常でそうなる人は多いですから。 治療したら、まったく別人になる可能性もありますから、一度行って見るのがよいでしょう。 ほかの考えはその後でいいではないですか。(^_-)-☆ >40歳位で死ぬことができたら ⇒そういう考えからだと思いますが、それを自分で選んで、自殺しているひとも居ますね。 ただ、太く短くなんて若いときにはいきがっていても、いざ病気などで仕方なく・・・だと、そのときになって、死神に命乞いするひとって多いですけどね。(^_^;) これは、なるべく自殺させないために、先天的に心に組み込まれて設計されているもののようです。
お礼
回答ありがとうございます。 う~ん、ちょっと違います。自給自足のような生活ができる根性があるなら初めからこんな質問はしていません。私が恐れているのは近い将来に今の生活(貧乏ながらも文化的な生活)ができなくなることであり、その恐怖からの圧迫が苦しくてならないのですから。 「40歳で死にたい」ということではないのです。もしも人間としての尊厳を欠いた生活を強いられることになった時(私の場合このまま行けば40歳位でそうなる可能性が高い)、安楽死などを認めてもらえるのならどんなに今精神的に楽になれるだろう、ということなのです(もちろん現実的にそんなことが許されるとは思っていませんが)。
- russy1
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老後というのは今のことなのではないですか。今は悲惨ではないのでしょうか。又生きている事にあまり大きな期待をしすぎることも誤りだと思います。いずれ死ぬわけですから生きている時は生きている方が自然なのではないでしょうか。将来の為の苦労とた楽しむ為の今を決まり文句のように並べるのはまずいように思います。今は楽しむ為にあるのならば将来もそうであるべきで、やはり今しかないのではないでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。 今の生活自体はどうしても死にたいほど悲惨なわけではありません。でも将来のためにしなくてはならないこと(ちゃんとした仕事探しや結婚)が重くのしかかって苦しくて仕方がないのです。このままでは「いずれ死ぬ」まで期間、人間としての尊厳を保った生活ができない可能性が高いから。
>「悲惨な、、、」 ・悲惨な事を考えるから、貴方の人生は悲惨になってくるのですよ。 病気では無いですよ。「考え方」ですよ。 人間は不思議なもので、自分で自分自身にマインドコントロールをかけてしまう生き物なのです。それによって、自分自身の可能性をも、不可能にしてしまう。 悲惨な事を想えば、その悲惨な事が機軸となって、より悲惨な考えを起こし、悲惨に向かい行動してしまうのですよ。結果、悲惨な事しか起きない。だから、余計に悲惨になる。 悪循環でしょ!! だったら先ずは、善循環(こんな言葉あるのかな~?)に思考モードを換えましょうよ。 それで、幸せな老後を迎え、安らかに永眠りましょうよ。
お礼
回答ありがとうございます。 よくそういう風に言われますよね。私もどれだけ努力したか分からない。でも本当に難しいことです。
- satotu-a
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なぜ、10年後なのですか?今終わってはだめなんですか?だったら、やりたいことをやって10年後になっても後10年と言うでしょう。またその10年後になっても・・・と人生そんなものでしょう。 10年たてば結婚してるかもしれません。子供がいるかもしれません。それでも死ねますか?死ねないと思います。あなたは「自分が一人で生きている」と思っていませんか?誰かに必要とされ、誰かを必要としているのなら生きることに意味はあると思います。頑張れると思います。まずは誰かを頼って、頼られる存在になってみましょう。
お礼
回答ありがとうございます。 もちろん今終わるのは望むところなのですが、自殺しない限りそうもいかないでしょう。あと10年というのはとりあえず健康で働く場所もある、つまり私が今のままでも人間らしい生活をできるであろうタイムリミットなのです。 結婚なんてしたくない。子供なんていりません。もう人に頼られるのはまっぴらなんです。…下らないことを言って申し訳ありません。
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お礼
回答ありがとうございます。 ご意見、大変参考になりました。私は女なので、「キリギリス」として生きるのは男性である回答者様の何倍も難しいと思います(経済的にも精神的にも)。ターニングポイントもずっと早くなるでしょう。でもそれしか私の生きる道はないのかもしれませんね。