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もう一つの地球

全く同じ条件でもう一つの地球が出来たら何億年後かにはもう一人の私は存在するのでしょうか?もしくは私と同じ100パーセントの遺伝子と環境があったら全く同じ人間ができるのでしょうか?

みんなの回答

回答No.10

双子でまったく同じ遺伝子でも環境によって別人になります。地球の場合、宇宙全体から素粒子までまったく同じ状態でほかから影響をうけないならば同じように、地球の世界もまたまったく同じになるでしょう。素粒子にも自由に振舞えないのですから。その場合、ありえるのは宇宙が何千億年後かに終焉して、宇宙が発生して、まったく同じ宇宙として繰り返すとういことが考えられます。またまったく別の宇宙の発生もありえます。現代の宇宙物理学では、宇宙が、無数に発生していたり、別の宇宙もまた存在するとか・・。その場合、われわれの宇宙とまったく同じ宇宙が時間差で存在するとか・・。 同じことを繰り返すという宇宙的規模での永劫回帰の説です。ニーチェはこのことの啓示を受けて、「ツアラツストラ・・」の本を書きました。本気で信じると気が狂うかも。だって証明できないし。仮に物理学で証明されたり、仮説として可能性ありと論じられても、信じられないですね。でも自分の存在が死で終わるのではなく、宇宙がもう一度発生したとき、自分がもう一度この世に出現できるなんて、夢のような話ですね。ああ、でも失恋や、事業の失敗も繰り返し・・。人生を肯定的にとらえるなら。永劫回帰はうれしい。でもこんな人生二度と繰り返したくないなら、永劫回帰じゃなく回帰してもとこかで変幻してゆく自由がほしいな。永劫回帰は説として昔からいろいろあるのだけど、宗教として成立しないのは何故でしょう。神様なら宗教として成立するのに、仏教でもあの世とか・・。永劫回帰を唱える人がでてきても狂人と思われるのかな?不思議です。

  • shull
  • ベストアンサー率0% (0/0)
回答No.9

私はどちらかと言えば、あり得ると思います。 全く同じ条件で同じ用に進化したら、もしかしたら、自分と同じDNAを持った人間が生まれるかも知れませんね。 だけど、少しでも違ったら全く違う人になるので、難しいところだと考えます。 もし会えるならあってみたいかもしれません。

  • hitomura
  • ベストアンサー率48% (325/664)
回答No.8

今までの議論とはまるで関係ないのですが… >もしくは私と同じ100パーセントの遺伝子と環境があったら全く同じ人間ができるのでしょうか? という部分を見て、「ブラジルから来た少年」という映画を思い出してしまった… (あらすじは参考URLにあるとおりです)

参考URL:
http://homepage2.nifty.com/e-tedukuri/THE%20BOYS%20FROM%20BRAZIL.htm
noname#1753
noname#1753
回答No.7

うーん。オレほどカッコイイ男が、過去にもう一人存在したなんて信じ難いなー。 僕も量子論に大賛成です。 科学者は数学が成立しなくなるので量子論を嫌いますが、科学者ではない僕は完全な無からポコッと新しい物質が生まれるのは歓迎します。 僕はサイコロを振るのが大好き(ギャンブル好き)なのですが、結果の分からないものに対するドキドキ感は辞められません。 きっと真面目そうな神も実はサイコロを振るのが好きなのではないだろうか。 宇宙は数学で割りきれるほど厳密なものではなく、遊びのある、余裕のある造りをしていると信じてます。 過去に地球とそっくりな星があり、自分とそっくりな人がいた可能性は十分考えられますが、その事で自分の運命がキチッと決まっているなんて残念と言うしかありません。 怖い話になりますが、もし自分の未来がはっきり分かってしまったならば、人は生きていく意欲を保つことができるのであろうか。 (世にも奇妙な物語のシナリオが書けそうですね)

回答No.6

私は、骨の髄まで、非決定論者です。(わら 宇宙誕生の瞬間だけ神がサイコロを振って後はサイコロを振らないと言う不自然な考えには疑問を感じます。振るのか、振らないのかはっきりしろと神に言いたい。 もし、最初から振らないと言うのであれば、どうやって宇宙を誕生させたのかと聞いてみたいたいです。 ちなみに、量子論が決定論なのか非決定論なのかは私はよく理解していませんが、 量子論では質問の前提である「全く同じ条件」自体を否定しています。

  • jun1038
  • ベストアンサー率49% (138/278)
回答No.5

こんばんは。 私は、骨の髄まで、決定論者です。 この宇宙がビッグバン(ホントはそれ以前もありましたが)から始まり、 すべての素粒子がどの方向にどの速さで動きだしたか決まった瞬間に、 宇宙のその後の運命はすべて決定された、と考えています。 私が今こうやってコンピュータに向かっていることも、 WTCビルに飛行機がつっこんだことも、 そして明日起こるさまざまなことも、 すべては数百億年前に決定していたと思っています。 歴史というのは、もうすでに書かれている分厚い一冊の本を 順番に読んでいくようなものだと思っているのです。 (決してフライングして未来の部分を読むことはできませんが) 「神はサイコロを振らない」のです。 もしくは、手をはなれたサイコロは、もし、その方向、スピード、 サイコロ自身の回転の様子、机の面の状態、サイコロと机の反発係数、 あるいは空気の分子の1つ1つの運動のようす などなど・・が、 すべて分かれば、目が出る前に何の目がでるか計算して分かるはず だと考えます。(実際はそんな計算は無理でしょうけど) でも、このような考えは、現在の自然科学の世界では異端に属するようです。 私は量子力学はまったく詳しくないのですが、どうやら量子力学的には まったくおなじ原因から異なった結果がでることがあるそうです。 (確率論的な議論しかできないということです) 量子力学では、「神はサイコロを振る」のです。 初期条件をすべて全く、原子や分子に至るまで同じにすれば、 私の考えでは結果は同じになります。 同じ地球から、まったく同じアナタが生まれます。 まったく同じDNA、 そしてまったく同じ環境  (もうすでにアナタが忘れてしまった遠い日の   ちょっとした木の葉のざわめきまでいっしょなら) なら、同じ人間が生まれます。 (現実には不可能でしょうけどね) でも、現代の主流の考えでは、 似たようなものができても、全く同じものができるわけではないと 考えられているようです。 では。

hide120
質問者

お礼

回答ありがとうございます。運命は私もこの疑問を考えるようになってから、あると考えるようになりました。私見ですが今起きてる出来事すべてが過去との連結があるからこそ起きてるわけですから、極端な話宇宙規模のすべての因果関係さえ分かれば未来も読めるような気がします。 ひょっとしたらNO4の方が理論的に説明してくれてるかもしれないですけど。

  • starflora
  • ベストアンサー率61% (647/1050)
回答No.4

    この問題については、実は答えがあるのです。     人間の考えることは、数百年・数千年にわたって一種のパターンがあるのですね。哲学のなかで、形而上学的問題のパターンは、数がほぼ決まっていることが経験的に分かっており、それに対する解答のパターンも大体分かっています。無論、これは「経験的」に知られている限りです。     この種類の問題は、表現の仕方で、まずありえないという解答になるのが普通なのですが、今回の質問の形は、「それはありえる」という答えになります。     これは実は、いまから二千年以上前に既に論じられた哲学的問題なのです。ここで重要なことは、「全く同じ条件でもう一つの地球が出来たら何億年後かには」という条件設定がされていることです。この条件のなかには、「有限の時間限定」が入っていないのです。これは非常に重要なことなのです。また仮に、「時間限定条件」が入っていても、哲学的には、この答えは、「しかり」なのです。つまり、「無限の時間」のなかでは、何でも起こり、ニーチェの永劫回帰も実現されるのです。     世界や宇宙の存在性や実在性やその属性・本質に関する考察は、基本的に形而上学に属し、蓋然的法則しか立てることのできない科学や経験は、このような問題には馴染まないのです。     「無限の時間」を考えなくとも、存在の世界が、壮大な形而上学的反射構造とか、世界のミラリング構造だとか、全能なる、あるいは人間の知性や理解力を超えた意味での全能性を備える神の創造や計画での世界存立などを考えれば、同じものができないという根拠の方が、どこにもなくなります。量子力学的偶然選択から、それはありえない、と言っても、量子力学の偶然法則の底には、別の何かがあるはずです。底にあるのか遙か上にあるのかは分かりませんが、「我々の理性は、存在の真の構造について、何か断言できるようにはなっていない」のです(純粋理性の限界ともカントは言います。アンティノミーでカントは、限界性を表現しました)。     貴方の存在全体を、全能あるいは、全能としか考え難い「神」が、すべて把握し、存在性と本質性の瞬間ごとの付与を行っているのが世界の真の姿なら、「神」は、まったく同じ貴方を、明日にでも、あさってにも、銀河中、何億とでも再現し、創造できるでしょう。     科学は、人間の理性が、確認でき検証できる領域の事象を対象として扱うのです。この質問は、科学のそのような対象規定を超えているのです。科学は形而上学的問題に関わるのを止めましたが、それは、形而上学が間違っているとかナンセンスだというのではなく、形而上学の問題は、理性によって、真偽が検証できないし確認できないからです。     わたしは、存在世界の、「神」あるいは、何かそれに類似した超越機構の投射あるいは、ミラリングの方が妥当性があると考えています。「理性」は、秩序と「了解」を求めるものであれば、存在の基底構造あるいは準基底構造は、無秩序であるというより、秩序があると考えるのが妥当だからです。これは「信仰ではなく」、形而上学的問いに対する「理性の理性的回答」なのです。最大の根拠は、現に、「秩序あるこのいまの存在世界が存在する」ということです。(もっと長い説明を書きましたが、長くなり過ぎるので、短くしました。なお、これは、「宗教的独断」とは「質の異なる」回答です)。  

hide120
質問者

お礼

回答ありがとうございます。勉強不足でいまいち理解できません。本当に申し訳ありません。勉強して出直します。

  • poor_Quark
  • ベストアンサー率56% (1020/1799)
回答No.3

 興味深いご質問ですね。私見ですが、少し書かせてください。  まず、何億年後に全く同じ条件はないはずです。真偽のほどは不明ですが、この銀河系が近くの銀河と衝突するという話を聞いたことがあります。また、太陽活動も大きな変化を遂げているかも知れません。地球内部にも変化要因はあります。  地球生物はこの5億年余りのあいだに、わかっているだけでも5回の一斉絶滅を経験しており、人類も1億年を待たずに、地球上から消滅(地球そのもの50億年後にはなくなるとか)するでしょうし、そのあと文明を構築できるだけの生命進化が起こるのかどうかは、全く不明です。人類と同レベルの進化を遂げた生き物が出現して文明を築いたとしても、全く別物と考えざるを得ないと思います。  さらにもしも再び、現人類と同一種が地球上に出現して、進化をとげ全く同じ文明を築いたとしても、全く同じ人間ができることはないでしょう。歴史上の成り行きは無数の偶然によって成り立っており、さらにもし同一の遺伝子の人間が偶然に生まれたとしても社会環境は違うので同じ人生を歩むことはないと思います。  また、もし同一の社会環境に同一の遺伝子を持った人間が現れたとしても、全く同じ人生は歩まないでしょうし、さらにもし全く同じ人生を送ったとしても、自我意識は数億年前の今の自分と連続することはないので、検証は不可能といことになり、議論そのものが無意味だというつまらない結論になりそうです。  人類がスターウォーズやスタートレックのように宇宙文明を築いて生き残るといいのですが、環境・食料・エネルギー・人口問題・地域(民族)紛争等によって種としての自然寿命すら待たずして絶滅することは、どうも確実なようです。  でも、この議論が発展して、私の認識が覆されることを、実は密かに期待しています。

hide120
質問者

お礼

回答ありがとうございます。種としての自然寿命をまたずして絶滅するなんて悲しいですね。でもそれ自体が自然寿命のような気がします。人間が環境破壊をするけれど人間自体が自然の一部だと考えると破壊は自然淘汰と考えられます。それと似てますね。 いろんな要素の上、結論はありえないという事ですが申し分けありません。NO2の方の意見を私は言いたかった。説明不足です。すみません。

  • parts
  • ベストアンサー率62% (6366/10151)
回答No.2

Q/全く同じ条件でもう一つの地球が出来たら何億年後かにはもう一人の私は存在するのでしょうか? A/そうですね。可能性はありますよ。例えば同じ時間、同じ条件、同じ宇宙の密度、接触する隕石や大気成分、生命誕生のメカニズムなども100%一致していれば可能性がないとはいえません。 Q/私と同じ100パーセントの遺伝子と環境があったら全く同じ人間ができるのでしょうか? A/全くですか、生活も会う人も行うことも全て同じで全く同じ遺伝子であれば、同じ人生を歩むでしょう。 たとえば、今私がここに投稿していますが、次に全く同じ時間と日付に(2001年12月24日の10時30分)同じことをするような存在であれば全く同じですよね。 そのようにさせる環境(人との関係、世界観、身の回りで起こる事件)全てが一緒であれば間違いなく同じになるでしょう。 ここで、大事なのは遺伝子なども大事ですが、つながりが最も大事になります。親はもちろん通りすがる人見ず知らずではあるが一瞬でも視覚に入った人物も人生を変えます。 性格を築くのは自分ではないです。 生まれたときは何も入っていないコップで器にすぎません。それを形成するのがつながりです。人とつながり触れあうことで性格、動作、日常に至るまで全て変わります。 双子が同じ性格にならないことがあるのはそこです。 経験が増えて、あのときあの人と会えば、こうなる。しかし合わなければ性格も変わるかもしれません。 コップの中に水を並々注ぐか、それとも少しだけか、お茶を注ぐかそれによって我々の人生は変わりますからね。 ただ、全く同じ生活時間で構成されれば性格も動作も同じになるのです。 だから、可能性はごくごくごくごくわずかですが否定はできないと言うことになります。 自然界では難しいと考えるのが妥当です。 ここであなたが、質問しなければまた別の人生が・・・ということもあるのです。もし同じ自分が別の星の別の世で存在するなら同じ質問に回答したり答えたりしているはずです。これは、あくまで私の考えですが・・・

hide120
質問者

お礼

回答ありがとうございます。言葉足らずの質問でズバリ私の真意を汲み取って頂いて感謝します。 あなたの言うように今私がこうしてPCに向かっているのも自分の意志ではあるけれども今まで生きてきたプロセスによって決まってるというか・・。導かれたというか・・。まるで1+1=2のように・・・。私は「意思」とは自分がコントロールしているものという解釈だったのですが「意思」を形成するのはあくまで自分ではないという前提で考えますと私は自分が自分でないような気がします。 あえて言うなら意思について考えると自分にではなく私に起こる偶然という現象の中に意思があるような気がします。 石ころと私の違いは言うまでもなく「意思」だと思います。が地球の始まりにおいて、今あるすべての物質は同じようなものだと聞いてます(元素レベル)。私は自分とは?という疑問を以上の事をふまえて考えると「石ころも俺も同じだ」と理屈ではなく心で感じます。何か質問者が質問と反れているようですみません。

noname#1758
noname#1758
回答No.1

結局、今のクローン人間の問題と同じ事でしょう。 良く、SFの世界でのテーマで、クローン人間が扱われたりしますが、大抵が自分そっくり(当たり前だっちゅーの)の存在が恐怖の対象になったりしますよね。 また、遺伝子操作でアドルフ・ヒトラーの復活であるとか。 確かに、クローン発生したクローン人間の人格権・生存権などの問題はあるでしょうが、クローン人間がクローン元の人間と同じ人間となるのでしょうか? 答えは否です。 遺伝子レベルで同じでも、その後の環境・教育・人間関係(環境の一部)などで、まったく違う人間になってしまいます。 例えば、一卵性双生児は遺伝子レベルでは、まったく同じ人間ですが、成長後には、考え方や嗜好などが、正反対の人物になる事は、良くある事ですよね。 ですから、ヒトラーが遺伝子操作で生まれてきても、悪名高きヒトラーにはなる事が出来ないのです。 つまり、あなたのご質問の答えとしては、 「かにはもう一人の私は存在するのでしょうか?」は否です。 「私と同じ100パーセントの遺伝子と環境があったら全く同じ人間ができるのでしょうか?」は否です。

hide120
質問者

お礼

回答ありがとうございます。環境について双子の話がありますが確かに「同じ親元で育てられたら二人は同じ環境だった」という解釈もできますが私はNO2の方の回答のように一瞬の出来事に対してまでを含めて100パーセントの環境と言いたかったのです。せっかくご回答頂いたのに私の言葉足らずで申し訳ありません。クローン問題は全く同感です。ありがとうございました。

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