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死ぬ事は怖いですか?
こんにちは。23歳OLです。 先日、会社の人と「死ぬ事」について、話し合いをしました。人間には誰にでも平等にやってくる「死」。 私は小学生の頃、花の高校生活が遠い夢のように感じ、実際に高校生となりました。また、高校生の時は想像もできなかった社会人としての生活。今はその社会人になり、日々過ごしています。そんな風に、死も今の自分にとっては、遠い夢のような話で、実感としてつかめていませんが、いつかは必ず訪れるものです。小学生が高校生になるように、高校生が社会人になるように、想像を超える早さで迫ってくるでしょう。。 そんな風に、「死」が現実的に感じられるとき、私は恐怖を覚えます。思考することもできず、感じることもできず、「無」になってしまう恐怖。いつかは世の中から忘れられてしまう恐怖。 ちなみに、会社の同僚や上司は死ぬのは怖くないと言っていました。人間は平等に死んでいくのだから、一日一日を後悔なく過ごせば死は全然怖くないと。。 そこで、皆さんのご意見をお聞かせください。 死ぬのは怖いですか? (ここでは親や家族の死ではなく、ご自身の死について、教えてください)
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私は幼少の頃に死に対して計り知れないほどの恐怖心を抱いていたことを覚えています。しかし、成長し将来の自分の姿がある程度想像できるようになった今はそれほど死に対して恐怖を抱くことはありません。おそらく、幾多の挫折を経験して自分の能力の限界や社会の厳しさなどがわかり、それによって幼少の頃抱いていた希望が薄れつつあるからだと思います。死ぬのが怖くないのは希望が無いのと同じだと思います。諸行無常という言葉があるように永遠に同じ場所に留まることはないのですから、いつまでも、何歳になっても、希望を持ち続けて毎日を楽しく過ごせれば幸せだなと思います。私の好きな名言があるので紹介しときます。 人生とは今日一日のことである (デール・カーネギー)
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- 481961
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私も死に対して恐怖を感じます。人間なら誰でも怖いでしょう。確かに「無」になってしまうと考えると怖いです。しかしほんとうに「無」になるのでしょうか?人が死を恐れるのは、死の先に何があるか分からないからではないでしょうか。例えば真っ暗な部屋があるとします。ここに入ることはほとんどの人が怖いと感じるでしょう。なぜならその先に何があるか分からないからです。しかし明かりをつければ何ってことはありません。「死」はまだ明かりがついていないだけであり。「きっと何かが、楽しいことが待っている。」こう考えると楽かもしれませんよ。とにかくたった一度の人生です。死を恐れるより今を楽しみましょう(^。^)
- yamiyo
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#9です。 愛別離苦。 死は人の一生の中で避けては通れない辛く悲しいものです。 しかし私はその時が来たら、その悲しい死に自分自身が溺れることなく、自分のまわりの自分を支えてくださった方々に感謝の気持ちを持って死ねると思います。 同時に『私は悲しくないから、どうか悲しまないで』と伝えたいですね。 それだけいい人生を送れていると自分では思っているから。。。 また、死後に残すことになる愛する家族も、私の死を乗越えることで心の痛みの分かる優しい人間に成長していくのだと信じています。 そうやって人は皆、生きていくのですからね。 『死ぬのは自分だけじゃない』 (まだ締め切られていないので再度来てしまいました)
- michael-m
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死ぬの、怖いですよ。怖くて当然だと思います。 死ぬのが怖くないなんていう人は、死ぬと思っていないんじゃないでしょうか?死ぬ事は知っていても遥かに遠い将来だと思っているんだと思います。 人によって違うのかもしれませんが… 突然にフッと意識を失ったり、即死状態ならきっと怖いと思う間もないのでしょうが、 チョットでも意識があると、(と言うより実際は1秒か2秒の短い時間ですが)無性に悲しく、涙が出てきます。最も会いたい人の顔が浮かんだり、申し訳ないという気持ちが火山の噴火のようにいっぺんに噴出します。 そして、真っ暗な中に吸い込まれていきます。 私の場合は幸いな事に病院内だったからか、気がつくときはパッと意識が戻りました。それ以来、死ぬのが更に怖くなりました。恐ろしいと言うより、あのような深い悲しみは二度としたくないです。
- Misaki-27
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今なら怖くないって言えるかな。何か、どんなにあがいても、死ぬ時は死ぬんだって 半ば諦めみたいな感じではあります。でも死にたいって訳ではないですよ。 去年なんかは、本当に死ぬ事が怖かったです。昨年、うちの老猫が永眠した訳ですが、 その前の危篤の状態から、「この子が居なくなったら」って思いが募り、 何も考えられない状態が続きました。心の空白部分が全て恐怖に変わりました。 他人の死・自分の死、ぞちらも切っても切れない存在になりました。 現実を直視する事で、死の恐怖は増大する物だと思います。そして、 そのあがきを長い期間続ける事によって、神経のどこかが消えるみたいに、 全く恐怖を感じなくなります。これは、人間の持つ独特のパワーでは無いでしょうか? 意識しなければ、特に感じない死の連想。しかし、意識してしまえば、 極限まで恐怖が与えられる。そして、本当に限界と言う所まで神経が張り詰めると、 無の感情が生まれる。そうやって、生と死のバランスを上手く保ってる様に感じます。
- taramon
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死に対して恐怖を感じられるのは、今まで人生を大切に満足して過ごしてこられた証ではないでしょうか。 私は今までずっと生きていて、「明日あなたは死ぬよ」と誰かに告知されたとしても「了解」って感じでした。 なぜなら、自分の人生に価値を見出していなかったからです。 別にウツではないので<死にたい>という考えは一切持ったことはありませんが。 死んで自分が忘れられていくこと・思考や思い出がリセットされること・目標が果たせなくなること・良い思いができなくなること・好きな人達と別れること、、などは恐いと感じていませんでした。そんなに良い人生でもなかったからかもそれません。 でも今は死にたくない、というか死ねないです。 愛するもの、守りたいもの、見届けたいもの、が見つかったので。 私が守らないで誰が守る、できるだけ長く見届けたい、という強迫観念で死んでなどいられないです。
- parts
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死を恐れるのは当然です。どんなに気丈で死は怖くも何ともないと思っていても、その瞬間に恐怖を感じてしまう人は多くいます。逆に、死を怖いと思っていた人でも、死ぬときには安らかに逝けるかもしれません。私は、仕事で何人かのその瞬間を見たことがありますが・・・怖くないという人は、状況によって悲しみ苦しむと考えます。逆もあります。 死は誰にも平等に訪れるがその瞬間は、平等ではなく人に看取られることもない人、突然の災害や事件事故に巻き込まれ恐怖の中で亡くなる人、家族に最後を看取られる人、眠るように亡くなる人と様々です。 一番人々が深層で恐れるのは死ではなく、死に際です。一昨年ですかね解夏という映画とドラマがありました。主人公の青年が病で盲目になっていく様を描いたものです。そこで、失うまでの苦しみが描かれています。しかし、失うと今度は失うという恐怖から解放されます。 人が恐れるのはそこにあります。生きているという前提の元で物事を考えるから、怖いのです。死んでしまった瞬間から先をしらないから、仮にもしその先が自分の一番楽しいことやりたいことを沢山出来る世界に繋がっているという証明がされ記憶や感覚も残るという証拠が出たと仮定すると、こぞって死んでしまうかもしれません。怖いなどと言わないでしょう。 私には死の恐怖はありません。死ぬまでの仮定、生きる過程に苦しみや恐怖が存在するとは思います。いくら頑張ってもそれは、私には克服できない壁であると思っています。ただ、死んでしまえばそれから解放されると信じています。だから死そのものは怖くはない。むしろ、死は一つの苦しみからの解放であると思います。ただ、その先にきっと新しい苦しみ(恐怖)が存在するのでしょうから、死を軽く見る気もなく生きることを止めようとも思いません。 私の考えはこうなりますね。ちなみに、死を恐れるならそれはそれで良いですよ。きっと。死を恐れないということは、ある意味で命を絶つことを恐れないという意思にもなるのです。 そのため人の死を軽視するきっかけにもなるかもしれない。死を恐れない人になったとしても、死を恐れる人の気持ちや、死ぬ瞬間の恐怖を知り、生まれたこと、生きていることが大事なことであるという命の大切さはしっかり覚えておきましょう。 最後に、確かに悔いは残したくないですね。まあ、悔いを残さずに毎日を過ごすことは私にはもう不可能ですが、人生をなるべく楽しく過ごしたいとは思います。そして、今この瞬間に何かあっても大丈夫な生き方を心がけたいですね。
- breeze04
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死とは自分の思い通りになりません。コントロールできないですよね。自分がいくら頑張っても・・・むなしいです・・・・・・・・・・・・ 人間、遅かれ、早かれ死にますから、200年も300年も生きないです。生きているときは、今を精一杯生きることを考え、#6さんの回答ですが死後のことは死んでから考えると言う意見に賛成です。考えてもどうにもなりませんから。一般的に言って「死ぬ」よりも「死ぬ時」が怖いのではないでしょうか?死ぬ時って言うのは特別だ、特別な時として、神格化されているような気がしますね。例えば100年生きるとしても、死ぬ時の最後の1年、1日、1時間なんて分かりませんね。そして、わかったところでどうしようもないです。死ぬ前の1年と、例えば20歳の1年と時間としては同じです。しかし、心の持ち方で変わってきますから、 「死を待っていると怖い」 ですね。生きることに貪欲で、目標とか夢があれば、怖い、怖くない以前に、このようなことを考えないと思います。 私は、死ぬのは怖くないです。死後のことを考えてもどうなるものでもありません。じゃ、死ぬ時はどうでしょうか?怖いというよりも「残念」ですね。「ああ、これが俺の人生なんだな」と思って死んで行くと思います。もっとやりたいこともあったのにとか、そのときの心理、環境によって変わってくると思います。 坂本竜馬が言っているように「例えドブの中でも前向きに死んでいきたい」と思っています。病院と畳の上では死にたくないです(しかし、自分ではコントロールできません)。病院や畳の上というのは待っている状態なのですね。だから、せめて誰かに見守られていないと、寂しいのだと思います。あれをやろう、これをやろうと言う気持ちがあれば、死が怖いなんて考えないですし、医学の進歩で死を予測できるようになったかもしれませんが、死はある日突然やってきて当たり前だと考えています。 生きていることをもっと楽しみましょう。(~_~)
- isaku555
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一人で死ぬのは怖いです。 でも誰かとなら少しだけ怖くないかもしれません。 自分がもし今死んだとして、泣く人のことを考えたら心が痛いのでまだ死にたくないです。 身近な人が死ぬのを見たくもないです。 皆一緒だったら、残される悲しみも先立つ不安もないかもしれませんね。 源氏物語の御法で紫の上が死ぬときに、光源氏が読んだ歌でわかるように、昔の人も同じようなこと考えてたんですね。
- chibimisako
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soramameiroさん、こんにちは。 25歳女です。 結論から言うと、死は怖くありません。理由は、会社の同僚さんや上司さんと同じ。1日1日を悔いなく精一杯生きていたら、たとえ突然死がやってきても、やはり悔いなく逝けると思うからです。 たぶん私はsoramameiroよりずっと早くその日を迎えるのでしょうけど… 16才(高校1年)のときに自分に不整脈があるとわかり、入院こそせずに済んでいるものの、痙攣や発作に苦しむこともあります。でも「死んだら楽だろう」などと言う考え方はみじんもなくて、「明日やゆっくり休もう」とか「元気になったらここに行ってみたい」などと前向きに考えるようになりました。それからというもの、朝、目覚めると、「今日も生きてる」とそれだけが嬉しかったりしました。 むしろ、いじめられてたころは「死にたい」って口にしてた。自分は悪くないのに、ずいぶん命を粗末にしていたと思う。 死をもっとも身近に感じたのは、親友が21歳で他界したときです。死因は、いわゆる過労死。友人の中では最も生への執着が強かった彼女が、寝る間も惜しんで授業やバイトに明け暮れた結果が、結局生命をすり減らすことになってしまいました。 肉体や精神の死と「忘却」は、また違う「死」です。 多くの方がおっしゃるように、わからないから怖いというのはあります。自分が忘れられていくということ、(死とは違いますが)自分自身が大切な誰かの存在を忘れていくこと、それは未知の領域ですが、誰もが経験することなのもまた事実。なら、じたばたしてもしょうがないんじゃないかな。 私個人の意見としては、自分のことは忘れてしまってもいいと思っています。私のスペースが空いてしまったら、別の楽しい思い出で埋めてほしいとすら思います。 自分は多くの誰かによって生かされている。だから、その人たちへの日頃の感謝の気持ちを忘れないようにしています。だから好きなことをしたり、楽しんだり、時々失敗して再チャレンジしたり、そういった1日1日の積み重ねが大事なんだと思うし、そうすれば死を怖がる暇もないと思う。一生懸命生きることが、結果的には死とも向き合えることなんじゃないかな、と思います。 長文失礼しました。元気出してくださいねっ(^-^)
- kirjolohi
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死ぬのは怖いですね。 普段はあまり死について考えたりしませんし、友人たちと死について話したりする時は、 あの世に持って行けるのは、見たもの、食べたもの、聴いたものだけ、だそうなので、 いろいろ、「見、食べ、聴き」して、あの世への土産話をたくさん作るんだ、などと軽口を たたいたりしますが、夜、ベッドに入って寝る前に、たまに自分の死について考える ことがあり、死んでしまったらもう2度とこの世界に戻ることは出来ないんだ、と思うと、 背筋が寒くなりたまらなく怖くなります。 死に関する本もいろいろ読んでみました。 中でも、各界の方々が死について書かれている「死の準備」(洋泉社刊)という本で、 評論家の西尾幹二さんが書かれている一文が、死に対する自分の気持ちとまさに同じで、 それを読んだ時は、逆になんだか落ち着くことが出来ました。 以後、死の恐怖に襲われると私はその文を読むことにしています。 その部分をここに引用して良いのかどうか分からないので引用はしませんが、機会があれば 書店で一読してみてください。 死なんて怖くないという人がいますが、私にはなぜ怖くないのかその気持ちが分かりません。 ただ、だからと言って、永遠に生きたいとは思いませんが・・・ そういう意味では、ガリバー旅行記のラグナグ渡航記を読むのもいいかもしれません。
お礼
ありがとうございます。 死ぬのが怖くないことは、希望がないのと同じ。。この言葉に深く共感しました!