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人間は短い一生をなんのために・・・
人間は短い一生をなんのために生きているのでしょうか。 先日近しい人を亡くし、そんな風に思うことが多くなっています。何か熱中したり、楽しいことがあって笑っているときなんかにもふとそんな無常観を感じてしまいます。 これは「死」という人間に平等に訪れる巨大なものの大きさを恐れているということなんでしょうか?
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「何のために生きているのか?」そう思った時が、精神のステップアップの時です。 そのことをふと友人なんかに話しても、「そんなことを考えても仕方がない」「理由なんかない」とかそんな答えばかり返ってくるでしょう。そこでほとんどの人が「そうだよな」と考えるのをやめてしまうようです。 私もある人が死んだときにすごく無常に感じて、人間が物に見えたことがあります。 しかし、そこで「なんでだろう」といろんな人生の本などを読みました。そしてイメージトレーニングなどもやりました。 結果、人それぞれ役割がどうも違うようです。 しかしながら、人間に共通する、大きな目的は、少しでも生きている間に精神、魂を向上させるのが目的のようです。 私も場合、あまりにも利己的なのが、自分を見つめてわかりましたので、あらゆる場所で、自分がどう動いたら、全体がうまく調和するかということを意識して生活するようになりました。 昔の無目的の時と比べて、毎日がすごく新鮮で楽しいし、あれだけ自己否定的だった、自分が好きになっているところです。 ぜひ、自分を研究して人生の目的を探求してください。 自分の人生を肯定して、悔いがなかった言える人は、人生の目的は「何か」と追求したばかりです。
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- kakara
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はじめまして なんで生きているのか…、とても難しい問題ですね。 私も、なんで生きているのか正直よく分からずいきています。 でも、世の中で虐待で死んでいく子供や、誰かに殺されてしまう人のことを考えたら、「生かされている」んだなぁ…とは思います。 私は小さい頃から、人は何か使命を持って生まれてくるんだよー…といわれて育ってきました。 何か大きな偉業を残することかもしれないし、誰かを幸せにすることだけかもしれない。何が使命かはっきり分かる人は、ほとんどいないとは思いますし、私自信、未だ実感はこれぽっちもありません。 でも、私がやるべきこと、私にしかできないことをやるために生きていると思うと、「生きてていいんだぁ」とか「私には何ができるんだろう?」とか思います。 そして、「死」とは、一つのお勉強を卒業することだから、怖いことではないんだよ…。とも言われました。これまた全然実感なんかわきませんが、そういわれると怖くはないですね。 むしろ、「死」が怖いのではなくて、「どのように死ぬのか」ということを考えることの方が、私は怖いです。やっぱり苦しい死に方や、体がバラバラになるような死に方はいやですもの。 あと、怖いというよりか、こうだったら悲しいなぁ…と思うのは、私という存在が誰の記憶や心の中に全く残らない…つまり存在した認識の消滅ですね。 これじゃあ、いてもいなくても同じじゃあないの?と思うのですよ。誰か一人でも、「あんな人がいて、こういうことをしてくれた…」とか、そんなふうに誰かの記憶の片隅にでも残るような生き方…人間でいたいと思いますね。 うまく答えられているかどうか分かりませんが、何か参考になれば幸いです。 深く考えることも大切ですが、やっぱり一日一日を、楽しく、平和に暮らしていることに感謝して毎日を過ごすほうがよいと思います。考えるときはポジティブに!です。
お礼
記憶の片隅にでも残るような生き方…人間でいたい.. とても美しい考え方ですね。 感動しました。そう考えると毎日、人と会って過ごすことがとてもキラキラしてきます。 ありがとうございました。
ある人は「人生は死ぬまでのひまつぶしだ」と言い、ある人は「執行の日を待っている死刑囚」だと言いました。 同じことを言ってるわけですね。 こんな後ろ向きな考えは好きじゃありませんが、真理かもしれません。 しょせん、誰かの意思で勝手に作られた命だと思います。例えて言えばサッカー場を走り回っている私を上から誰か(創造主?)が見ているような気分になることがあります。 自殺したり自滅したりすると、舌打ちして、あ~あ、ばかだなあ、と言われるような。 お互い、一度きりの人生、大事に生きましょうね。 誰かがせめて読んでくれたらいいなあ。ほうってあるみたいだけど。
お礼
ありがとうございました!とても参考になりました。 死刑囚ですか・・ 最近では、生活していてなにか素敵な一瞬に 出会ったとき生を実感します。
目的論的なところで答えは出にくいと思っています。 私自身は、息を吐くために吸って、栄養とってしまって、雑事に追われ、自分から死ぬ気もないから生きていると自覚しています。 もちろん、若干はああしたいこうしたいということもあって、入れ込んだりもしますが・・・・。 生き物の一生ってそういうもんじゃないでしょうか?
お礼
なるほど。達観の境地といった感ですね。 そこまで達すると自分みたいな悩みもないでしょうね。うらやましいです。 ご回答ありがとうございました。
- machidon
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私は幸せになるために生きているのだと思います。
- katyan
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愛するため
- wewe
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人間は短い一生を何のために生きているのか。 解りません。ただ、生きているというという事だけは事実です。 私達は、生まれてこの方、自分が「存在している事が当たり前の日常」しか知りません。それが、何十年後には突然、自分という存在がなくなってしまう。そして、自分という存在が、なくなってもこの平穏な「日常」は延々と、当たり前の様に続いて行きます。 考えると凹んでしまいますね。私も若い頃は何度も恐怖感を抱きました。 でも、ありきたりの答えですが「終わりがあるから美しい、終わりがあるから素晴らしい」というのが自分の回答です。 例えば、人生を貴方の大好きな音楽や歌に例えてみてください。一曲を堪能し、感動し、気分はお腹いっぱいになります。 気に入ってもう一回聞くことはあるかも知れませんが、それから何回、何十回も繰り返し聴いていくと「もう充分だよ」となりますよね。その曲への想い入れも下がりますし、疲れます。 人生も同じで「1回で堪能」するから良いのではないでしょうか。 要は貴方の好きな曲(人生)であり続ける事が重要なんじゃないですかね。それを一度だけ、じっくり堪能する。 繰り返し聞いていたら疲れますよ(笑)。 少なくとも、貴方の好きでもない曲(人生)を聴かない様に。
お礼
わかりやすい例え、ありがとうございます。自分のやりたいことを悔いなくやった方がよいということですね。 人間ってとても小さな存在なのですね。
- gunto
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体を使って体験する為です。勿論その前に、生まれてきたから死ぬまで生きるしかないというのが大きな理由です。 で結果として生きている訳ですから、生きる意味は自分で見つけるのです。 死んでいく人見ると、「何の為・?」って考えるのもわかりますが、その死んだ人も生きていた訳です。 死んだ人みんなも「人生って?」って考えたはずです。その繰り返しです。 目的あってわき目も振らずに、突き進んでいる時は虚しさなんて感じないです。 しかしいつもいつも情熱的である訳無いですよね。 最後は死があるのですから。 死とは?をどう考えるかで、今生きてる意味も面白くなるんじゃないのかなあ。 私なりの生きている意味は(いつも考えているので) 沢山あって又、抽象的で簡単には説明出来ないですが 少しだけ具体的に言えば、美味しい物を食べる事。 面白いハプニングに出会う事。そして一番大切なのは 愛ある家族、又は縁の深い人と出会う事。 まだまだありますが、死ぬ事もよく解らないから、考え考え続ける事。 それから自分を、今生きている人との比率で考えるのではなく、自分と自分。自分と宇宙、自分と歴史上で 死んだ人間との関係で考えると、無限で面白い。 現代は死の世界を、世界中が研究していていろんな本が選べます。 でも皆生きてる人間が書いているのだから、本当のところはわからない。誰も死を体験していない。 だから自分に生き易い都合の良い死生観を創るのがベストです。 動きながら考える。考えながら動く。 私いつも考えるのですが、人間は皆死んでいくでしょう?どんな偉大な人間も、みんなよくうまく死んでいくなあと、まあそう思うんですよ。 だから例外なく、私もそうやって自然に死んでいくんだろうなあって気楽に考えています。 だって生きているから死を考え恐怖感あるんだから、死んだら何も無くなるから、死は平穏なんだってね。 例えば花を花としてしか呼び名がないように、生きてるから生きてるとしか、とらえようないですよ。 私はこれからもずーと死ぬまで考えるのを楽しみます。
お礼
なるほど!とても具体的で分かりやすい回答ありがとうございます!みなさんそれぞれの死生観をもっていらして、しかもそれを教えてくださって感激です。こういう事ってなかなか人に話せることでもないので・・ guntoさんは考える事が楽しいなんて素敵ですね!
- bekky1
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「メメント モリ」死を思えというのが哲学なのだそうです。 死刑囚のごとく生きよとも。 今、生きていることそのものが生きる目的。 短い一生ですが、もし死なないことを思うと逆に 怖くないですか? 痛いのはイヤですが、死ぬのは明日でも、10年後でも、 みんな一緒。 生物は人間も、縄文杉もゴキブリも同じ。 遺伝子がとか、いろいろ言いますが、 チンパンジーと人は98-99%同じ。 人とチンパンジーと98%は同じ一生ですかね? 今生きて、あることそのものが、生きる目的だと私は思います。 生きてるものが一番。 生きてる生物の足元には、死体が一杯。 いろんな生物(含む人間)の死体のないところ(地面)はない。 死を恐れることはないです。 死なないことを恐れるべき。
お礼
うーん・・とても深いですね。わかったようなわからないような・・今現在死ぬことにリアリティはないのですが、いずれ訪れることを考えると・・ ともあれご回答ありがとうございました!
- SCNK
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人間は必ず死にます。少なくとも現代の科学水準ではです。したがって人間は自分以外のもののために生きざるを得ないと思います。それが何かは自分で考える以外にないでしょうし、ひとつに絞れるものでもありません。 私の場合は、祖国のために生きようと決心しました。
お礼
ありがとうございます!もっとよく自分で考えてみます。一つの解答がでる問題ではないということですね!
- tinysoho
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誰かの為に生きているというのが、「今」の私の見解です。 昔は私の存在が親の支えだったと思いますし、今は妻のため子の為。 私が死を恐れるのは、この人たちを支えられなくなってしまう理由からです。 逆に、家族のために命を使う事が出来たのならそれで私の生きた意味になります。 また、子供も妻も誰かのために生きているのですから。 子供、実績、思い出、生きて、何かを残して、それが積み重なって歴史があるのでしょうね。
お礼
素晴らしい生き様ですね。とても参考になりました。
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お礼
悶々と考えている間にも精神は高まっているということですね?よかった!ありがとうございます!とても前向きになれそうな気がします!