Gです。 補足を読ませてもらいました。
>イエスの自分を与えるという教えの元、その事ができるようになった自分を貧しい人へ与え続けたと考えて良いのでしょうか?
私はそう感じています。 しかし、できるようになるまで待つことはないはずですし彼女もそれをしなかったでしょう。 そして、もっとできるようになるためにも自分を磨くことは毎日したはずです。 そうでなければ, 一介の修道女として生きただけのはずです。 今以上のことをするにはそれだけ今まで以上がんばらなくてはいけないという私の信条の一部はこれにつながっていると信じています。
>なにかマザー・テレサがイエスのことについて言っていた事、思っていたこと等がありましたら教えてください。マザー・テレサはイエスの教えをどの様に教えてくださったのですか?
カトリックのなくなってからそんなにたたないうちに聖尼(確か日本語ではこういうと思いますが間違っているかもしれません)と言う「位」についたということはキリストの教えのすべてを教えていたはずです。
確かな文章は忘れましたが、By blood, I am an Albanian. By citizenship, an Indian. By faith, I am a Catholic nun. As to my calling, I belong to the world. As to my heart, I belong entirely to the Heart of Jesus. と言う(ような)文章を残しています。
生まれや国籍には関係なく私がささげるのは世界でありキリストの「真理」に属している、と言っているわけですね。
私はキリスト教信者でなくてもほかの人のために出来ることはたくさんありそれを達成するために自分を磨き時間を費やすことは可能だと信じています。
補足
解答ありがとうございます。 イエスの自分を与えるという教えの元、その事ができるようになった自分を貧しい人へ与え続けたと考えて良いのでしょうか? なにかマザー・テレサがイエスのことについて言っていた事、思っていたこと等がありましたら教えてください。マザー・テレサはイエスの教えをどの様に教えてくださったのですか?