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やはり病気だったのでしょうか…?
今からかれこれ6年間くらい前の話なのですが、どうしても自分の中で処理出来ない、 納得の出来ない事があります。 そしてこの出来事は自分の自分自身に対する信頼を大きく奪った出来事です。 当時は高校3年生で、大学受験を控えた時期でした。 そして、教科書を読んで勉強をしている最中に、ふと思ってしまったのです。 「(教科書に出てくる)この一つ一つの言葉(日本語)の意味って、本当に自分が思っている意味で 正しいのだろうか?実は全て間違った解釈をしているのではないだろうか…?」 このように自分の解釈を疑ってしまったのです。 その瞬間から、どんな文章を読む事も出来なくなってしまいました。 理解する事が全然出来なくなってしまいました。 全く頭の中で解釈、消化出来なくなってしまったのです。 そしてもう受験どころでは無くなってしまいました。 全ての言葉の意味を疑ってしまい、「文章を読んで理解する」という事が 出来なくなってしまいました。 ちなみに私は小さい頃から極度の心配性で、 小学校の頃にも考え事をして徹夜をした事が何度もある人間です。 そして物凄い几帳面な性格の持ち主です。 この症状ってやはり病気だったのでしょうか? それともただ私がおかしいだけなのでしょうか? どなたかご存知の方がいらっしゃいましたら、教えて頂けませんでしょうか。 ちなみにこの症状から回復するのにかなり時間がかかり、 回復してからもショックでしばらく立ち直れませんでした。
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心理学的には似たようなものでゲシュタルト崩壊とかありますね。 それから、多分、日本文学だと思いますが「嘔吐」という 作品が、そのようなことを書かれているはずです。 言葉の意味をよく考えると、ふと「本当にこういう意味なのか」疑わしくなって、嘔吐するほど恐怖になるという。 多少、感受性の強い方だとは思いますが、世の中には そんな人五万といます。 私自身、3歳の時に毎日自殺を考え、眠れない日々を送っ たり、幼稚園の時に本を読んでいてまさにゲシュタルト 崩壊が起きて、そんな自分をひどく早熟で天才であると思っていたのですが、長じてからそのような人はいくらでもいることを知り、凡庸で健康な毎日を送っています。 人間は自分を特別だと思いたがる傾向はありますが、 それはナルシズムです。 二十歳過ぎればただの人。でもただの人であることに 気づいたことこそ、自分は天才的だと思うんですけどね。
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天才か病気かは紙一重という言葉、ご存知ですか?天才は普通の人が感じないことを敏感に感じてしまうからえてして病気になり易いんです。だから気にしないでくださいね。 私は大学院で研究している身ですが、言葉というのはあなたの言うとおり、個人個人で受け取り方が違います。だから人間の間には誤解が生まれてしまうんです。私も今頃言葉のあやふやさを自覚しています。むしろ誤解なく完璧に自分の考えていることをそのまま相手に伝えるなんて無理だと思っています。人それぞれ言葉の意味が違うんですから。だから高校生の時点で気づいたあなたはすごいと思うのです。物事って疑い始めたらキリがありません。 あなたが気にしすぎたら病気になってしまうでしょう。でもここは賢く自分をコントロールしてみませんか。 この世の中完璧さにこだわっていては生きていけません。病気になってしまいます。完璧なものはこの世にある必要がないんです。人間として生きていきたければ完璧ではないことを受け入れるしかありません。
お礼
うわー、何だかshifonncakeさんから頂いたご回答を拝読していたら、 スーっと気分が楽になっていったのを感じました。 あたたかいお言葉をありがとうございます! >物事って疑い始めたらキリがありません。 そうですよね。 もう…当時は何から何まで疑いはじめてしまい、完全に混乱していました。 >この世の中完璧さにこだわっていては生きていけません。病気になってしまいます。完璧なものはこの世にある必要がないんです。人間として生きていきたければ完璧ではないことを受け入れるしかありません。 そうですよね。 私もかなり「完璧主義」なところがありますので、何かにつけては自分を責めてストレスを溜め込んでしまいます。 ただ、最近 「この性格って確実に寿命を縮めるよな…」 と思いますので、もっとのんびりと生きる事を心がけていきたいと思います。 ご回答ありがとうございました!
- nikuq_goo
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今現在、こうやって質問欄に文章を紡いでいる事から症状(こう呼ぶのが相応しいか判りません)は和らいでいると考えてアドバイス・・・になればいいなぁと思い回答します。 受験勉強というのは大変なストレスだと思います。現実逃避の一環としてそのような”気持ち”になってしまったのでしょう。今風に言えば十分メンタルの病気だと考えます。 ただ”気持ち”と称したのは訳が有ります。 本当に文章を読解出来なくなると言う事は他外界とのアクセスが完全に出来なくなると言う事です。自分の周りの事全てを完全に否定してしまったら、今こうして御質問者様は居ないと私は考えます。そこから察するに御質問者様は特定の物事を理解できないと思い込んでしまっただけなのだと考えます。 今となっては想像の範疇を超えないでしょうし、当時きちんと向き合えたとしても答えは出ないかもしれません。 それが今の不信感なのかと思います。 自分は何故そのような状況に陥ったのか?また同じように陥る事は無いだろうか?そんな不安が在るのかもしれません。 でも安心してよいと思います。 私も欝だと言われ休職を余儀なくされた時期がありましたが、今は回復して職場に居ます。また症状がでるのでは?という不安感はあります。でも一度戻ってきたのです。再発しても戻ってこれそうな気がします。そう思うだけで十分自分を安心させることが出来ました。 戻ってこれます。 御質問者様の症状と私の症状は異なります。ただ他人の私から見ると御質問者様の(受験か何かからの)現実逃避がそういった症状に繋がったのだと思います。 私のも現実逃避だったのかもしれません。回復しても(原因が)よく判ら無い人も多いと主治医に言われた事が有ります。 結局の所、自分と向き合う事が一番の解決だと私は思いました。自分と向き合っても答えが出なくても向き合う力があれば何かしらその力を有意義に使えると考えました。そうして自分はここに居ます。 人は何かしら弱い面があるはずです。なんとか弱い面を克服したいと思うのは自然の事です。でも弱い面は弱い面で甘受して違う強さを伸ばして行く事も大事かと思います。 私には弱い所が沢山あります。でもきっと自分の知らないような良い面もまだ隠れていると思っています。そういった色々な面を見つけて伸ばせる所を伸ばしていけたらと思います。御質問者様も頑張り過ぎない範囲で頑張って見てください。
お礼
大変丁寧なご回答、ありがとうございます! おっしゃる通り、あの時以来、自分を信用する事が出来ず、 「自分はまたいつおかしくなるか分からない」 という再発の恐怖と隣り合わせで生きて現在に至っています。 現在、文章を読むのも100%元通りとはいかなくても、理解出来ていると思いますし、人との会話も普通に行えていると思います。 >本当に文章を読解出来なくなると言う事は他外界とのアクセスが完全に出来なくなると言う事です。 おっしゃる通り、当時はそういう状態でした。 説明不足でしたが、教科書だけではなく、新聞や好きな本を読んでも全く頭で理解出来なくなりました。人と会話しているときも苦しくなってくる(ちゃんと自分が正しく解釈しているのか、あるいは正しく発言しているのか不安で仕方が無いため)というような状態が続きました。 >再発しても戻ってこれそうな気がします。 私も今ではそういう気持ちが強くなってきています。 今でも当時の事は「何だったんだろう…?」という風に思いますし、『不戦敗』に終わってしまった大学受験の未練は残っているのですが、 >でも弱い面は弱い面で甘受して違う強さを伸ばして行く事も大事かと思います。 ええ、おっしゃる通りですよね! 私もそのように考えていきたいと思います! 本当にありがとうございました!
お礼
ご回答ありがとうございます! 「ゲシュタルト崩壊」というもの…初めて耳にしました。 早速ネットでリサーチしてみたところ、色々とうなずいてしまいました。 >多少、感受性の強い方だとは思いますが、世の中には そんな人五万といます。 そうなんですか。 何だか「自分だけが異常」とばかり思っていましたが、そうでもないんですね。 先ほどネットで検索したときも非常に数多く引っかかったのでびっくりしました。 >私自身、3歳の時に毎日自殺を考え、眠れない日々を送っ たり、幼稚園の時に本を読んでいてまさにゲシュタルト 崩壊が起きて うわ…凄いですね。 私の場合はひどく心配性で、自分の性格に何度も悩み、神経質で敏感で打たれ弱い「自分」というものに心底疲れてしまって、何度もヤバい状態になりはしましたが、最近は落ち着いてきた感じがします。 ありがとうございました!