- ベストアンサー
中学・高校の生活指導って??
中学生や高校生に対する本当に必要な生活指導って何ですか? 厳しい校則もある学校もあればほとんどない学校もありますよね。 厳しい学校の規則をきちんと全て守れている生徒なんて 全体を見渡して果たして何割いるのでしょうか。 昔よくスカート丈や靴下の種類や持ち物で注意を受けたけれど 今思えば学校生活を送るのに本当に必要な指導だったのかなと思います。 どのような指導が生徒のためを本当に思っているものなのでしょうか??
- みんなの回答 (10)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
生活指導というのは、先生や学校が生徒を画一的に教育しようという考えから生まれたのではないかと思います。戦前・戦後の貧しい時代では、個性を殺した従順さが美徳とされ、服装(外見)が同じであることが求められ、そのことが現在にも継続されているのではないでしょうか。また当時は、家庭の不必要な出費も抑えることができたと思います。日本は実質的には、国民全員が平等を要求するような社会主義に近い国ですので、このような考えが広く受け入れらたと思います。しかし、個性を重んじるという観点からは、全く逆のことをやってきたし、やっているとと思います。 昭和40年代の後半頃から、教育の画一化をしないで、「個性を重んじ独創性をもった生徒を育てるような風潮が生まれたと思います。その後、日本人は、外国人との接触する機会が増え、インターネットでも種々の情報が得られやすくなりました。その結果、現在では、個性を尊重し独創性を生むことこそが世界で生き残る方法だと言われたいます。 しかし現実のわが国の現状はどうでしょうか。全く逆で、個性を殺し集団に従順な人を養成しているシステムは変わらないように思います。銀行の不良債権問題、公務員改革など、なかなか理屈ではわかっていても改革できません。個性を重んじると、集団の輪が乱れるという、いわゆる年功縦列の慣例システムが打破できません。すなわち、学校の生活指導と同じ考えが、根本的にわが国には根強くあるように思います。管理者(あるいは国)に都合のいい考え方ではないでしょうか。 過度の生活指導は、個人的には、もはや時代に合っていなように思います。そもそも生活の基本は、家庭教育に負うところが大きく、学校教育で生徒の外見上の生活指導というのが不自然と思います。また最近では、年代によって、考え方が著しく異なります。大人の考え方を子供(生徒)に押し付けている部分も多々あるかと思います。学校の生活指導は、外面(外見)的なことよりも内面的な指導に換えるべきかと思います。社会に出て失敗しないようにするために、「生き方」の基礎を教えるのが学校の生活指導のように思います。しかし。、学校の先生は、社会経験不足な方が多いので、現状ではそのような生活指導は無理だろうと思います。したがって、先生や学校の権威が保てる生活指導は外見上の服装のようなことしかできないのか知れません。 以上のように考えますが、的外れな回答についてはご容赦ください。
その他の回答 (9)
- kettouti
- ベストアンサー率46% (274/589)
世の中に出ると法律とか条例とかがあり、会社等には規則があります。(学校と同じですよね) これは一般常識と言われるような事だと思います。 自分と他人(人と人)の関係を良好に保つための事柄、あるいは行動の仕方とでも言いましょうか・・。 学校でもそうですが、家庭とは違い、世の中に出るという事は、全く見ず知らずの人達とかかわる事になります。そして、その人達と良好な関係を保っていく事が出来る人格を形成させる為の場所が、小学校・中学校・高校だと思います。 「昔よくスカート丈や靴下の種類や持ち物で注意を受けたけれど、今思えば学校生活を送るのに本当に必要な指導だったのかなと思います。」 との事ですが、指導の内容自体はどうかな?と思いますが、校則が決められている目的、守らせる目的は、学校生活に必要なのか?という事ではなくて、世の中に出た時に必要になるという事ではないでしょうか?校則を守る事が出来ると言う事は、世の中に出ても、法律、会社の規則等を守るという事が自然に出来る、身に付いているという事だと思います。 校則がほとんどない学校といっても、すべて生徒の好き勝手に学校生活をさせているとは思えません。 その時、その時で正しい、正しくない等の指導はされていると思います。 ようするに、あらかじめ文章で示して指導するか、それとも実際の行動の中で指導するかの違いではないでしょうか? 世の中に出た時に(社会人、成人になった時)あるいは他の国に行った時に、その場で守るべき規則を守る事が出来る。(人間社会での関係を良好に保つ) そのような人格を形成させる指導が生徒にとっても、教育者自身にとっても一番必要な事だと思います。 ですから、校則があるのはなぜなのか?を教育者(教師)、生徒、生徒の親がしっかりと理解すべきではないでしょうか?
お礼
回答ありがとうございます。 学校という社会では服装を守ることが、守るべき規則を守ること、につながるのでしょうか。 その規則の存在自体に疑問を持っていた生徒だったので指導に従順になれなかった記憶があります。 生徒の周りにいる人がしっかりと教えてあげられるようになるといいですね。 と、同時に世間の顔色を伺う人に育ててもいいのかな、と思ってもしまうのですが。
No.3です。追加。 前に、担任の先生に、 「どうしてだらしない服装をしてはいけないのか?」 と意見を求めたところ、 「学校は遊ぶところじゃないから。」 と返ってきました。(・・・だったかな。)このときは、英語弁論大会のスピーチの題材として意見を求めたので、それで終わりました。 その先生は、結構謙虚で、生徒の意見も結構聞いてくれる先生なので、あまり裏に意図があるとは思えません。 となると、今までのそういう“常識”に流される、もしくはそう思い込んでしまっているのではないでしょうか。 前に、別の質問でも似たようなことを言いましたが、こういう、長い時間の中で形成されてきた“常識”は、そう簡単に変わるものではありません。No.6の方が仰るように、これは昭和時代ごろからのことですし、それ以前の時代には、質素をよしとする文化もあります。 だから、教育行政や、大学の教育学部など、もっと上のところが、教員の意識改革をしていかないといけないと思います。 まぁ、裏に意図のある先生も多いかもしれませんが。
お礼
回答ありがとうございます。 教員の意思改革は必要になってきているのかもしれませんね。 そうなれば教員同士の世間意識も変わってくるかもしれませんね。 常識とは何か、から考える必要があるのかのしれないですね。
- taked4700
- ベストアンサー率37% (777/2050)
生活指導の意味はいろいろあります。 1.一番大きいのは、生活指導を通して、コミュニケーションをする。大人同士の関係なら世間話になるところが、教師と生徒の間がうまくいっていないときに、または、そもそも教師と生徒の間に何の話題も見つからないように考えてしまうときに、生活指導と称して、いろいろ話をしていく。 2.教員の権力を見せるため。この背後には、かなり暴力的な行為があることが多いのですが、教員自身の力不足、教科の知識不足などを隠すために、生活指導を強化すると言うこともかなりある。 3.目だって生活指導が必要と言うほどでもないが、授業に身が入っていない生徒が多く、勉強しないので、生活指導で活を入れようとの動機。 4.遅刻や早退が多く、また服装や言葉遣いが乱れ、退学者なども多くなってしまい、勉強をやる段階でなく、生活指導を前面に出さざるを得ない場合。 以上は、生徒全体と学校との関係で述べましたが、 >どのような指導が生徒のためを本当に思っているものなのでしょうか?? というと、 上のような類型があるので、一概に言えないとなります。 「スカート丈や靴下の種類や持ち物で注意」とは、多分、上の類型の2番、教員の権威付けのためでしょうね。 あとで思い直して、生徒が教員のことを尊敬するような指導ができれば、最高ですね。 今後、義務教育でも生徒が学校を選べるようになれば、本来の形、つまり、「社会の問題点を見つけ、それを解決する力をつけるような生活指導」というのができるようになるかもしれません。
お礼
回答ありがとうございます。 生活指導といっても様々な問題が背景にあるのですね。 義務教育でも生徒が学校を選べるようになると学校の質も変わってくるのでしょうか。
- satelites4u
- ベストアンサー率12% (10/77)
礼儀や、その他いろいろな生活に関する指導は本来家庭でなされるべきものでしょう。ですが今日の日本においては、大したノウハウをもってない学校でそれが行われています。そしてその「生活指導」は、多くの場合、学校が付近の住民の目を気にして「あの学校はまじめそうな子が多いな」と思われたいがために行われているのが現状です。 学校の指導のほとんどは「理不尽」、言い換えれば「なんとなく」という根拠がないものです。 「この映画はなんとなく好きだ」というのなら分かりますが、「その靴下はなんとなく嫌だ。禁止」というのはにんともかんとも。校則に「くるぶし靴下は(なんとなく)禁止」と書かれていれば新入生の失笑買うのは間違いありません。 すみません、話がずれました。 >>厳しい学校の規則をきちんと全て守れている生徒なんて全体を見渡して果たして何割いるのでしょうか。 聞いた話では、ある私立高校では後ろ髪が襟についているだけで減点されたりして、ある点数まで減点されると停学とかされるそうです。となれば恐怖。守らざるをえません。いちいち面倒なことになりたくないですからね。 私立では9割、公立は大したことができませんので、大きくみて5、6割くらいでしょうか(細かいところまで数えれば1perもいないと思いますが)。 >>どのような指導が生徒のためを本当に思っているものなのでしょうか?? 判断力を強化。
お礼
回答ありがとうございます。 家庭の指導力不足が学校へ影響しているということなのでしょうか。 かつて「なんとなく不愉快だ」という基準による服装指導に理不尽さを感じたことがあります。 私の在学中に生徒に判断力をつけさせるような教師がいらっしゃったらよかったのにな、と思います。
- jk7
- ベストアンサー率18% (46/247)
世の中には、理不尽なルールもあります。 でも理不尽だから無視して良いということは、絶対ありません。 だからとにかくルールを守らせることが大切…、これが一般的な考え方になっています。 なぜ、そうなるのか? 理由は簡単です。 学校は、世間の目を気にするからです。「あの学校の生徒は髪が赤い…」・「あの学校の生徒のスカート丈は短い…」とか、結局生徒のためでなく、学校の体面を保つために指導しているという部分もあります。もちろん保護者や地域の人々の中に、そのような生徒を望んでいるというニーズも地域によってはあります。 しかし生徒のための生活指導、つまり本当の意味での生活指導は、違うように思います。スカート丈を直させることでなければ、茶髪を黒に染めさせることでもないはずです。 大切なことは、教員が生徒に自分自身で考えるようにすることだと思います。 しかし、それができるようにするためには、実は保護者や地域の人々の理解も必要なのです。
お礼
回答ありがとうございます。 学校側の世間意識の強さは私も在学中に強く感じました。 生徒のことを思うのなら表面的なものを求めないような 保護者や地域の人の理解も必要だということなのでしょうか。
- overtone
- ベストアンサー率22% (191/833)
生活指導って詳細がわかんないんで(受けた覚えが無い)的外れなアドバイスかもしれませんが・・・。 「指導」って 指差して導く ですよね。 そう考えると「注意」「罰」は 指導とは考えづらいですよね。 目標を明確にして、その目標に向かってゆくことを生徒に納得させ、それについて アドバイスや場合によってはいっしょに寄り添いながら 目標まで導く のが 本当の指導と考えます。 なので、学校側が ・スカートの丈が××である ための目標を明確に生徒に納得できるように説明できることが 大前提なのですが、教師ひとりひとりがそんなレベルとは考えられません。
お礼
回答ありがとうございます。 一方的な規則の徹底は教師の怠慢もあるのかな、とは思いますが。 生徒の納得を得て目標まで導くことができるのが本来の指導だということなのですね。
中学生の意見。 基本的には、1の方の意見と同じです。スカート丈、茶髪、服装などの指導自体は無駄です。(表現の自由の上でも問題ですし。) ただ、今の校則を、「先生達が積極的に」変える必要は感じません。 生徒たちが、何もそれにたいして考えていないからです。(うちの学校の場合) 校則違反するくせに、指導されたら、それに従う。・・・ふりをして、また同じことを繰り返す。とにかく、自分の頭で善悪を考えない。こんな状況です。最近は、多少はマシになりましたが。 生徒が、この校則はおかしいんじゃないか、そう考え、先生に意見し、それで校則が変えられる。そういったことが望ましいです。先生の側も、それを生徒が言いやすい環境を提供することがひつようだと思います。 今の状況で校則を(職員会議の発案・決定で)変えても、非行化を招くだけです。 ちょっと本題からずれたかもしれません。結論。 >どのような指導が生徒のためを本当に思っているものなのでしょうか?? 自分たちで考えさせ、善悪の判断を付けられるような指導。 生徒に、これはなぜしてはいけないのか、ちゃんと説明し、生徒の意見にも冷静に耳を傾けられるような指導を望みます。 そうなるまでは、軽く注意する程度の指導を行っていればいいかな、と思います。
お礼
回答ありがとうございます。 生徒も教師も校則の内容について関心がなかったり 校則の存在を不思議に思ったりはしていないのですね。 生徒が自主的になれるような規則の運営がよい、ということなのでしょうか。
理不尽な(?)校則でも守ろうとする姿勢、従うべき権威、そういう ことが大切なのだと理解しています。 校則の内容は、正直に言って関係ないとまで思います。
お礼
お答えいただきありがとうございます。 どのような規則であれ、決められたことに対して従順な態度をすること を学ぶための校則ということなのでしょうか? もしくは権力者には従え、のようなもの。 確かに教師からはどんなことでも守ることを教えられたような気がいたします。
- harukka
- ベストアンサー率35% (111/310)
基本は、他人に迷惑をかけない、不快感を与えない、家族や社会の一員としての責任を果たすことじゃないでしょうか。 ただ、快・不快は主観的ですから基準を設けることが難しいですね。 ですから、最低限のエチケット・マナーがあればいいのではないかと思います。 服装や持ち物についての規制などに精力を傾けるのは無駄だと思います。 問題は中身です。
お礼
お答えいただきありがとうございます。 最低限の決まりでいい、というお考えなのですね。 中身を変えない限りみかけだけの規制に意味はないということなのでしょうか? とても参考になります。
お礼
回答ありがとうございます。 昔からの慣習で生活指導が行われているのですね。 この問題を考えるときは日本の体質ということも考慮したほうがよさそうですね。 教師の社会経験不足は私も感じますが、 大学を出てそのまま学校という狭き社会に入られる方が多いので 今の制度のままでは仕方がないことなのかもしれないですね。