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生きる意味・勇気
28歳男です。 恥ずかしながら、この歳になっても「生きる意味」を考えて、悲しくなります。 (うつ病では無いですが) 私は、平均的な大学を卒業して、平均的な会社で技術職をしています。 普通に趣味もあり、友達もいます。(無いのは彼女だけ?) 世の中から見れば、何処にでも居る平凡な人間です。 世の中を「必要である人間」と「必要でない人間」に分けるとすれば、私は後者に入ってしまいそうです。 自分自身、「必要でない人間」は「生きる意味が無い」と考えて、自分は「生きる意味が無い」と思うと、とても悲しいです。 でも、普通に死への恐怖だけは持っていて、生きようとうしています。 だがら、どうしても「生きる意味」とか「生きる勇気」を見つけたいです。 皆様は、どのようにして「生きる意味」とか「生きる勇気」を見つけたのですか? ご教授頂ければ幸いです。 追伸 ご回答を頂いても、全員の方に返信を出来ないかもしれませんが、何卒宜しくお願い致します。
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- ademonia
- ベストアンサー率14% (1/7)
生きる意味・生きる勇気を感じたいとのことですが、そのようなことを考えることが出来るのが人間の素晴らしいところだと思います。 そのような感情にどう答えるか?ですが、私なりの方法がありますので書かせて頂きます。 生きる意味・生きる勇気を考えたり感じる動物は恐らく人間だけでしょうね。 しかし人間もまた動物の一種であり、普段の生活には動物として無意識に行う行動(食事・排泄・SEX等々) がかなりの部分を占めているのではないかと思います。 このようなことに答えをえることは、考えることが好きならば別ですが時間の無駄ではないでしょうか。思い切り大きなものを思い浮かべたり見たりすると、私は星空が一番ですが、自分の存在や人間社会に悩んでいる自分がバカバカしくなりますよ。 いろいろな学問では人生やヒトそのものに特別な価値を見いだそうとしてますが、詰まるところ人間は特別でな存在ではなく地上の動植物の一部であり、スケールを大きく考えばヒトを物質という側面からみると他の動物・植物・鉱物や全宇宙を構成する物質と同じなんですよね。 これって現実放棄のような感じもありますが、これこそ事実なのです。 人間なんてちっちゃいちっちゃい(笑)
- sazamami
- ベストアンサー率0% (0/3)
この地球という星を維持していくのに必要な生物だからだとは思うのですが・・・決して茶化しているわけではありません。必要でないものは、生まれてこないと思います。でも、ここまで地球を汚染し尽くして、将来滅びていく生命体かもしれません。 わざわざ生きる意味を考えるなんて面白いですね。そんなにたいしたものではありませんよ、私たちって。必要かどうかなんて間違いなく生きているものたちは全て必要なものでしょう。でもそんな事考えていたこともあったかなあ。変な答えだけど、こんな風に考えると悩んでいる自分が滑稽じゃありませんか。
- lostkid
- ベストアンサー率42% (27/64)
私は「人間にはもともと生きる意味なぞ無い」と考えています。 ※進化論によれば、理由があって今の人類や生物が存在しているのではなく、単なる結果、たまたまそうなったのだそうです。もし、進化論が正しければ、何か環境が違えば地球に人類は存在しなかった。つまり、居ても居なくても良かった。 >皆様は、どのようにして「生きる意味」とか「生きる勇気」を見つけたのですか? 「生きる意味」は自分で適当に作る事にしました。 でも、まだ作れていません。 「生きる勇気」はありません。頂上が雲の上にあるような山が前にそびえているような閉塞感というか恐怖感で潰されそうになる事があります。 でも、また1日、1歩(しばしば0歩)、足を進めます。 うまく行かない事ばかりですが、たまたま与えられたこの70年程度の時間を自分の好きなように使おうと思います。
- Syo-ya
- ベストアンサー率31% (558/1780)
まず、この宇宙に存在しているからには、絶対!に、原因があるんです。 逆にいうと、原因が無ければ、存在はあり得ません。(絶対に) と、いうことは全ては必然なんです。 街のゴミ一つにしても、存在する必然性があるんです。 偶然での存在はないんです。 必ず要るものばかりなんです。 次に、人間は初めから何かとして生まれてくるのではなく、”何かに成る生き物”なんです。 人間は、学習すると、機能するという特性を持っています。 たとえば、自動車の構造を理解すると運転手として機能します。 パンの作り方を理解・学習すればパン屋さんとして機能します。 人間は構造を理解すると機能するという特性があるんです。 つまり、”何かに成る生き物”なんです。 これは放っておいても良いんです。 何も学習しない、何もやる気がない・・という人は怠け者として、世間の厄介者として機能するんです。 人生の全てが上手くいかず、生きてても面白くないという人も、放っておいても自分と他人を比較して悩んだり、同じ境遇の人の意見を聞いた意り、感銘を受けることで学習して、最終的には、本能的に何らかの存在として機能しだすんです。 ですから、生きている意味は最初からあるのではなく、後天的に見出すものなんです。 その原動力となるのは、現状を打破したいという志(意思)です。 今の自分に不満ならば、新しい何かを学習して理解して機能しなければいけません。 そのモチベーションを保つのが、ハングリー精神です。 昨今、話題の大仁田議員ですが、彼の行動は理解の外としても、彼のハングリー精神は見習うべきなんです。 彼は、幼い頃から「自分が何のために生まれてきたのかわからない、わからないから知りたいんだ!」という素朴な疑問をもち続けていて、インディーズプロレスから国会議員にまで這い上がった人です。 まあ、その手法は、今回の杉村議員に対してやっているのと同じやり方「セルフ・プロデュース」であり、とてもスマートとは言いがたい(正気の沙汰とは思えない)やり方なんですが、今のところ、結果が出ているのは凄いと思います。 ハングリー精神を養うには、裸一貫になることです。 私はたまたまうつ病もあり、全てを失う結果となったんですが、全てを失って良かったと思っています。 それまでは「モノ」に心を支配されていたんです。 「消費社会」に洗脳されて、一流の消費者を目指しているような面もありました。 「モノ」や「社会」の奴隷として生きていました。 でも、失ってみると判りますが、結局はあおられて、踊らされていただけなんです。 どこにも「自律」した意思、精神力がなかったんです。 いつのまにか、いろいろなものにハングリー精神を奪われていたんでしょう。 人生は「自分で階段を作って、その階段を一段上がって、また作る・・」の繰り返しです。 ですから、一生が、階段を作る作業で終わってしまうんです。 でも、それで正解なんです。 この世は諸行無常であり、常に変化しているので”何かに成る”ことは止められないんです。 そして、それは、宇宙全体のバランスから言えば、必要不可欠なものばかりなんです。 「原因と結果の法則」ジェームズ・アレン 「稲盛和夫の哲学」稲盛和夫 お勧め本です。図書館でどうぞ。
- true-1
- ベストアンサー率20% (22/105)
生きる意味、との問いかけ、重要です。その疑問に対して、しっかり追求し、逃げないで頂きたいと思います。 人は、皆意味があって生を受けてきます。意味がない生はありません。ですから、世間で自分が意味がない存在と思われても、所詮人間が作り出した文明における存在価値ですから、気にする必要は全くありません。 人生の目的と呼ばれるものが、仕事ではないことはお分かり頂けると思います。頑張っても、定年がくれば、ハイさようなら、ですから。それでは、何が目的になりうるのか?これは、非常に肝心な疑問です。子孫を残す為だけに生を受けたのか。なら、全人類のうち、適当な人間だけが、その責務を全うすれば、よいから、妥当ではありません。 私の過去の回答例(No.2)をまずは読んでみて、URLにジャンプしてみて下さい。 http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1725440 生きる意味は、生まれてこの方、親であろうが、先生だろうが、恐らく教えてくれた事はないか、と思います。ただ、言える事は、皆等しく意味があって、生を受けている事である、ということです。意味がなければ、こんな住み難く、生きにくい世の中にいるのは、不条理の他はないはずですから。
生きている意味は?という答えを探していたら、多分 一生が終わってしまうでしょう。 「これが生きている意味だ」と実感したとしても、 またすぐそれは無意味に思えてくるでしょう。 なぜなら、もともと生きる事に意味なんてないからです。 私も学生の頃、同じような虚無感を感じていました。 それがどうしてもつらく苦しく、ある尊敬する先輩に 手紙を書いたことがあります。 するとその先輩から「人生なんて虚しいものなのよ」と いう返事をもらいました。 それを頂いて、すごく気持ちが晴れました。 私達人間は、誰も人生に生きる意味があるなどという 約束をされて産まれてくるわけじゃありません。 産まれたからには、とにかく生きなければならないと いうだけのことです。 私は社会の第一線でばりばり働いている人を何人も 知っています。国から奨励されて重要な研究をしている 人もいます。富みも名声もあって人望も厚い人もいます。 たくさん稼いだお金のほとんどを恵まれない人に寄付 している人もいます。 そして、その彼らも同じように虚無感を感じている ことを、私は知っています。 どうしたら生きる意味を見つけられるか、生きる勇気 を見つけられるか、という問いには、私は次のように 答えます。 「生きる意味を見つけようとすることをやめなさい」 と。 私自身、今でも虚無感は時にはありますが、昔よりは ずっと少ないです。生きていて楽しいならそれでよい と堂々と言えます。 生きる意味を見つけることをやめたから、本当に生きる 幸せを実感できたのだと思います。
- hako2o
- ベストアンサー率30% (33/108)
生きるために勇気はいらないとおもいます。 ただ単に息をして吐いて・・・ 食べて寝る。 人はしあわせな事に「有難い」と思える。 楽しみを味わう事が出来る。 それと同時に感じなくて良い苦しみも感じてしまう。 考えないでいい事を思ってしまう。 生きる意味がないと生きていけないのは、「何で!?」と思っているから・・・ 脳は、合理的なものしか受け付けないからだそうです。 答えが見つかるまで心は不安定になっているそうです。 michichiさんが合理的に納得するには、どうしたら良いのでしょうか? 見方を変えて考えて見ましょう。 人間にとって酸素は無くてはならない物ですよね。でも地球にとって酸素は毒なんです。 その毒を浄化する役目が動物なんです。 人は、地球から求められて生きている。 そして、どの動物よりも毒を消化してくれる人間に知恵を与えられた。 そして、二酸化酸素や酸素のバランスをコントロールできる知恵を与えられた。 そして、もう一つ。 面白い話を・・・ 人間は辻褄が合うまで悩みつづける。 起きる前に 「ありがとう」と仮に20回言う。 すると脳は不安定になり、合理化するまで、 「ありがとう」と思える出来事、物を数えた分だけ探して、納得するそうです。 トイレに最近見かけませんか? 「きれいにつかっていただきまして、ありがとうございます」 先にお礼を言うと心が不安定になるから、落ち着くようにきれいにつかってしまう。 人の心理だそうです。 同じ様に「愚痴・泣き言」を言えば、脳は不安定になり、「愚痴・泣き言」を探して、落ち着くそうです。 人は思いとおりに生きているそうです。 思いとおりになんかならないと思っているから、思いとおりにならない。 でも、そう思っているから、思いとおりに生きているんだよね♪ 見方を変えて見ませんか? 人は「ありがとう」と喜ばれる存在になりたい。
- blue-lapis
- ベストアンサー率28% (11/38)
世の中に、「必要である人間」も「必要でない人間」もいませんよ。 みんな祝福されて生まれてきた、価値ある大切な存在です。 それにあえて、人間に白黒のレッテルを貼る必要はないと思います。 「生きる意味」を考えているあなたは、ある意味幸せな人です。 なぜなら、戦争している国に生まれていれば、そんな事を考える余裕なんてないからです。 実現可能な、夢や希望を紙に書き出してみて下さい。 あなたが人生を楽しむ事、それが生きる意味なのです。
- azisaibaba
- ベストアンサー率16% (18/111)
実は私は生きる意味を考えたコトが無かったりします。。フリーターでバイトだし夢らしい目標はないし、頼ったり頼られるような友達らしい友達もいません。だから普通の人以上に生きる必要はないかもしれませんが・・。 でも自分自身やりたいと思うことだって沢山あるし、このまま平凡に年をとったら凄く後悔した人生になる・・とか小さな夢や理想ならあります。だから生きる必要はないんだ・・とかまでは考えたりしないです。それにもし生きる必要はないんだ、なんて考えてて本当に死ぬはめになったら嫌だし(・・ただ考えるコトから逃げてるだけかもしれないですが;) 自分とこの世との関係なんて、そんな大きく考えても実際にこの世に必要な人間なんてほんの一握りだけだと思います。・・政治家とか凄腕のお医者さんとかくらいだけ。実際自分が死んでもこの世は何も変わらない。でも死んだら自分のまわりで悲しんだり、ものすごく辛い思いをする人がいる。それが自分が生きる意味ではないかと。 生きている必要がなくても身の回りに頼れる人がいるだけでも、それは自分が生きている意味ではないでしょうか? 何かで、動物は死の恐怖を知らない代わりに素直に純粋に生きている。人間は考える知恵を持った代わりに、死の恐怖を考え始めるって言うのをみたことがあります。結局はみんな生きてる意味なんて分からない、この世に存在する意味も分からないと思います。だから「必要でない人間」は「生きる意味が無い」と考えるは違うと思います。 長くてすみません;;楽観的であまり深く考えるのが下手な私ですが、結構考えさせられました。少しでもアドバイスになれたら嬉しいです。
- wing01376
- ベストアンサー率33% (2/6)
まだ10代の若輩者です。 僕もmichichiさんの様な事を考えた事があります。自分が今この瞬間にこの世からいなくなっても、きっと世界はそ知らぬ顔をして回っていくんだろうなー、と。 でも僕は、本当に最近気付いたんですけど、世の中にとって自分が必要か不必要かなんて考えるのはナンセンスなんじゃないかな、と思います。世の中=人間の集まりって考えたら、結局自分を必要か不必要か判断するのは自分以外の人間ですよね。相対的なモノであり、絶対的なモノではない。michichiさんは、就職しており、お友達もいらっしゃる様ですので、会社⇒貴重な労働力、お友達⇒大切な友人、として必要とされているはずです。そこでもう存在価値が確実にあるではないですか!仮に、自分で考えうる中で自分は不必要と思っても、それは自分という狭い世界の中でしかないのです。生きて自分の世界を広げていけばきっと自分を必要としてくれる存在がいるはずです。それが生きる意味だと思います。 生きている限り、死への恐怖は誰一人として逃れられないものですが、僕は死は必ずしも辛いこと・恐ろしいことではないと思います。というのも、僕は祖母の葬式の時、とても安らいだ顔をしていたのを記憶しています。それが何故か印象的で、きっと死んだからって苦しい訳じゃないし、満足出来たんだな、って思っています。生きる勇気…そんな大層なものではありませんが、僕は死ぬ瞬間に祖母のように満足してこの世を去れるように努力しよう、と思っています。 長文で申し訳ないですが、これが僕の意見です。
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